11月3日(木)●文化の日
35件まで紹介してきたクルーズ案内資料の紹介が暫く滞っていたし、次のイベント紹介も始めたいので、今日は残り10件を一括紹介することとしたい。
36.おもちゃ王国
1995年、玉野市王子が岳に在ったテーマパーク『王子ファンシーランド』の跡地を買い上げて設立された、「おもちゃの王国」即ち「世界のあらゆるおもちゃを揃えた『玩具博物館』を兼ねた遊園地」である。懐かしのおもちゃから最新のおもちゃまで世代を超えて楽しむことができ、アトラクションも数多く、子どもたちの人気が高い。 おもちゃ王国は、その後全国に展開し、軽井沢、東条湖、城島、南知多等にも設立されている。
37.瀬戸大橋カントリークラブ(18ホール/6,522ヤード/パー72)
玉野市のまちおこしを目的に、市民に親しまれるゴルフ場として平成元年3月に開場。そのため、格式ばった感じはなくフレンドリーな雰囲気で、気軽にプレーを楽しむことができる。瀬戸内海に面した県内で最南端に位置するコースであり、夏は涼しく、冬は暖かくプレーできる。
実は、サッキー自身もこのゴルフ場のメンバーであり、月一ゴルフはこのゴルフ場での月例杯参加である。中々100が切れずにフーフー言っている。
38.渋川動物公園
およそ3万坪の広大な園内は、来園者用の通路を舗装せず土道のままにするなど、開発を最小限に止め自然の野山の姿を残しており、来園者が動物に触れあいながら季節感を堪能することができる場を提供している。又、乗馬体験や犬の散歩体験等が実施されている。さらに園内では動物だけでなく、さくらんぼや梅、プルーン、柿など有機無農薬の果樹を栽培しており、来園者に販売されている。1989年オープン。海抜150m、遊歩道の全長距離約4km。
39.王子が岳(234.4m)
渋川海岸に隣接し巨岩・奇岩が重なり合うダイナミックな眺めに加え、山頂からは瀬戸大橋の全景、瀬戸内海の多島美、対岸の四国連山のパノラマが一望でき、人によっては日本一の景観ともいう。瀬戸内海国立公園に指定されており、「おじさん岩」「にこにこ岩」「ひつじ岩」等、変わった形の岩がたくさんある。パラグライダーのフライトポイントもありスカイスポーツも盛ん。ハイキングに最適であり、渋川港近くからの遊歩道がお勧め。頂上付近に無料駐車場が3カ所ある。(200台) 王子が岳には昔、百済姫の子どもといわれる8人の王子が住んでいた。柴坂王子、坂手王子、筈割王子、峰の王子、日の王子、錫投王子、谷の王子、瓶割王子の名が石や神社に残っており、ここを王子が岳というようになった。
40.王子窯備前焼
王子が岳の山頂で備前焼の陶芸体験ができる。陶芸作家・浜松昭夫さんの工房で、手びねりやろくろを使って形を作る。成形した作品は、登り窯で焼きあげ、後日完成した状態で送ってもらえる。 浜松さんは、全国の神社仏閣を歩き、狛犬の制作を続けていることで有名な作家である。現在は、仏像などの作品にも挑戦されており、その創作意欲は衰えることがない。
浜松さんは、芸術フェスタ2009「ウノイッチョウダイ展」において、「江戸と備前の狛犬展」を展示してくれた。
41.直島
高松市の北に約13km、玉野市の南に約3kmの位置にあり、直島を中心とした大小27島の島々で構成される。直島の南側は緑豊かな海岸となっており、瀬戸内海国立公園に指定されている。保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐国へ流される際に一旦四国上陸を拒否され、3年間を直島の泊ヶ浦(積浦)で過ごしたとされる。直島という島名は、島民の純朴さ、素直さを賞賛して上皇が命名したという言い伝えがある。 島を文化的な場所にしたいという意向で町長・三宅親連と福武書店の創業者・福武哲彦との間で意見が一致、急逝した福武哲彦の跡を継いだ福武總一郎が1987年に一帯の土地を購入。福武總一郎は「直島南部を人と文化を育てるエリアとして創生」するための「直島文化村構想」を発表し、1992年にホテル・美術館の「ベネッセハウス」建設などへと拡大する。 当初美術館は浮き気味で町民の関心も薄かったが、島全体を使った現代美術展、本村の無人の古民家を買い上げて保存・再生し、現代美術のインスタレーションの恒久展示場とする「家プロジェクト」などを重ねることで、徐々に活動が町内の理解を得られるようになり、直島でしか見られないプロジェクトや建築は国内外からの注目も集めるようになった。 アーティストの宮島達男は、家プロジェクト第1弾の「角屋」を創るに当たって町民125人を公募し、作品を構成する125個のディジタル・カウンターの明滅速度を一人一人にセッティングしてもらい、地域住民参加という手法を取ることで、現代アートという異質なものが保守的な土地に入って来ることに対する町民の反感、抵抗を払拭した。 平成16年(2004)には地中美術館、平成22年(2010)には瀬戸内国際芸術祭が開催され、李禹煥(リーウーファン)美術館が開館、本村にもカフェや民宿等ができるなど徐々に変化しつつある。
42.向島(0.74Km2、周囲4.7Km、標高80m)
直島港の向い側150mの海上にあり、直島諸島の中で最も直島に近い。先土器時代から弥生時代にかけての遺物が発見され、製塩遺跡や竪穴古墳もある。 現在、15人程が暮らしており、島には向島集会所というゲストハウスがある。又、世界的に有名なアーティスト/川俣正が向島にてプロジェクトを進行中である。
迎島集会所のURL http://mukaejima.m15.coreserver.jp/
43.京の上﨟島(キョウノジョロウジマ)のはなし(香川県直島町の無人島)
昔むかし、三宅の祖加茂の庄に、東郷太郎、加茂二郎、西郷太郎(諸説ある)という3人の兄弟があった。長兄の東郷太郎は、都で結婚したため妻は都におり、弟の加茂二郎は田舎で結婚して妻を田舎に置いていたが、この兄弟は同じ仕事を兄弟が交代で務めていたのである。従って、兄が田舎に下るときその妻は都に残り、弟が都にのぼるときその妻は田舎に残っていた。このため妻は、夫々の夫を慕いながらも次第に夫への疑いを深め、しかも二人ながら夫に会うことができなかった。思い余った二人の妻は、お互いの不幸を苦にして直島と田井の間の海に身を投げて死んだのである。里人は、これを哀れんで八浜の奥に光眼寺という一寺を建立し、丈六の観音像を安置してその菩提を弔い、女の形をした石をこの島の海辺に建てた。 この話が拡がり、ここを通る上り下りの船、不知火の築紫の人までこの島を京の女郎・鄙(ヒナ)の女郎と言うようになったというものである。(玉野市史続編)他にも悲恋悲話が伝わるこの島に現在は灯台が建っている。
44.五人ぞわい
宇野港の沖合の鳥島と京の上﨟島(ジョウロウジマ)の間にある岩礁が「五人ぞわい」と呼ばれている。潮が満ちて来ると海中に隠れるが、潮が引くと点々と黒い岩が顔を出す。ごく最近までは漁師も気味悪がって近づかなかったという。何故かというと次の伝説があるからである。 いつのころか時代がはっきりしないが、備後の鞆(とも-福山市-)の回船問屋に五人の盲人が訪れ、大阪行きの船便を待っていた。いずれも目こそ見えないが、服装も立派だし人柄も上品そうで、裕福そうに見えた。「座頭さん、どちらまでお出でですか」と聞いてみると、「私達は、何れも検校(ケンギョウ)の位を頂くため、都に上っているのです」という。その話を聞いていた一人の船頭が「座頭さん、私が大阪まで送りましょうか。船賃を奮発して下されば、今からでも送りますぜ。なあに、帰り船は大阪から荷物を積んでくることになっているんだ」という。五人の座頭にとっては、渡りに舟である。五人は喜んでこの船頭の船に乗りこみ早速鞆の港を出発、船は順風に帆をあげて東に向かって走り始めた。どの位走ったか、やがて日も暮れてきた。その内、風も凪いだのか船を操る櫓の音が静かに聞えてきた。船が揺れる度に水の音がした。船底に水が溜まったのであろう。その時、「座頭さん、すまんが船のアカを換えるから、この先の島に上がって待っていてくれんか」。座頭は素直に頷き、船頭の 手にひかれて島に上陸した。島に上がった5人の座頭は静かに打ち寄せる波の音を楽しんでいたが、いつまで待っても船頭の迎えは来ない。「船頭さんまだか」と声をかけてみたが、返事がない。「船頭さん、船頭さん。」と大声で呼んでいる内に潮が足元を濡らし始めた。騙されたと知った五人は声を限りに助けを求めたが、辺りにはもう船の姿はない。次第に満ちてくる水は足から腹へ、腹から胸へと高くなり、お互いに離れまいとして抱き合った五人の座頭はついに海中に没して、海の藻屑と消えたのである。 この辺りでは、雨の夜などにこの海を通ると、海の底から話し声が聞こえすすり泣く声が聞こえるといって漁師たちは近寄らないし、ときには、三つ四つ海面に黒々と現われた岩の上を火の玉がぐるぐると飛びまわることがあるという。又一説には、この五人の座頭のうち一人だけは田井の海岸に打ち上げられ、親切な村人の介抱によって生き返った。やがて、高野山に登って四人の墓を建て、その菩提を弔ったという。かつて、直島の漁師がこのそわいに潜ってみると岩の間に無数の白骨が折り重なってあったとか、気味の悪い噂もある。
45.喜兵衛島と師楽式土器製塩(香川県直島町の無人島)
近藤義郎岡山大名誉教授を中心とする調査団によって、喜兵衛島が昭和29年(1954)3月から同41年(1966)まで断続的に調査された。その結果、浜に散乱、又土器層をなすなどの大量の土器片は、昭和の初めに邑久郡牛窓町(現瀬戸内市)師楽遺跡の発掘調査で正体不明なままに命名された師楽式土器であり、製塩に使用された土器であると結論づけた。 喜兵衛島では、主に6世紀から7世紀初頭の土器製塩が調査された。師楽式土器出土地は、市内南岸の各地にあるが、ことに番田大入崎の南側、山田品の作、原、出崎海岸の船越、灰出、胡磨の浦、田井小学校付近、日の出、高辺、三井造船所構内、深井、宮田山麓などに多く発見される。
8回にわたって紹介したクルーズ案内資料は、主に下記に示す文献を参照して作成したが、写真の大部分は、今回クルーズ資料作成のためにサッキー自身が現地に赴いて撮ったものである。
今回作成したクルーズ案内資料は、クルーズ乗船者全員に紙データとして配布したが、BLOGに掲載することによって、より多くの読者諸兄の参考になれば望外の喜びである。
〈参考文献・資料〉
玉野市史 玉野市史続編 玉野の文化財 玉野市遺跡一覧表 広報たまの 玉野の山歩き
三井造船株式会社75年史 玉野ロマン夜塾資料