9月14日(日)
十河隆史氏は、岡山県玉野市山田で陶工房Studio T Potteryを主宰する陶芸家。岡山大学、滋賀県陶芸の森、アメリカ北カロライナで陶芸の修行を積み、現在玉野は勿論、全国的にもブレークしそうな勢いの作家である。白、グレー、黒を基調とした素朴で温もりを感じさせる器に多くの人が惹かれる。大人しく真面目な人柄は、あらゆる人から好感を持って迎えられる。
3年前の玉野みなと芸術フェスタ2005「はなの港*アート展」では、近藤照恵さんと共にアドバイザとしてご活躍頂いた。続く2006の「おみやげアート展」でもナビゲータの真部氏と共にご活躍頂いた。大恩を感じている一人だ。
今回(9/13~21)、築港のギャラリー・サンコアで「毎日のこと」と題する陶展が行われ、久しぶりに本人と談笑できた。今後益々大きくなられる人である。ご活躍を心から願う。
2008年9月15日月曜日
どらや
9月13日(土)
芸フェスの企画検討会が終わった後、新たに宇野駅近くに出来た「どらや」という食事の店に行った。
昼は博多ラーメン(昼どら)、夜は博多モツなべ(夜どら)の、玉野に初の九州味のお目見えだ。2階の座敷に入ったら、壁にど祭りの絵がある。まさか名古屋出身の親方か(名古屋では、日本ど真ん中祭り、略して「ど祭り」がある。)と思ったら、そうではなくどうやら「どらや祭り」ということらしい。
味は中々結構だった。翌日昼にも行って、久方ぶりの九州豚骨ラーメンを食べた。これまた結構結構!
店を始めるに当たり、宇高連絡線廃止のときの写真を頂いたとかで、壁に幾つもの懐かしい写真があった。写真の人物は、アーティストの北野氏、清水氏、佐藤氏、and Sakky
9月13日
芸フェスの企画検討会が終わった後、新たに宇野駅近くに出来た「どらや」という食事の店に行った。
昼は博多ラーメン(昼どら)、夜は博多モツなべ(夜どら)の、玉野に初の九州味のお目見えだ。2階の座敷に入ったら、壁にど祭りの絵がある。まさか名古屋出身の親方か(名古屋では、日本ど真ん中祭り、略して「ど祭り」がある。)と思ったら、そうではなくどうやら「どらや祭り」ということらしい。
味は中々結構だった。翌日昼にも行って、久方ぶりの九州豚骨ラーメンを食べた。これまた結構結構!
店を始めるに当たり、宇高連絡線廃止のときの写真を頂いたとかで、壁に幾つもの懐かしい写真があった。写真の人物は、アーティストの北野氏、清水氏、佐藤氏、and Sakky
9月13日
2008年9月9日火曜日
熊本城
9月7日(日)
1607年、茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正は、当時の最先端の技術と労力を投じて名城熊本城を築城した。昨年築400周年を迎えた熊本城には、絢爛たる本丸御殿が復元されていた。
上の写真は、会議などが行われた大広間、次が食事を作っていた大御台所の天井、6階建ての天守閣、清正公が植えたと伝えられる大銀杏。夫々の説明は、公式HP(下記URL)から参照されたい。
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
熊本に生まれ、子供の頃を過ごした熊本ではあるが、熊本城の変貌振りには目を見張るものがある。歴史と文化を大切にしようとする姿勢が見られて頼もしく感じた。まちづくりとはこうあるべきなのかも。
1607年、茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正は、当時の最先端の技術と労力を投じて名城熊本城を築城した。昨年築400周年を迎えた熊本城には、絢爛たる本丸御殿が復元されていた。
上の写真は、会議などが行われた大広間、次が食事を作っていた大御台所の天井、6階建ての天守閣、清正公が植えたと伝えられる大銀杏。夫々の説明は、公式HP(下記URL)から参照されたい。
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/
熊本に生まれ、子供の頃を過ごした熊本ではあるが、熊本城の変貌振りには目を見張るものがある。歴史と文化を大切にしようとする姿勢が見られて頼もしく感じた。まちづくりとはこうあるべきなのかも。
2008年9月2日火曜日
2008年9月1日月曜日
ちち☆ばす
8月31日(日)
「ちち☆ばす」、何ともけったいな名称だが、地球発地球行きのバスという意味らしい。そのHPから、「ちち☆ばす」の生まれを紹介する。
「ちち☆ばす」、何ともけったいな名称だが、地球発地球行きのバスという意味らしい。そのHPから、「ちち☆ばす」の生まれを紹介する。
地域と都会を結びつけ、地域と地域を結びつけ、日本全国を回りながら学生も回る、海外じゃなくても学びというフィールドはいつだって平等、そして日本全国の色々な問題で困っている地域をまわりながら、学生も成長することができるものとは何かって考えた。⇒それはバス。4ヵ月後、夢みたいな日本全国を一ヶ月かけてまわりまくるバスが実際に走りました。
http://chichibus.jm.cmssquare.com/index.php?option=com_content&task=view&id=5&Itemid=6過疎の地域で何かを発見する。その地域で彼らの行動が地域の人達を動かす。そんな活動を通じて彼ら自身も楽しむ。そして成長する。そのような動機ではなかろうか。彼らがなぜ玉野を気に入り、何度も足繁く玉野を訪ねるのか。そこの所は今一分からないが、玉野で今何かが起ころうとしている、そんな楽しい出来事の予感があるのかも分からない。
偶々駅東創庫に行ったら、前の日から玉野に来ていたちち☆ばすメンバーが4人ほど休憩していた。前日は直島行きの観光客に取材をするということが新聞に載っていた。どんな結果だったのか? 創庫には玉野商業高校の生徒が作った掲示板が置いてあった。築港商店街の美味しい店の紹介など、可愛らしい情報が載せてあった。何でも書き込めるノートもあってよく考えられていた。
写真は、上からリーダーの渡邊ゆうゆう君(一橋大学)、2枚目/高木康史君(美作大学)と黄未来さん(早稲田大学)、3枚目/掲示板の前で談笑する玉野市の関係者と渡辺君ら、4枚目/掲示板にあった情報の一つ(宇野港周辺のお勧め食べ歩き紹介)
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