2008年6月17日火曜日

村上望展

6月15日(日)

今年から駅東創庫の創作作家として参加している陶芸家の村上望さん、彼女自身3回目となる個展を岡山の「カフェZ」で、6/6~15にかけて開催されていた。最終日の15日、やっと時間を見つけて鑑賞することができた。陶芸というと、十河さんの作品、藤本さんの作品、そして備前焼や有田焼など、渋い作品か優美な作品しか思い浮かばない。ところがどうだ、彼女の作品のユニークなこと。案内状のキャッチが「持っているだけでも楽しい器。思わずにっこりしてしまう器。そんなものがたりを作りました。」「ものがたりのはじまり、はじまり~」である。実に楽しい器だった。孫がきっと喜ぶだろうと、桃太郎の絵柄のお皿を買い求めた。久しぶりにいい買い物が出来たと思う。
彼女には、今年から芸術フェスタ企画検討会に参加して頂いた。きっと楽しいイベントを考えてくれることだろう。今から楽しみだ。

2008年6月16日月曜日

通り名称 in 御崎シーサイド団地

6月15日(日)

この日開催した御崎シーサイド自治会役員会で、「通り名称」の塗装スケジュールを決定した。東西方向に13の通り、南北方向に13の通りが碁盤の目のように形作られたシーサイド団地の、全ての通りに名称をつけ、写真に示すように側溝の蓋に塗装することとした。通り名称をつけることにした目的は、いざという災害に遭遇したとき、自分のいる位置や避難ルートを、分かりやすい通り名称で指し示すことが出来るようにするものである。
この団地は、日本経済が右肩上がりで伸びていた昭和49年に、岡山県玉野市の南部に位置する昔の塩田跡地(シーサイド)に造られた。当時若くしてこの団地に住みついた住民も、30数年の歳を重ね大多数が60歳を超す高齢者になってきた。又、4年前に瀬戸内沿岸を襲った高潮被害と崖崩れによる多数の死傷者を出した台風災害により、それまで安全神話のまちだった玉野市にも急激に防災意識の高まりが見られ、防災が市の重要施策となってきた。
当団地も例外ではなく、3年前に自主防災組織を立ち上げると同時に、市の補助金により防災機材も取り揃え、毎年、防災訓練も実施、市内では結構防災先進地として活動している。今回、住民の便利と安全のために「通り名称」をつけ、これを皆に知ってもらうために塗装することにしたものである。市道への塗装であることから市にも届けを出して、「結構なこと」とのお墨付きを頂いた。
団地の中心を東西に走る幹線を「シーサイド中央通り」、それより南側を順に「南1通り」、「南2通り」、北側を「北1通り」・・・。御崎公園横を南北に走る大通りを「御崎公園通り」、それより東側を順に「東1通り」・・・という具合である。今月下旬から塗装に着手、9月中ぐらいまでの期間に各役員のボランティアで、型板にスプレーを吹きかける方法で塗装することとした。役員の皆さん、ご苦労掛けますが、有難うございます。宜しくお願いします。
この通り名称が、住民の皆さん方に愛されるようになること、そして災害が起きないことを願うばかりである。

2008年6月10日火曜日

旧友会

6月9日(月)

三井造船を退職した元部長クラスのOBで組織する「旧友会玉野地区懇談会(第61回)」が、三井造船玉野事業所で開催された。旧友会は年2回開催されており、いつもは工場見学で最近の技術の進歩を見させて頂くのだが、今回は産業医/岡本先生のお話で「医療制度と健康~豊かな生活の質を求めて~」と題する講演があった。話題の後期高齢者医療制度の話など、興味尽きない講演だった。
お昼は、本クラブで美味しいご馳走を頂きながら、そこここで旧交を温める歓談が行われていた。
今回の参加者は29名だったが、昨年秋から会長となられた喜多嶋さん、玉野の副会長になられた岸本さん、造船側からは屋敷所長を初め、各部門長10名が出席された。
総務部の仲田部長と筆者との話の中で、9年後の「100周年記念事業」の一つとして、本クラブ&別館を使った「造船歴史博物館(仮称」)の設立プロジェクトに関する提案をした。概要は、このプロジェクトに「旧友会」&「OB友の会」の有志を募り、現役だけでなくOBを含めたオール三井で考えること。又、玉野市にも働きかけ玉野市全体の事業とすること。さらに、「玉野みなと芸術フェスタ実行委員会」に参加しているアーティストなども交えて、若者にも受ける現代アート感覚をコンセプトの一つに加えること。等による一大プロジェクトとしたらどうか、ということだった。仲田部長も大いに興味と賛同を示してくれた。
もしこのプロジェクトに参加することになると、益々忙しくなるが、楽しみでもある。きっと実現して欲しいものと思う。写真は、特別会議室に集まった会員、本クラブで歓談する会員のスナップ。
尚、筆者はこの会の幹事役を仰せつかっている。

2008年6月7日土曜日

平成20年度SNTJK通常総会

6月7日(土)

本日、玉野産業振興ビル3階技術相談室で開催された、NPO法人スマイルネット玉情協(略称SNTJK)の平成20年度通常総会が、無事終了した。
19年度事業報告と会計収支決算が全員異議なく議決され、20年度事業計画&収支予算が報告された。「IT」と「まちおこし」を2本柱とする我がNPO法人は、最近、しばしば新聞やテレビに出ることが多く、岡山県内では結構有名になってきている。しかしながら、実態は利益を生む事業が極めて少なく、財政的には非常に厳しい状況で、法人組織としては失格の烙印を押されても仕方ないのが現状だ。
そのような状況を打破するために、今年は、しっかり会員を増やして色んな事業に対応できるような組織体を作り上げ、名だけではなく実も伴う強い組織にして行きたいと言うことも理事長の方から表明されたし、私自身も強くそう思っている。
ということなので、理事を初め会員の皆様には、是非とも会員増強のためにご尽力をお願いします。組織を維持すると言うことは並大抵のことではないが、どのようなことがあろうとも挫けることなくやって行きたいと思う。現会員の方には何としてでも踏みとどまって、共にSNTJKを盛り上げて行って欲しいと心から願っている。今年は是非とも会員を増やし、事業拡大の礎を作りたいと思う。
総会の後に懇親会でもあると嬉しいのだが、今年は総会終了と共に散会でやや残念な気がした。写真は、総会に出席したSNTJKのメンバー。

2008年6月1日日曜日

同窓会

6月1日(日)

5/31(土)~6/1(日)の2日間、東京上野の「水月ホテル鴎外荘」で、大学の同窓会があった。昭和43年に卒業後、40周年に当たる今回、22名の参加で大いに賑わった。
既にリタイアした者、まだ現役で頑張っている者、会社を興して成功している者、夫々に功なり名遂げてとうに還暦を過ぎた者たちの集まりとは思えない、まさに学生時代そのままの気持ちで付き合える、この仲間の一員でいることの幸せを感じることが出来た2日間だった。
鴎外荘は、森鴎外がかの有名な「舞姫」を世に出し、文壇デビューした場所だとか。
写真は、鴎外が住んでいた住宅跡で、「舞姫の間」では宴会も出来るという。当日もどこかのグループの宴会の準備が行われていた。我がグループは、大広間での懇親会だったが、始まる前から相当に入っていて、かなりのメンバーがほぼ出来上がっていた。翌朝、ロビーに女将が挨拶に来たので、記念写真をパチッ。その後、上野公園にある国立科学博物館で行われていた「ダーウィン展」を見た。「進化論」を世に出した凄い科学者だったことを改めて知らされる展覧会だった。隣の国立西洋美術館にあるロダンの作品は、耐震化工事をして、貴重な資産を災害から守っているらしい。
楽しい有意義な2日間だった。次回は2年後九州での開催となる。楽しみに待ちたい。幹事さん、ご苦労様でした。これからも宜しくお願いします。

2008年5月26日月曜日

フィールドワーク(第1回)

5月25日(日)

今年6回目を迎える芸術フェスタが、昨年に続き玉野市東部の山田地区で開催される。今年の目玉の一つとして、山田地区のスポットを結ぶ散策ルート作りがある。今日は、そのスポットを歩いて探すフィールドワーク(第1回)を、まちづくり講座とフェスタ企画部会合同で行った。初回のルートは、塩のまち山田を象徴する「塩の道散策ルート」である。カフェ山田(旧味野専売支局山田出張所会議室)を起点に、サンマリン保育園、塩釜神社、跳ね橋、三五ノ燈台跡、ナイカイ塩業積出港(山田港)対岸、野崎浜海岸の岸壁通り、二〇番橋、六間川雁木、十番橋跡と約5キロの道のりを2時間半ほど掛けてゆっくり歩いた。
海岸通では、浜昼顔や名も知らぬ可憐な花がけなげに咲いていた。ルートの途中に若干手を入れないと通りにくい部分があったが、眺めは中々のものだった。ただ、散策ルートとして多くの人に紹介するには、何らかの仕掛けを作るか、距離を短くするなどの工夫が必要であると感じた。
当日は、去年石川遼君が史上最年少でツアー初優勝して一躍有名になった東児が丘マリンヒルズGCでマンシングウェアオープンKSBカップの最終戦が開かれていて、広大な野崎浜塩田跡地には数百台の車とひっきりなしに来るシャトルバスで大賑わいだった。
写真は、上から塩釜神社の凝った屋根瓦、三五ノ燈台付近で参加者をパチッ、長い長い野崎浜海岸の岸壁通り、六間川を渡るための二〇番橋際にある雁木

2008年5月21日水曜日

登檣礼

5月19日(月)

17&18の2日間、港フェスティバルでお披露目に来ていた貴婦人「海王丸」が、港を離れるに当たり、最高の敬礼である登檣礼を行った。実習生たちは一斉にマストに登り、舳先に立つリーダーの号令に合わせ、「ごきげんよう」と別れを告げた。素晴らしい眺めに思わず大きな拍手が沸いていた。