昨夜玉野市役所横の大通りで行われた「玉野まつり」~かっからか大会~に、御崎シーサイド連として参加した。チラシ情報では、おどり参加者52連2,003人だとか。傘を持って踊る連、子ども達だけの可愛い連、うちわをかざしながら踊る連、岡山のうらじゃばりに派手な化粧をした連など、どこも様々なスタイルで楽しく踊っていた。我がシーサイド連はと言うと、浴衣姿の婦人部とはっぴの男衆とで地味な正調かっからか。直ぐ後ろの連が市商高で元気いっぱいの若手連、初めから終わりまで大声張り上げてのお囃子に圧倒されまくり。それでも、30分×2回の踊りに心地よい大汗だ。合間に飲んだビールは、まっこと最高!
今年は、去年より見物客が増えているように感じたが、踊り手としても観客が多い方がうれしいものだ。参加して感じるのは、やはり踊る阿呆の方が楽しいかなということだ。今週末の土曜日(8/11)には、シーサイドで「納涼の夕べ」がある。ここでも、盆踊りとしてかっからかを踊ることにしている。
今年の芸術フェスタは、玉野の地の歌を探り歴史の検証をすることとしている。当然かっからかも対象の一つとなる。昭和48年、宮川澄夫さんと言う玉野の文化活動家が盆踊りの復興を願って「常山落城記」を作られた。その後、昭和52年に「武勇のほまれ大槌のおろち退治」、55年には「お菊明神」が出来ている。「かっからか」の今の隆盛は、宮川さんという方のこれらの物語が大きな大きな要因となったと思うし、かっからかのこれらの歌詞は、今後も玉野まつりの踊り歌として残り続けることだろう。
2 件のコメント:
初めて投稿します。「かっからか」ケーブルテレビでも毎年中継がありますね。ここから常山のことにつながるとは…私の亡き祖父、宮川澄夫の名前を書いてくださって有難うございます。覚えていてくださる方がおられて祖父もきっと喜んでいることと思います。玉野市史の編纂にもかかわり、家に遊びに行くといつも原稿用紙を広げていた様子が思い浮かびます。母も亡くなった今、祖父のことをどなたかに話したい気持ちが近年つのってきているところです。
よろしければ、何かのサークルに伺えませんでしょうか。
マリンさんへ
昨年のBLOGにコメント頂いてを書いておられたのですね。気が付きませんでした。
自己紹介にも書いていると思いますが、私は「玉野みなと芸術フェスタ実行委員会」の委員長として、毎年秋のアートイベントを続けてやっています。
毎月第2土曜日、夕方17時半から「企画検討会」をしています。次回は9月13日です。場所は、築港商店街にあるアート工房るんるん島です。もしよかったらお出かけになりませんか。お待ちしています。Sakkyより
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