9月3日
今日から、玉野みなと芸術フェスタ2011のアート活動イベント「宇野・高松アーティスト交流企画展【南北楽観主義-せとうち-】」がスタートした。
ところが、台風12号が高松と玉野を直撃、午前中に計画していた開会式を急遽中止せざるを得ない状況となった。午後からは玉野市全域に避難勧告が出たが、心配された築港地区での高潮被害もなかったようで、ホッとしているところである。
駅東創庫では、千葉尚美さんと凡土さんが2日から搬入展示をされたが、結局高松に帰ることが出来なかった。バウハウスに展示された勝木繁昌さんも同様である。又、高松に行った清水、森、加藤さんの3人も、高松のホテルに泊まらざるを得なかった。
テーマが楽観主義ということもあって、若干楽観視し過ぎたきらいがないではなかったが、最終的には安全第一で進めたことは、致し方ないこととは言え、よかったのかなと思っている。
今回のイベント開催に当たって、実行委員長としての挨拶文を作り、会場に掲示している。全文は下記のとおりである。
ご 挨 拶
= 【南北楽観主義-せとうち-】開催に当たって =
宇野と高松、近いようで遠く、ときには直ぐ近くにも感じる二つの港まち。せとうちを挟んで南北に位置する二つのまちが「宇高航路」という線で結ばれて以来、早101年の歳月が流れました。
二つのまちは、本州と四国を結ぶ人の流れ、物の流れの大動脈の基点として、多くの人々に思い出を残し、喜びだけでなく深い悲しみをも見てきました。昨年2月には、100年続いた航路の幕を閉じてしまうような出来事も起こりました。しかし、多くの方々の努力が実を結び、これから先も本四における人流・物流交通の大きな要として継続されることとなりました。
このように人々の生活に強い繋がりを持つ二つのまちではありますが、これまで共通のコンセプトに基づくイベントや祭り、或いは交流が二つのまちで同時に開催されたということを聞いたことがありません。
私たちは、今回、宇野でなければ出来ないこと、宇野だからこそ出来ることは何かということから、宇高航路に着目しました。そこで、高松との連携が出来ないだろうかと考え、宇野と高松のアーティストが相互に交流して行う宇野・高松アーティスト交流企画展【南北楽観主義-せとうち-】を、二つのまちで同時に開催することとしました。
この【南北楽観主義-せとうち-】は、宇野側の作家は高松で、高松側の作家は宇野で作品を展示する、せとうちを挟む南北アーティストによる交流プログラムです。
この企画は、作家個人のネットワークに加え、ギャラリーや企業などの協力を得て、異なる南北の土地で活動する作家の交流・交換展を開催することで、各団体の交流を活発化するとともに芸術活動の理解や意識を深めることを目的としています。
「玉野みなと芸術フェスタ」は今年9年目を迎えますが、他県との連携による企画は初めての試みです。9月3日から11日迄の僅か9日間ではありますが、どうか本四を結ぶ作家たちの力強い作品を、この機会に是非鑑賞していただきたいと思います。私共は、この企画を契機に、将来的には宇高のみならずより広い範囲の南北に繋がってゆくことを心から願っています。
最後になりましたが、この交流展開催に当たりましては、財団法人福武教育文化振興財団の助成を頂き、高松丸亀町商店会のギャラリーsottoprodotto、駅東創庫、ギャラリーSans quoi、及び玉野市文化会館の関係者を始め、多くの方々のご支援・ご協力・ご協賛を得て開催出来ることとなりました。
ここに深甚なる感謝の念を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
平成23年9月
玉野みなと芸術フェスタ2011実行委員会
実行委員長 斉 藤 章 夫
写真は上から、駅東創庫に掲示された入口ポスター、駅東創庫で「私波止場で泣いてます」の展示準備をする凡土さん、バウハウスで「芸術生活によるつじつま-trap-」の展示準備をするスタッフ、4枚目は今日の大当たりで開会式が中止になった「つじつま」とは何かを書いてくれた柴田さん。実は彼女に今日の開会式の司会をお願いしていたのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿