7月26日(土)
私が住む御崎シーサイド自治会では、毎年8月11日に「納涼の夕べ」を開催し、一年間に没した方のご冥福を祈るという意味を込めて、盆踊り(かっからか)を踊っている。昨年は、300人もの方が参加された。
一方、玉野市の夏まつり(玉野まつり)は、毎年8月第1土曜~日曜に開催される。今年は、8月2日(土)に盆踊り(かっからか)、3日(日)に花火大会が行われる。
我がシーサイド自治会も婦人部を中心に、毎年参加している。文体部長の西浦氏がいつも熱心に子供達に太鼓の指導をされているが、今年は子供たちも玉野まつりに参加するという。初めてのことと思う。本日、山田でのフィールドワーク終了後、御崎公園での踊りの稽古(午後7時スタート)に、私も参加した。1年経つとステップを忘れてしまっているが、直ぐに思い出した。今年も熱く愉快に踊れるかな。
花火大会は、漁協の反対でここ2年間開催されなかったが、3年ぶりの開催とのこと。きっとこの日は、市外からの観客も大勢で賑わうことだろう。
7月29日(火)には、近くの御前神社で「輪くぐり祭」が行われる。残念ながら、この日は名古屋にいて、参加できない。
2008年7月28日月曜日
塩田小噺(えんでんこばなし)
7月26日(土)
岡山県玉野市山田に、かって東野崎浜という塩田があった。塩は、現在イオン交換膜法という製法で作られている。多くの浜子たちで賑わっていた広大な塩田も、今は年に一度のマンシングウェアオープン・ゴルフコンペ(東児が丘マリンヒルズゴルフクラブで開催)の臨時駐車場として使われる以外用のない土地となっている。(今年も石川遼君目当てのギャラリーが数万人集まり、凄い車の量だった。塩田跡地がなかったら、ホントにどこに停めるんだろう?)
その塩田で働いていた浜子の生き証人・村上氏(上の写真の右、左はまちづくり講座の大西さん)から、塩田を主題とした創作狂言の題材を見つけたいとカフェ山田に集まり、面白い話の種を聴くこととした。聴いた話の幾つかを紹介する。
・頭に石をぶつけると、カンという音を立てていたお地蔵さんがあった。そこでそのお地蔵さん、カンカン地蔵という名がついたそうな。(まさか、石ぶつけられてカンカンに怒ったからでは?)
・家路の途中で、胸上の色キチ女に出会った。びっくりして逃げたが、川の橋(跳ね橋)が丁度横向いていて渡れない。エイッとばかりに飛んだまではよかったが、橋の向こうに届かず川にドブン。しこたま腰を打って、イテテテ。
・17番(墓場)にはお化けやこじき、夜鷹が出るというんで、塩田をゴウトウ(土地の名前)から10番に斜めに横切って、遠回りして帰っていた。(ひょっとして強盗も出た?)
・浜子は、金がなくても生活できた。給料の他に、米(1日9合)や味噌醤油も支給されていた。余った米で野菜との物々交換もできた。塩田作業に必要な備品は、全て支給されていた。魚は、よく獲れていた。衣服だけは、自分で買っていたらしい。(酒場通いや女郎買いさえしなければ、確かに生活は出来ていた?)
色んな話の中から狂言用の面白いストーリーを作りたいとは思うが・・・。
村上氏の話が終わった後、山田のフィールドワークに初めて参加する陶芸家の村上望さん(村上氏の孫ではない)のために、野崎浜塩田まで足を伸ばした。彼女は、楽しい絵柄の陶器を作っており、駅東創庫にアトリエを構えている新進気鋭の作家である(6月15日のBLOGご参照)。今回計画している山田散策ルートの拠点に設置したいと考えている目印に彼女の陶板MAPを置いたらどうかと、ナビゲータの清水氏から提案があって、今回参加して頂いた。
2枚目の写真・当日の参加者(他に3名参加)。3枚目の写真・東野崎浜の鎮守の森に作られた「浜山」の頂上から地図を片手に塩田を眺める村上望さん。4枚目の写真・鎮守の森の向うに見える工場は、最新式製塩法を採用したナイカイ塩業本社工場。
岡山県玉野市山田に、かって東野崎浜という塩田があった。塩は、現在イオン交換膜法という製法で作られている。多くの浜子たちで賑わっていた広大な塩田も、今は年に一度のマンシングウェアオープン・ゴルフコンペ(東児が丘マリンヒルズゴルフクラブで開催)の臨時駐車場として使われる以外用のない土地となっている。(今年も石川遼君目当てのギャラリーが数万人集まり、凄い車の量だった。塩田跡地がなかったら、ホントにどこに停めるんだろう?)
その塩田で働いていた浜子の生き証人・村上氏(上の写真の右、左はまちづくり講座の大西さん)から、塩田を主題とした創作狂言の題材を見つけたいとカフェ山田に集まり、面白い話の種を聴くこととした。聴いた話の幾つかを紹介する。
・頭に石をぶつけると、カンという音を立てていたお地蔵さんがあった。そこでそのお地蔵さん、カンカン地蔵という名がついたそうな。(まさか、石ぶつけられてカンカンに怒ったからでは?)
・家路の途中で、胸上の色キチ女に出会った。びっくりして逃げたが、川の橋(跳ね橋)が丁度横向いていて渡れない。エイッとばかりに飛んだまではよかったが、橋の向こうに届かず川にドブン。しこたま腰を打って、イテテテ。
・17番(墓場)にはお化けやこじき、夜鷹が出るというんで、塩田をゴウトウ(土地の名前)から10番に斜めに横切って、遠回りして帰っていた。(ひょっとして強盗も出た?)
・浜子は、金がなくても生活できた。給料の他に、米(1日9合)や味噌醤油も支給されていた。余った米で野菜との物々交換もできた。塩田作業に必要な備品は、全て支給されていた。魚は、よく獲れていた。衣服だけは、自分で買っていたらしい。(酒場通いや女郎買いさえしなければ、確かに生活は出来ていた?)
色んな話の中から狂言用の面白いストーリーを作りたいとは思うが・・・。
村上氏の話が終わった後、山田のフィールドワークに初めて参加する陶芸家の村上望さん(村上氏の孫ではない)のために、野崎浜塩田まで足を伸ばした。彼女は、楽しい絵柄の陶器を作っており、駅東創庫にアトリエを構えている新進気鋭の作家である(6月15日のBLOGご参照)。今回計画している山田散策ルートの拠点に設置したいと考えている目印に彼女の陶板MAPを置いたらどうかと、ナビゲータの清水氏から提案があって、今回参加して頂いた。
2枚目の写真・当日の参加者(他に3名参加)。3枚目の写真・東野崎浜の鎮守の森に作られた「浜山」の頂上から地図を片手に塩田を眺める村上望さん。4枚目の写真・鎮守の森の向うに見える工場は、最新式製塩法を採用したナイカイ塩業本社工場。
2008年7月21日月曜日
駅東創庫で
7月21日(月)
岡山県玉野市にあるアート体験工房「駅東創庫」代表の高嶋幸市氏が、山陽新聞の45,000号記念特集(下の写真)を読んでないというので、持参した。記事では岡山県内各地区で最近目を見張るような面白い出来事を特集していた。備前地区では、犬島アート、甲冑修理技術、それに駅東創庫などが掲載されていた。
創庫に岡山商科大学付属高校の小山実教諭が居られた。初めてお会いしたが、話を聞くと山田の方らしい。学校では、工業技術の実習を担当されているとのこと。毎年渋川海岸でやっている清掃ロボットコンテストも彼が主催でやっているとのこと。
彼いわく、「今ここに、はまっている」と。よほど駅東創庫が気に入ったのだろう。高嶋氏とも相当に古いお付き合いだとか。ものづくりもアートも根源は同じ匠の技なのだろうから、気に入るのは当然なのかも知れない。芸術フェスタは今年も山田での開催だ。芸術フェスタで計画している散策ルートの拠点に何か面白い工業作品を展示してくれると有難いと思うが・・・
写真は、山陽新聞記事の一部(記事がでかくてA4スキャナに収まらない)と、創庫で思索にふける(?)小山教諭。
岡山県玉野市にあるアート体験工房「駅東創庫」代表の高嶋幸市氏が、山陽新聞の45,000号記念特集(下の写真)を読んでないというので、持参した。記事では岡山県内各地区で最近目を見張るような面白い出来事を特集していた。備前地区では、犬島アート、甲冑修理技術、それに駅東創庫などが掲載されていた。
創庫に岡山商科大学付属高校の小山実教諭が居られた。初めてお会いしたが、話を聞くと山田の方らしい。学校では、工業技術の実習を担当されているとのこと。毎年渋川海岸でやっている清掃ロボットコンテストも彼が主催でやっているとのこと。
彼いわく、「今ここに、はまっている」と。よほど駅東創庫が気に入ったのだろう。高嶋氏とも相当に古いお付き合いだとか。ものづくりもアートも根源は同じ匠の技なのだろうから、気に入るのは当然なのかも知れない。芸術フェスタは今年も山田での開催だ。芸術フェスタで計画している散策ルートの拠点に何か面白い工業作品を展示してくれると有難いと思うが・・・
写真は、山陽新聞記事の一部(記事がでかくてA4スキャナに収まらない)と、創庫で思索にふける(?)小山教諭。
ハワイの美術家
7月20日(日)
ハワイの美術家/イズミ・森信子さんと言う方が、岡山県玉野市を訪れ駅東創庫とアート工房るんるん島を視察された。
JR宇野往きの車中で偶々下川さん(とんぼ玉クラブ会員)と隣合せになり、下川さんの案内で視察されることになったとのこと。私が連絡を受けたのは、これも偶々宇野駅で名古屋往きのJRチケットを購入しようとしていたとき(午後5時ごろ)だった。直ぐに駅東創庫に出向き、暫くお話させて頂いた。この日6時から自治会役員会があって、るんるん島までのご案内は出来なかったが、いいお話を伺った。
ハワイに住んで30年になるという。時々日本に来て、日本の新しい芸術家を発掘、紹介しておられるらしい。今回は直島にも取材に行かれることだろうが、玉野の芸術文化の現状をアメリカでも紹介してくれたらうれしい。駅東創庫には、大変感心されていたし、芸術フェスタの取り組みにも興味を示されていた。すごいエネルギッシュな方だ。いいタイミングでお会いできよかった。
ハワイでは、大学、高校、小中学などで芸術文化に関する講義や研究発表をされているとのこと。きっと玉野での体験もお話して頂ける、かな?
写真は、高嶋さんの工房をカメラに収めて確認されているイズミ・森信子さん。
彼女のことが書かれているサイトを発見した。
http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/report/overseas/america/post_17.shtml
ハワイの美術家/イズミ・森信子さんと言う方が、岡山県玉野市を訪れ駅東創庫とアート工房るんるん島を視察された。
JR宇野往きの車中で偶々下川さん(とんぼ玉クラブ会員)と隣合せになり、下川さんの案内で視察されることになったとのこと。私が連絡を受けたのは、これも偶々宇野駅で名古屋往きのJRチケットを購入しようとしていたとき(午後5時ごろ)だった。直ぐに駅東創庫に出向き、暫くお話させて頂いた。この日6時から自治会役員会があって、るんるん島までのご案内は出来なかったが、いいお話を伺った。
ハワイに住んで30年になるという。時々日本に来て、日本の新しい芸術家を発掘、紹介しておられるらしい。今回は直島にも取材に行かれることだろうが、玉野の芸術文化の現状をアメリカでも紹介してくれたらうれしい。駅東創庫には、大変感心されていたし、芸術フェスタの取り組みにも興味を示されていた。すごいエネルギッシュな方だ。いいタイミングでお会いできよかった。
ハワイでは、大学、高校、小中学などで芸術文化に関する講義や研究発表をされているとのこと。きっと玉野での体験もお話して頂ける、かな?
写真は、高嶋さんの工房をカメラに収めて確認されているイズミ・森信子さん。
彼女のことが書かれているサイトを発見した。
http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/report/overseas/america/post_17.shtml
2008年7月19日土曜日
ぱしふぃっくびいなす、宇野港へ寄る
7月19日(日)
総トン数26,561トン、旅客定員644人、乗組員220人の豪華客船“ぱしふぃっくびいなす”が、クルーズの途中宇野港に寄港した。就航後10年経ったと思えないほど姿の美しいクルーズ船である。
宇野港は、平成18年に巨費を投じて大型客船バースが建設され、それ以来このような大型客船が時々寄港するようになった。市長を初めとした関係者の努力のお陰で、寄港する客船の数も少しずつ増えているようである。クルーズ客が即倉敷や岡山にスルーするだけでなく、宇野港でも楽しく遊べるようになるといいが、まだまだだ。今夜、宇野港ではキャンドルサービスでクルーズ客のお出迎えとか、関係者の皆さんの努力に敬意を払いたい。
玉野みなと芸術フェスタも、その原点は宇野港の活性化であり、クルーズ客が宇野港でも遊べるようなロマンチックな港にすることだった。今、アートに理解の深い宇野港土地さんのお力添えで、宇野港近くに駅東創庫が出来、その周辺も少しずつ整備されようとしている。創庫のスタッフ佐藤氏と清水氏が作った「方舟」は、宇野港を飾り、訪問者に港への想いなどを書いた札を取り付けることが出来るようになっている。その方舟とこの豪華客船とを重ねて写真を撮った。思いを重ねたいとの思いで。
宇野港が真に魅力ある港になるには、まだまだ多くの歳月と努力、それとやはり最後はお金が必要なのかなと思う。
総トン数26,561トン、旅客定員644人、乗組員220人の豪華客船“ぱしふぃっくびいなす”が、クルーズの途中宇野港に寄港した。就航後10年経ったと思えないほど姿の美しいクルーズ船である。
宇野港は、平成18年に巨費を投じて大型客船バースが建設され、それ以来このような大型客船が時々寄港するようになった。市長を初めとした関係者の努力のお陰で、寄港する客船の数も少しずつ増えているようである。クルーズ客が即倉敷や岡山にスルーするだけでなく、宇野港でも楽しく遊べるようになるといいが、まだまだだ。今夜、宇野港ではキャンドルサービスでクルーズ客のお出迎えとか、関係者の皆さんの努力に敬意を払いたい。
玉野みなと芸術フェスタも、その原点は宇野港の活性化であり、クルーズ客が宇野港でも遊べるようなロマンチックな港にすることだった。今、アートに理解の深い宇野港土地さんのお力添えで、宇野港近くに駅東創庫が出来、その周辺も少しずつ整備されようとしている。創庫のスタッフ佐藤氏と清水氏が作った「方舟」は、宇野港を飾り、訪問者に港への想いなどを書いた札を取り付けることが出来るようになっている。その方舟とこの豪華客船とを重ねて写真を撮った。思いを重ねたいとの思いで。
宇野港が真に魅力ある港になるには、まだまだ多くの歳月と努力、それとやはり最後はお金が必要なのかなと思う。
2008年7月13日日曜日
狂言の稽古風景見学
7月12日(土)
毎月第2土曜日、岡山市北公民館で行われているという狂言の見学に行った。メンバーは、山田地区の方3名、芸フェス&SNTJKが6名の計9名だ。
先生は、笠岡の狂言師田賀屋氏。お弟子さんが次々と現れ、種々の狂言の台詞回し、所作のご指導をされていた。歩き方一つをとっても、形式美を重んじる芸能である。口上も独特で、慣れるには相応の稽古が必要であろう。暑い中、汗だくでの稽古風景だったが、狂言は単調な話の中に可笑しさがあり、内容によっては受ける芸能という感じがした。我が山田地区でも、何とか出来る可能性ゼロではないという感触を得た。
帰りに堀口華江さんの個展が、「さらさ」というギャラリーで開催されていて、覗いてきた。どの作品も美しい、吹きガラスとは思えない秀作だった。
さらに夜、芸フェス企画検討会を行い、その後久しぶりに暑気払いで夕食をともにした。元気出たところでみんなでカラオケに挑戦した。充実した多忙な一日だった。
毎月第2土曜日、岡山市北公民館で行われているという狂言の見学に行った。メンバーは、山田地区の方3名、芸フェス&SNTJKが6名の計9名だ。
先生は、笠岡の狂言師田賀屋氏。お弟子さんが次々と現れ、種々の狂言の台詞回し、所作のご指導をされていた。歩き方一つをとっても、形式美を重んじる芸能である。口上も独特で、慣れるには相応の稽古が必要であろう。暑い中、汗だくでの稽古風景だったが、狂言は単調な話の中に可笑しさがあり、内容によっては受ける芸能という感じがした。我が山田地区でも、何とか出来る可能性ゼロではないという感触を得た。
帰りに堀口華江さんの個展が、「さらさ」というギャラリーで開催されていて、覗いてきた。どの作品も美しい、吹きガラスとは思えない秀作だった。
さらに夜、芸フェス企画検討会を行い、その後久しぶりに暑気払いで夕食をともにした。元気出たところでみんなでカラオケに挑戦した。充実した多忙な一日だった。
2008年7月6日日曜日
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