7月26日(土)
岡山県玉野市山田に、かって東野崎浜という塩田があった。塩は、現在イオン交換膜法という製法で作られている。多くの浜子たちで賑わっていた広大な塩田も、今は年に一度のマンシングウェアオープン・ゴルフコンペ(東児が丘マリンヒルズゴルフクラブで開催)の臨時駐車場として使われる以外用のない土地となっている。(今年も石川遼君目当てのギャラリーが数万人集まり、凄い車の量だった。塩田跡地がなかったら、ホントにどこに停めるんだろう?)
その塩田で働いていた浜子の生き証人・村上氏(上の写真の右、左はまちづくり講座の大西さん)から、塩田を主題とした創作狂言の題材を見つけたいとカフェ山田に集まり、面白い話の種を聴くこととした。聴いた話の幾つかを紹介する。
・頭に石をぶつけると、カンという音を立てていたお地蔵さんがあった。そこでそのお地蔵さん、カンカン地蔵という名がついたそうな。(まさか、石ぶつけられてカンカンに怒ったからでは?)
・家路の途中で、胸上の色キチ女に出会った。びっくりして逃げたが、川の橋(跳ね橋)が丁度横向いていて渡れない。エイッとばかりに飛んだまではよかったが、橋の向こうに届かず川にドブン。しこたま腰を打って、イテテテ。
・17番(墓場)にはお化けやこじき、夜鷹が出るというんで、塩田をゴウトウ(土地の名前)から10番に斜めに横切って、遠回りして帰っていた。(ひょっとして強盗も出た?)
・浜子は、金がなくても生活できた。給料の他に、米(1日9合)や味噌醤油も支給されていた。余った米で野菜との物々交換もできた。塩田作業に必要な備品は、全て支給されていた。魚は、よく獲れていた。衣服だけは、自分で買っていたらしい。(酒場通いや女郎買いさえしなければ、確かに生活は出来ていた?)
色んな話の中から狂言用の面白いストーリーを作りたいとは思うが・・・。
村上氏の話が終わった後、山田のフィールドワークに初めて参加する陶芸家の村上望さん(村上氏の孫ではない)のために、野崎浜塩田まで足を伸ばした。彼女は、楽しい絵柄の陶器を作っており、駅東創庫にアトリエを構えている新進気鋭の作家である(6月15日のBLOGご参照)。今回計画している山田散策ルートの拠点に設置したいと考えている目印に彼女の陶板MAPを置いたらどうかと、ナビゲータの清水氏から提案があって、今回参加して頂いた。
2枚目の写真・当日の参加者(他に3名参加)。3枚目の写真・東野崎浜の鎮守の森に作られた「浜山」の頂上から地図を片手に塩田を眺める村上望さん。4枚目の写真・鎮守の森の向うに見える工場は、最新式製塩法を採用したナイカイ塩業本社工場。
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