1月17日(日)
1995年(平成7年)のこの日明け方、阪神・淡路大震災が起こった。
6,434名もの死者を出すという、阪神・淡路地区を襲った戦後最大最悪の大震災であった。当時、サッキーは新潟県でJR東日本の新津車両新造工場の第2期工事(E217系電車製造設備工事)に入ったところであった。
神戸市長田区がご自宅のプロジェクトマネージャー/Yo氏は、この日(火曜日)から三井造船玉野事業所を見学するJR東日本の社員を案内するため、前日(ハッピーマンデーの月曜日)から神戸の自宅に帰っておられた。ぐっすり寝込んでいた夜明け、かなり長い振動の揺れが襲ったそうだ。隣に寝ていた奥さんをかばいながら、揺れが収まるまでじっと堪えていたそうだ。非常に怖い揺れだったそうである。幸い家が倒壊することはなかったが、近所には傾きかけた家も相当にあったようだ。
阪神地区の交通は遮断され、当然のことながら岡山県にある三井造船の工場見学は中止。Yo氏も交通遮断のせいだけでなく家の修復とか近所の手助けとかで、この日から1ヶ月近く新潟に戻ることはできなかった。我が家の玉野でも震度4くらいの揺れがあったらしいが、何も被害はなかった。
写真上は、その年か前年に妙高高原杉の原スキー場で撮ったYo氏(右端)の勇姿。因みにその隣の若い二人は、サッキーの息子と娘である。左の二人は、構体工場の作業標準を作ったS氏と現地工事作業所長のYa氏。15年経った今も皆元気に活躍している。
写真下は、プロジェクトが始まって1年後の1992年、JR側のプロジェクト責任者K氏(後に初代制作所長)、生産管理担当のH氏(JR側プロジェクトのキーマン)等3名を迎えて工場見学をした時のもの。Yo氏は左から二人目、サッキーは右端。D/E工場前には、山下勇氏の揮毫「自啓不息」(自ら啓きて息(や)まず)の石碑が建っている。
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