2009年7月15日水曜日

自啓ノート(7) ~プロとプロ意識~

2007年9月14日

長い長い残暑がやっと終わり、涼しい日が続くようになり、ホッとしている。
暑い夏に溜まった疲れが出始める頃だ。かく言うサッキーも若干の変調を来たしたように感じたので、少し長めに寝たらよくなった。疲れを取り体調を正常に維持するのは、やはり睡眠が一番だな。
9月17日(月)、「敬老の日」がある。連休となって喜ぶ人も多いかも知れない。
敬老の日は、兵庫県野間谷村の村長が昭和22年に提唱した「としよりの日」が始まりだそうだ。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期で気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いた。これが昭和25年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がって行った。その後、昭和39年に「老人の日」と改称され、昭和41年に国民の祝日「敬老の日」となった。平成13年のハッピーマンデー制度の適用によって、同15年からは9月第3月曜日となった。老人福祉法では、「国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促すため、老人の日及び老人週間を設ける」として、9月15日を「老人の日」、同日から21日までの1週間を「老人週間」と定めている。

さて今日は、「プロとプロ意識」ということについて考えてみたい。
そもそも「プロ(プロフェッショナル)」とは何だろうか?一言で言えば「その技で飯を食っていけること」と言うことだろう。一流のプロとなれば、沢山のお金を積んでも雇いたくなるもの。今年、入札金と契約金を合わせて1億㌦以上もの大金でボストンレッドソックスに行った松坂投手等は、言ってみればプロ中のプロということが出来る。人並み優れた才能にも恵まれてはいるだろうが、人の数十倍もの鍛錬と努力を続けていることと思う。彼のような人は、プロ意識というものを持たなくても、一流のプロと認められ続けることが自分自身のアイデンティティであり勲章だろうから、努力を続けるのは当たり前のことなのだ。
そう考えると、「プロ意識」という言葉は、プロでない人がプロを目指そうとして努力するときの言葉なのだと思う。凡人である私たちには、一流のプロのような才能には恵まれていない。でも、相応の努力をすることによって、一流とまではいかなくとも、それなりのプロになることは出来るように思う。そこに「プロ意識」というものが生まれ、自分を高めたいという気持ちを持つようになるのではないだろうか。
どんな患者さんからも「あの人にお願いしたい」とお呼びのかかるような看護師、どうせ手術が必要ならあの先生に執刀してもらいたいと言ってもらえる、そんな外科医。そのような立場に立ち且つ認められるスタッフ、それが病院という業界でのプロではないかと思う。
見ている方も多いかと思うが、NHKの火曜午後10時、「プロフェッショナル」という番組がある。私も時間があれば必ず見るようにしているが、色んなプロがいるもんだと驚かされることがある。そこに出演された方のプロフェッショナルに対する考えを幾つか紹介する。
パティシエ/杉野英実氏「永遠の未完成でいたいと思っている。だから、今日よりも明日、明日よりも又その次の日がもっと美味しいお菓子が出来るように、諦めないで自分を高めて行きたい。それがプロですかね。」
小児心臓外科医/佐野俊二氏「誇りと責任です。誇りを持たないといけない。誇りだけで責任が取れない人はだめです。それをしようと思えば、やっぱり努力しないといけない。」
商品企画部長/佐藤章氏「やっぱり愛情がある人だと思います。テクニカルなプロじゃあだめなんですよね。だから人の気持ちの中に入っていける、その中に入っていける事が出来る人ってやっぱりプロ。」
時々、自分で「私はプロ」と口に出す人がいるが、他の人に認められてこそ初めて「プロ」と言えるのではないだろうか。そのためには、やはり「プロ意識」を持って真剣に努力することが大事かなと思う。

0 件のコメント: