2010年2月11日木曜日

サッキータイム ~建国記念の日~

2月11日(木)

今日は、「建国記念の日」という国民の祝日だ。
会社勤めの頃は、休みになるということだけで単純に喜んでいたような気がするが、毎日が休みとなった定年後は、いつもと変わらぬ1日の始まりである。
去年から玉野市の歴史などについて調べ出したこともあって、改めてこの日のことについて調べてみた。
これまで知らなかったことだが、この祝日の正式名は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」と間に「の」が入るということだった。この日の制定までには、かなりの曲折があったようだが、なぜ間に「の」が入ったのか?いきさつは次のようなことだったらしい。

「建国記念の日」2月11日は、戦前まで「紀元節」という祝日であった。紀元節は、「日本書紀」に記載の初代天皇・神武天皇の即位を祝う祝日として1872(明治5)年に制定され、戦後の1948年(昭和23年)に廃止された。
紀元節の復活に向けた動きは、サンフランシスコ講和条約のなった1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)には自民党議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第一党の社会党が「建国記念日」の制定を「神武天皇即位の年月は、科学的に根拠が薄弱」「神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争に利用され、日本の進路を誤まらせた」と批判して反対、審議未了廃案となった。
その後、「建国記念日」の設置法案は、9回の提出と廃案を繰り返したが、成立には至らなかった。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として、建国されたという事象そのものを記念する日であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定は各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)、「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立した。
同改正法では、「建国記念の日は、政令で定めることとし、趣旨は建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定めた。その後、学識経験者等からなる建国記念日審議会での、約半年の審議を経て、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が同年末に提出された。佐藤内閣は「建国記念の日は2月11日とする」とした「建国記念の日となる日を定める政令」を定めて公布、即日施行した。

よく考えてみると、日本の国がいつできた(建国された)のかなど、誰にも分からないしどのような考えに基づいて決めるのかによって、どうにでもなることかもしれない。いざなぎ・いざなみが日本の国土を作ったと言っても、それは神話の世界のことであるし、卑弥呼の邪馬台国にしても大和王権にしても、その成立過程は、決してはっきりしているとは思えない。
とするなら、民主化された戦後に基礎をおいた考えで新たな建国の日としても、何ら差し支えないのではないだろうか?
例えば、終戦を迎えた8月15日を新たな建国のスタート日としてもいいように思うし、新憲法が公布された11月3日を建国記念の日とするもよい。この日は文化の日と被るが・・・。8月15日は、お盆の中日であり、多くの会社で休みにしている。この日を祝日とすれば、他にもありがたがる人は多いのかもしれない。個人的には、この日を祝日とすることが望ましいと思う。

それと、この法律の趣旨として「建国をしのび、国を愛する心を養う」とされているが、後半はなるほどとよく理解できるが、前半の建国をしのぶとはどういうことか理解に苦しむ。
よく亡くなった人を懐かしんで開く会合のことを「・・・さんを偲ぶ会」などというが、建国についても苦労して国を作った人たちのことを懐かしむということなのだろうか?だとするのであれば、根拠のない2月11日を建国の日として、存在さえ有り得ないとされる神武天皇の苦労を偲ぶなんてことは、笑止の沙汰である。それよりむしろ、戦前の日本軍官僚の暴走によって、貴重な命を奪われた英霊を偲ぶ方が余程意義あることなのではないだろうか?その日に敗戦の日を充てるというのは、これまた意義深いことと思う。今からでは遅いかもしれないが、出来うる事なら変えた方がいいと思うのはサッキーだけだろうか?
実は、サッキーの長兄も昭和19年1月に応召され、訓練を終えたその年の8月、佐世保から軍艦に乗って南方に向かう途中、フィリピン沖で戦死したという。靖国神社に英霊の一人として祀られているのだ。サッキーはまだ1歳の赤子だった。

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