2月13日
この日の山陽新聞に、標題の記事が載った。国道フェリーと四国フェリーの2社が同時に、3月26日をもって航路の廃止を決定したというニュースだ。
1910年6月12日、宇高連絡船就航以来100年目を迎えるこの年、宇高航路が終幕を迎えるのは何とも皮肉な巡り合わせといわざるを得ない。昨年の土日高速道路1,000円による大きな影響、民主党政権による高速道路無料化の動きから見て、今後の展望が開かれないとの経営判断である。既に3年間も連続大幅な赤字続きという。
大阪や東京など遠方の客が本州から高松に行くのにはJRでも高速道でも構わないと思うが、地元の客にとってはこの航路の廃止は極めて大きな影響が生じる。言ってみれば公共の足が奪われてしまったのだ。公共的に必要で経営的に成り立たないものは、地方公共団体などの行政が担うべきと思う。今回の決定は、国を始めとした行政側のそのような全体的な交通体系への動きが見えないということに業を煮やした結果なのであろう。
今回のこの決定に対する、サッキーの感想は下記の通りである。
1.企業の経済活動という視点からは?
営利活動を行う企業である以上赤字続きの経営が続けられないのは、ある意味仕方ないこと。誰にも撤退を止めることはできない。
2.公共交通機関という視点からは?
この航路だけが頼りの人の生活(人生)を突然に奪ってしまっていいのかと考えるなら、一私企業に任せることは出来ないのかもしれない。
3.必要性という視点からは?
2.に深く関係することではあるが、どうしても必要とする人は必ずいる。であるとするなら、ニーズを満足できる最低限のスペックでいいから、存続の具体的方法(税金の投入も含めて)を早急に検討すべきである。
4.観光のシンボル的存在という視点からは?
これもある意味、2と類似の視点で考えねばならないのであろう。新人流港とか24時間眠らない港とかのキャッチは使えないかもしれない。新たなキャッチが必要になる?
5.芸術フェスタとの関係という視点からは?
港がありそこに頻繁に行き交うフェリーが在るのは、絵になる風景であり是非とも存続して欲しいと願う。又、今後高松などのアーティスト仲間との交流及び関係強化を図る上でも、宇高航路の存続が強く望まれる。
写真は、何れも宇野港から見えるフェリーの光景である。この先、このようなロマンチックな写真が撮れるのは、四国汽船による直島&小豆島航路だけになる。
0 件のコメント:
コメントを投稿