2010年10月27日水曜日

サッキータイム ~瀬戸内国際芸術祭―豊島~

10月27日

7月19日に始まった芸術祭だったが、今年は色々やることがあって、この夏何もできないくらいの状態だった。秋になると芸術フェスタの準備で時間が取れない。10月も終わりに近づき、今日やっと時間が取れ、豊島にゆくこととした。
この島に渡るのは何十年ぶりのことか?おそらく5回目だと思う。産廃で有名になった島だが、元は農漁業で豊かな島だったんだと思う。これまで、キャンプ、磯釣り、会社の大宴会、地引網でこの島を訪れたことがあった。
最後の週ということと豊島美術館のオープンで、大賑わいだった。現代美術の面白さを大いに味わうことのできた1日だった。音の美術、水の美術、食の美術、平面の美術、光の美術、あらゆる要素が美術になりうることを見事に証明している。それにしても、今回のプロジェクトのスケールの巨大さには驚かされた。お金の力も確かにあるだろうが、人を突き動かす動員力はそれだけではない。企画力か?執念か?
写真は上から、フェリーから写した唐櫃港、大阪芸大「ノリとたゆたう」、戸高千代子「豊島の気配」、内田晴之「豊島彼岸花プロジェクト」、藤浩志「こんにちは藤島八十郎」の離れにある屋根裏部屋の展望台、トビアス・レーベルガー「あなたが愛するものは、あなたを泣かせもする」

2010年10月26日火曜日

サッキータイム ~わが町歴史探訪~

10月26日

11月6~7日に開催される「玉野みなと芸術フェスタ2010~たまの東街道」で、塩の道散策ルートに残る「東野﨑塩田の遺構」について説明した看板を設置することとしたが、その説明文と看板の一部を紹介する。ちょっと長いので、読むのに時間がかかるが、山田塩田の歴史がよくわかる内容なので、興味ある方は最後までどうぞ。尚、これら遺構を調査研究して看板に纏めてくれたのは、山田まちづくり講座の皆さん方である。

①塩専売庁舎
かつて山田周辺で産する塩を管轄していた専売庁舎(木造平屋建て約200㎡)で、明治41年(1908)の竣工とされる。竣工当時の名称は「専売局味野収納所山田出張所」。大蔵省の威厳を示すため、洋風建築の意匠となっている。
これ以外で全国に現存する明治期竣工の塩の専売庁舎は、兵庫県赤穂市の旧「大蔵省赤穂塩務局」(明治41年竣工)のみが知られ、両建物は希少価値の高い産業遺産といえる。
この建物は後、昭和16年(1941)頃から児島郡山田村役場として使用され、同28年(1953)から39年(1964)まで玉野市山田支所、現在は「老人憩いの家」や東地域ミニデイサロン「しおさい」など、地域住民の福祉施設として使用されている。窓枠、外壁の塗装、屋根瓦など建物の一部は修復したが、内部の窓口カウンターやガラス戸はそのままで、明治時代の官庁の趣を残している。(玄関の左脇、旧収入役室は、後から増築された。)
②繁盛していたころの山田街
この辺りに写真の橋が架かっていた。明治41年(1908)専売庁舎が落成し、当時の山田が活気に満ち溢れていたことは今も語り継がれている。
塩浜稼ぎの人々は、親方・上浜子・釜屋番・釜焚き・寄せ子・沼(ぬ)井(い)踏み等もおれば、間接的な大工・桶屋・鍛屋などの職人、土木人夫・叺(かます)の製造・石炭商、生活物資を扱う商人、輸送関係の船人・仲仕なども存在した大組織であった。船持ちも居れば荷主も居り、旅館・料理店・呉服店・雑貨店・理髪店・魚屋・肉屋・自転車屋等々みな繁盛し、大正6年(1917)には、川向いの角の所に第一合同銀行山田出張所(後に海運局山田出張所となる。)もでき、山田の街は賑わっていた。
③塩の積み出し港
かつてこの一帯に専売庁舎の倉庫群が建っていた。広い敷地内にはトロッコが走り、近隣の塩田から集められた塩は、ここで検査を受け、東側の山田港(汐入川)から各地へ積み出されていた。

④蛭子座と大黒座
塩の積み出し港(汐入川)の川向こうに、大正2年(1913)、現玉野市で初めての劇場「蛭子座」(写真中央の大屋根・建坪170坪、収容人員1,000人)ができ、後「大黒座」(蛭子座より東、大屋根の一部が写る)もできた。演劇・活動写真などの興行が常に行われ、八浜・鉾立・田井などの遠隔地からも観客が来た。「大黒座」は今も石材加工場として存在。

⑤文書庫
塩専売庁舎に付属して建てられ、公文書が保管された。煉瓦(れんが)造平屋建て・桟(さん)瓦葺(がわらぶ)き(約30㎡)。小屋組は木造トラスで、室内の壁は漆喰(しっくい)が施され、床は板の間で高床構造となっている。3ヶ所の窓と正面入口の扉は鉄製で、窓の内側に鉄格子、入口扉の内側は引き戸となっている。以上の構造・設備から、防火・防湿・防犯対策が窺える。なお、南東部の窓は後から作られたもののようである。
平成19年(2007)に、地元有志らの浄財で、屋根の雨漏り箇所と正面入口の鉄扉・窓の鉄扉の修繕が行われた。地域が誇る歴史的建造物として、現在、国の登録有形文化財の申請中である。

⑥東野﨑支店跡
ここより川沿いに少し入った所に東野﨑支店があった。事務所や倉庫があり、写真中央の大きな建物は、特別室の他、来客用の貴賓室的なものから倶楽部など、東野﨑の管理機能がここに集約されていた。昭和23年(1948)に現在地(胸上)へ移転。その後、建物は昭和30年(1955)頃、取り壊された。又、明治27年(1952)には、東野﨑気象観測所が東野﨑支店敷地内に設置された。

⑦開閉橋(はね橋・明神橋)
塩田と対岸の陸とを結ぶ橋である。竣工当初は木造。大正15年(1926)に、コンクリートに改造された。汐入川(落合川・六間川)が運河の役割を果たしていたため、船(上荷船)が通航する際、船から竿で中央部分を横にはねて開閉し、帆柱を通過させていた。
開閉橋は、ここの他、2番・10番・20番浜にも架かっていた。

⑧巡査駐在所跡
この辺りに、明治19年(1886)、当地区で初めて巡査駐在所が設置された。なお、当初山田村の内であった東野﨑は、明治8年(1875)東野﨑村となり、明治22年(1989)山田村に合併した。

⑨塩竈神社
天保9年(1838)の塩田開発に際し、陸前塩竈神社(現、宮城県塩竈市)から勧請された。
現在の拝殿は、昭和3年(1928)の竣工で、職人が丹精を込めて造った様子が、唐破風や彫刻の意匠から伝わってくる。境内には、幕末期の石造灯籠・鳥居・狛犬や明治17年(1884)に設置された東野﨑塩田の碑などが立ち並び、この地が塩田開発とともに歩んだ歴史を感じることができる。鐘楼跡の方形の基礎枠や塩田用の井戸枠なども境内に残されている。
稲荷神社については、10番浜から奉遷したものである。

⑩浜井戸の跡
かつて塩田で働く人々が、洗濯など(飲料水以外)に使用した井戸があった。塩竈神社の境内にある井戸枠(豊島石製)がそれである。
東野﨑地区の大部分は、白石に設けられた貯水池(四ノ御神社の北)より飲料水の供給を受けた。又、各塩戸は、そこから一番近い所にある井戸やよく湧き出る井戸を選んで汲みに行っていた。

⑪浜井戸の井戸枠

⑫東野﨑塩田の碑

⑬鐘楼跡
かつてここに塩田で働く人々に時を告げる、写真の鐘楼があった。

⑭樋門
馬蹄形の建造物が堤防石垣に付属している。かつて海水の取り入れ口であった。各塩戸それぞれにあり、親方は、潮の干満により石段を下りて栓を抜き差しして、堤内のダブ(海水を貯える海水池)に海水を貯え、必要に応じ塩田内の潮(ちょう)川(せん)へ海水を入れ、又排水をした。

⑮樋門
馬蹄形の建造物が堤防石垣に付属している。かつて海水の取り入れ口であった。

⑯樋門
対岸の堤防石垣に馬蹄形の建造物が付属している。かつて海水の取り入れ口であった。各塩戸それぞれにあり、親方は、潮の干満により石段を下りて栓を抜き差しして、堤内のダブ(海水を貯える海水池)に海水を貯え、必要に応じ塩田内の潮川へ海水を入れ、又排水をした。

⑰雁木
堤防石垣の表面に付属する花崗岩製の石階段。汐入川(六間川)で物資の運送等を行う船と塩田との連絡用(荷役足場)に使用された。東野﨑塩田跡には数多く雁木がみられ、汐入川が運河の役割を果たしていたことを物語る貴重な産業遺構といえる。

⑱鹹水槽
塩田の採鹹で得られた濃い塩水の「鹹水」を貯蔵しておく水槽。RC造(鉄筋コンクリート造)。道路の拡張や舗装、土地の開発等に伴い破損が見られる。ちなみに、昭和9年(1934)前後までは粘土製の坪(槽)であった。

⑲樋の輪
馬蹄形の形状から、樋の輪と思われる。改修によって、全体がコンクリートの擁壁(ようへき)に覆われている。現在は、遊漁船の繋船(けいせん)施設となっている。
樋の輪とは、海から塩浜への海水取入口に設置され、風波による樋の損傷を防ぎ、堤防補強の役割を果たした塩田遺構の一つ。樋門のある箇所を石積みで丸く囲んで、海水が自由に出入りできるようにした石堤をいう。

⑳三五の燈台
かつて三十五番浜といわれた対岸に、写真の和式灯台が建っていた。嘉永5年(1952)に設置された当初は、石造り常夜灯であった。明治初年頃に木造に改築され、大正14年(1925)以降は、別に電灯が堤防上に設置されていた。
現在、地表に見える部分では、遺構は確認できない。古写真や現存する元野﨑浜灯明台(児島)を基に復元を図り、電灯代わりに点灯を行うことになれば、運河としての風情が一層ひきたつであろう。

2010年10月14日木曜日

サッキータイム ~新作狂言「野﨑武左衛門」~

10月14日

昨年に続き、今年も新作狂言「野﨑武左衛門」を上演することとなり、その詳細が決まったので以下紹介する。

塩田王・野崎武佐衛門が開墾した東野﨑浜の製塩の歴史を後世に引き継ぎ山田・東児地区の新たな文化と地域おこしを図るために、昨年、創作狂言「野﨑武左衛門」の初公演を行った。狂言という日本古来の芸能表現を使って地区の産業発展の歴史を語り継ぎ、伝統芸能のよさを生でじっくり味わう機会を作ることは、製塩の歴史を学ぶだけでなく市民の文化レベル向上にも繋がるものである。狂言講座生一同は、今年も狂言師/田賀屋夙生氏を講師に迎え、新作狂言の上演に向け一生懸命稽古に励んでいる。
「玉野みなと芸術フェスタ2010~たまの東街道~」のイベントとして開催する「わが町歴史探訪ライブ」では、浜子唄ライブと新作狂言「野﨑武左衛門」の発表を行なう。又、宇野中学校武道場で開催する「狂言を楽しむ!Vol.3」では、新作狂言の他プロの狂言師による鬼山伏狂言「清水」を上演する。

わが町歴史探訪ライブ
・日時:11月14日(日)15:30~17:10(15:00開場)
・場所:野﨑会館(ナイカイ塩業㈱構内)
・ライブ演目:
 第1部:浜子唄ライブ 15:30~16:00
     出演:山田三味線クラブ、山田小学校児童
 第2部:入浜式塩田と新作狂言「野﨑武左衛門」の紹介 16:00~16:20 
 (休憩10分)
 第3部:新作狂言「野﨑武左衛門」 16:30~17:10
     出演:(狂言講座生)五老海正登、小野美智子、木村綾花、小坂運子、
         斉藤章夫、塩崎テツミ、田中宣史、成山よし子、野間嶺子、
         (後見)広坂武昌、(特別出演)田賀屋夙生
・入場無料

たまので狂言を楽しむ!Vol.3
・日時:11月28日(日)14:00~15:45(13:30開場)
・場所:玉野市立宇野中学校体育館(武道場)
・上演番組:
 第1部:新作狂言「野﨑武左衛門」 14:00~15:00(入浜式塩田紹介含む)
  あらすじ:秋の東野﨑浜、塩田作業の浜子たちが明晩野﨑様の肝入りで開催されるという狂言の噂をする。夕方になると、作業を終えた浜子たちは酒を酌み交わし、塩竈神社や野﨑様のことを誉めそやしながら狂言の出し物について相談していると、玉爺や浜子たちが集まり盛大な酒盛りになる。
  そこで、野﨑様の出世にあやかり「福の神」を呼び出そうということになるが・・・。
  出演:(狂言講座生)五老海正登、小野美智子、木村綾花、小坂運子、
      斉藤章夫、塩崎テツミ、田中宣史、成山よし子、野間嶺子、
      (後見)広坂武昌、(特別出演)田賀屋夙生
 (休憩15分)
 第2部:鬼山伏狂言「清水」15:15~15:45
  あらすじ:主人が太郎冠者に、茶会に使う水を汲みに行くよう言いつける。夜である上に度々行かされるのは叶わないと思った太郎冠者は、清水に行く途中に鬼が出ると言う。主人は、鬼が出ることなど子供騙しのことと、水汲み桶を渡して水を汲みに行くよう命じる。仕方なく水汲みに出かけるが、太郎冠者は鬼が出たと直ぐ帰ってきて、桶は放り出して来たという。不審に思った主人が桶を取り戻しに行くと、鬼が出てくるが・・・。
  出演:田賀屋夙生、島田洋海
・チケット:大人/前売1,500円(当日1,800円)
      中人(高校生~中学生)/前売1,000円(当日1,200円)
      ※小学生以下無料
・プレイガイド:社団法人玉野市観光協会TEL(0863)21-3486、
         メルカカウンターTEL(0863)33-9502、
         玉野市文化会館BAUHAUS TEL(0863)33-8118、
         岡山ぎんざや TEL(086)222-3244
・問合せ:玉野みなと芸術フェスタ2010実行委員会(斉藤) TEL090-5260-9057

2010年10月13日水曜日

サッキータイム ~「しあわせを招く旗プロジェクト」開催~

10月9日(土)

当日は朝から雨、恵みの雨だったのか?
70名の募集に対して、前日までの正式申し込みは、「来るよ」と口頭で言ってくれた方を除き30名。この日は、各地で運動会や秋祭りなどの行事があって、来たくても来れない人が結構居られたのだ。「雨だとすると、こちらに来る人がかなり出てくるのかな?」と、取らぬ狸の皮算用。
結果としては、受付で名前を書いてくれた人は40名。親子連れのため名簿に記載のない子供さん、遅れてきて受付をされなかった方、最後の掲揚だけを手伝ってくれた方、写真だけを撮りにこられた方、新聞取材の方、そしてこの日のイベントを手伝ってくれたスタッフの方々。そういった方々を総計すると、丁度70名くらいの数に登る。

旗づくり作業のスタートは、白い布に描かれた下絵に従って着色すべき所には色布を貼り、白いままの所は白布を貼る。又、緑と指示された所は緑色の布を貼るというもの。1㎡の分厚い布に、スーパーで廃棄されたズボンやブラウス生地を貼り布として、下絵の形状に合わせて裁断し貼りつけるだけの作業なのだが、これが結構時間が掛かる。でも皆工夫してアートな旗に仕上げていて、凄く真剣に取り組んでいた。皆初めての経験であったが、非常に面白い体験だった。
出来上がった旗は、両手を上げた招き猫の絵柄であった。7m×10mと旗が巨大すぎて、天井が低いバウハウスではやや分かりづらいという感じはあったが、よくみると招き猫の絵である。
市制70年を迎えた玉野に、しあわせが訪れることを心から願いたいものである。

写真は上から、旗の作り方を説明する主催者のアオイアツシくん、旗を作る市民の方達、2階の回廊から見た旗づくりの風景、できた旗を裏返して旗枠に結びつける参加者、最後は掲揚が無事終わった後の記念写真。そして、本日の新聞に掲載された旗プロジェクトの記事。


今日から(10/13,15&16)の3日間、この旗の下で「しあわせライブ」が開かれる。
こちらも是非楽しんでいただきたいと思う。
最後にアオイくんが作った旗のコンセプトを紹介する。

「しあわせを招く旗」キャプション          イラストレータ/アオイアツシ

・旗コンセプト
この旗は、多くの方々と力を合わせ、1m×1mの旗70枚を繋ぎ合わせて制作しました。
若い方、年配の方。市内の方、市外の方。それぞれ違った立場や環境の方々が『繋がる』ことによって完成することができた作品です。
この旗に関わって下さった方々、そして旗を見にきてくださった方々、人と人の何気ない繋がりが、その人の『しあわせ』へと繋がっていくことを願っています。そして今年、市制70周年を迎えた玉野市の、これからの『発展』へと繋がっていくことを願って。

・イラストコンセプト
招き猫は、日本人に長く愛され、時代や流行によってその形を変えています。旗に描かれたイラストは、『招き猫』をベースとして、招き猫に元々含まれている『願(がん)』に、イラストレータ/アオイアツシが頭に描いた下記のようなものをコンセプトとして描きました。

(招き猫の招く手)
招き猫は、右手が『お金』を、左手が『人』を招くと言われ、その招く手の位置が高ければ遠くから福を招くと言われています。
この旗のネコは、両手を上げて招いていますが、
「お手上げバンザイになる」、「背のびをする(欲張りすぎる)とろくなことがない」
と言われ、嫌う人もいるそうです。
そこをあえて『両手』にしたのは、「もっと背のびをしても、やりたいことに手を伸ばしてみる」
という思いを込めたからです。
積極的にいろいろ『やってみる!』ことが出来る玉野であるような、そんな思いを込めて。

(ネコの背伸び)
招き猫は、多くが座った形で福が来ることを待っています。『招く』という行為自体がそういうものであるとも言えますが、この『しあわせを招く旗』の招き猫は、しあわせを招きつつも自分から『つかみ取る』という意味も込めて、背のびをした状態で立たせました。
ネコは本来四つ足のため、二本足で立つことは不安定で、倒れる危険性もありますが、『ネコ』という生き物自体、そんなことおかまいなしに、好奇心旺盛なのでしょう。何度も何度もよくわからないことにチャレンジします。
失敗を恐れないネコのようにという願いを込めて、背伸びさせてみました。

(招き猫のよだれかけ)
招き猫のよだれかけは、子どもたちの健やかな育成を望む象徴とされています。
この旗のイラストでは、『風呂敷マント』にしてあります。子どもたちの強くなりたいという思いの象徴も込めました。

(白い招き猫)
白い招き猫は、開運・幸福。風水では素直・優しさ・親切を象徴しています。
又、招く手が輪になっています。
これは、人と人との良い繋がりが輪となって大きな力を生み出すことを願ったものです。

(かぎネコ)
しっぽが曲がったネコは、しあわせがしっぽの曲がったところに引っかかってくると言われ、縁起が良いとされています。

2010年10月5日火曜日

サッキータイム ~社会保険を考える(2)~

10月5日(火) ―社会保険各法の共通事項(その1)

社会保険にはいくつもの法律があって、同じ言葉でも夫々に定義の仕方が異なっていたり、適用範囲が違っていたり、かなり複雑となっている。各法律の目的や当事者の利害関係・責任体制の違いなどがその所以なのかもしれない。

先ず、各法律の目的を見てみよう。目的は、何れの法律も第1条に書かれる最も大事な条文で、法律の存在意義を文章化したものである。
健康保険法(第1条)・・・労働者の業務外の事由による疾病、負傷もしくは死亡または出産およびその被扶養者の疾病、負傷、死亡または出産に関して保険給付を行ない、もって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与すること。(以下健保)
国民年金法(第1条)・・・国民年金制度は、日本国憲法第25条第2項に規定する理念に基づき、老齢、障害または死亡によって国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によって防止し、もって健全な国民生活の維持および向上に寄与すること。(以下国民年金)
厚生年金保険法(第1条)・・・労働者の老齢、障害または死亡について保険給付を行ない、労働者およびその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とし、あわせて厚生年金基金がその加入員に対して行う給付に関して必要な事項を定める。(以下厚生年金)
国民健康保険法(第1条、2条)・・・国民健康保険事業の健全な運営を確保し、もって社会保障および国民保健の向上に寄与すること。
国民健康保険は、被保険者の疾病、負傷、出産または死亡に関して必要な給付を行う。(以下国保)

次に保険事故だが、これは保険制度の具体的な目的をいい、以下の保険事故が発生したとき保険給付を行う。
健保・・・業務外の事由による疾病、負傷、死亡、出産(因みに業務上または通勤による労働者の疾病、負傷、障害、死亡等に対しては、労災保険が適用される。)
国保・・・疾病、負傷、死亡、出産
高齢者医療確保法・・・疾病、負傷、死亡(以下高齢者医療)
国民年金・・・老齢、障害、死亡
厚生年金・・・老齢、障害、死亡

次に保険者についてだが、保険者とは保険を行う者のことである。各法律に規定されていることを実施運営する主体者である。
健保・・・全国健康保険協会、健康保険組合
国保・・・市町村&特別区(東京23区のこと)、国民健康保険組合
高齢者医療・・・(後期高齢者広域連合)
国民年金・・・政府
厚生年金・・・政府
船員保険法・・・全国健康保険協会
介護保険法・・・市町村&特別区
各種共済組合法・・・各種共済組合
私立学校教職員共済法・・・日本私立学校振興・共済事業団

本日はここまで

2010年10月4日月曜日

サッキータイム ~社会保険を考える(1)~

10月4日(月)―社会保険とは何だろう?

今回から暫く、健康で文化的な社会生活を送ってゆくために、非常に重要な制度である社会保険について考えてみたい。

社会保険とは、端的に言うと相互扶助の精神を社会的に制度化したものである。
社会保障という言葉があるが、これは憲法の「全ての国民は文化的な生活を営むことができる」ということを実現するための制度である。社会保障は、公的扶助(生活保護、災害扶助等)、社会保険(医療保険、年金保険、雇用保険、労災保険、介護保険等)、公衆衛生(結核、伝染病等の予防対策等)、社会福祉(児童・老人・障害者福祉等)に分類できるが、この中核をなすのが社会保険である。
つまり、社会保険とは、保険という技術を利用して、疾病、負傷、出産、失業、生涯、老齢、脂肪、要介護等といった保険事故が生じたとき、該当する人やその家族に給付を行ない、所得や医療を保障する制度である。
社会保険を保険の種類から大きく分類すると、
①医療保険(健康保険、国民健康保険、高齢者医療、船員保険、各種共済組合等)、②年金保険(厚生年金保険、国民年金、各種共済組合等)、③雇用保険(雇用)、④労災保険(労災、船員)、⑤介護保険(介護)の5つに分類できる。

さてここで、社会保険制度の動向と今後の課題について考える。
先ず、医療保険制度である。
我が国の医療制度は、全国民が健康保険や国民健康保険と言う公的保険制度に加入し、保険証で誰もが安心して医療を受けることができる「国民皆保険制度」を採用している。この仕組は、世界最高水準の平均寿命、高い保健医療水準の実現にも貢献し、国際的にも高い評価を受けている。
一方、医療費の伸びは、経済(国民所得)を上回るスピードで伸びているのだ。医療保険制度を将来に亘って安定的で持続可能なものとするためには、医療の質を確保すると同時に、制度全般にわたる構造改革が求められている。
こうした状況を踏まえ、社会保障審議会医療保険部会などに於いて、平成18年度医療制度構造改革が議論されてきた。平成18年6月の健康保険法改正では、以下のような基本方針のもと、制度の見直しが行われた。
①予防重視と医療の質の向上、効率化のための新たな取組・・・生活習慣病を中心とした疾病予防を重視し、医療計画の見直しによる総治療期間(在院日数)の短縮等の医療体制確立。⇒国と都道府県の5ヶ年計画を策定し、40歳以上を対象とした健康診断・保健指導の実施を義務付けた。
②医療費適正化に向けた総合的な対策の推進・・・医療費適正化計画に基づき、中長期的な医療費適正化を進めるとともに、公的保険給付の内容・範囲の見直し等の短期的方策を組み合わせた医療費の適正化。
③都道府県単位を軸とする医療保険者の再編統合・・・保険財政運営の適正化、地域の医療費水準に見合った保険料水準の設定のため、保険者の都道府県単位を軸とした再編・統合を推進し、保険財政の安定化、医療費適正化に資する保険者機能を強化。⇒健保の組合員以外の被保険者を管掌する全国健康保険協会を設立し、都道府県ごとに保険料を設定するなどの措置を取った。
④新たな高齢者医療制度・・・高齢者の心身の特性・生活実態等を踏まえ、新たな高齢者医療制度を創設する。つまり、75歳以上の後期高齢者の医療のあり方を考えた独立保険を創設し、65~74歳の前期高齢者については予防を重視して国保・被用者保険といった従来の制度に加入しつつ、負担の不均衡を調整する新たな財政調整制度を創設する。⇒従来の老人保健制度に代わり、平成20年4月に創設。保険料徴収は市町村が行い、財政運営は都道府県単位で全市町村が加入する広域連合が実施する。ただ、この制度は最初から老人を差別するものだとして評判が悪く、現在厚労省で再設計が行われている。

次に年金制度を巡る動向と今後の課題について考える。
サッキー自身も既に年金生活を送っているわけだが、公的年金制度は、定年を迎え職を失った高齢者、働き手を失った遺族、怪我や病気で仕事ができなくなった障害者等にとって、その生活を支えるためになくてはならない重要な制度である。公的年金受給者は、平成19年度末に約5500万人で前年比230万人増であり、年金総額は、47.7兆円となっている。
老後の生活設計の調査でも、国民の7割が公的年金を基本と考えており、高齢世帯の所得状況も年金の占める割合は7割となっており、公的年金制度はまさしく高齢者の生活の基本なのである。
しかし、少子高齢化の進行により、制度の持続性に不安が生じているのである。
公的年金制度は、「現役世代」が「年金受給世代」を支える仕組み(世代間扶養)であり、人口構造の高齢化の進行により、現役世代の負担が重くなっていくことは避けられない。このような状況下で年金給付と保険料負担のバランスをどう図っていくかということが重要な課題である。

平成16年の制度改正
従来の制度を続けていたとすると、保険料だけで従来の年金額を賄うには約倍額の保険料となるし、保険料をそのままとしたら高齢者がモラエル年金額を3~4割も減額しなければならない状況だった。これは両方共受け入れられないことであった。
そこで、①社会経済と調和した持続可能な制度の構築と制度に対する信頼の確保、②多様な生き方、働き方に対応した制度の導入を基本方針とした改革が行われた。
その主な内容は、
①に対しては、基礎年金国庫負担割合の1/2への引き上げ、財政検証の実施(少なくとも5年ごとに概ね100年の期間に亘る年金財政の検証)、保険料水準固定方式とマクロ経済スライドによる給付の自動調整の導入等。
②に対しては、在職老齢年金制度の見直し、次世代育成支援措置の拡充(育児期間中の保険料免除措置の拡充)、厚生年金の標準報酬分割制度の導入(第3号被保険者期間&離婚時の厚生年金の分割)等である。

今後の課題
今後、公的年金制度の一元化と言う問題がある。被用者年金制度として、厚生年金の他、国家公務員共済組合、地方公務員共済組合、私立学校教職員共済の3制度がある。3制度加入者は全体の13%しかなく、財政面で厳しい状況になることが予想されたため、昭和59年に、平成7年を目処に公的年金一元化の目標が示された。又、昭和61年に、全国民に共通した基礎年金が導入された。平成16年の法改正では、「公的年金制度の一元化を展望し、体系のあり方を検討する」との規程が設けられた。
平成18年に開かれた「社会保障のあり方に関する懇談会」の報告書では、被用者年金制度の一元化から始めるべきとしている。又、国民年金と被用者年金の一元化についても言及している。

本日ここまで。

2010年10月2日土曜日

サッキータイム ~しあわせを招く旗プロジェクト~

10月2日(土)

「しあわせを招く旗プロジェクト」による旗の制作が、10月9日(土)13時から、玉野市文化会館BAUHAUSで開催される。プロジェクト担当は、イラストレータ/アオイアツシくんである。

このプロジェクトでは、参加者70名の力を合わせ、1m×1mの布を70枚繋ぎ合わせ7m×10m=70㎡の大きなイラスト旗を完成させ、玉野市文化会館Bauhaus1階ホール天井に掲揚する。
参加定員は70名。イラスト原案は、玉野のイラストレータ/アオイアツシが制作し、全員でそのイラストを色布の切り貼りで完成させる。イラストの内容は、完成した時に感激がより強くなるよう当日掲揚するまでのお楽しみとしている。
10月10日(日)から17日(日)までの8日間、バウハウス天井に旗を掲揚するが、その間13日、15日&16日の3日間、「しあわせライブ」が開かれる。合わせてお楽しみいただきたい。

【旗には多くの意味や願いが込められ、掲揚される。】
今回は、70名の人が繋がって、70枚の旗の1片が大きな一つの旗になる。参加した人たちの『繋がり』によってこの旗は完成する。繋がりが、『発展』を表し子どもたちや未来の『発展』を願う。
『70』と言う数字には、玉野市の市制70年を祝う意味があり、今後の市の発展やより多くの人との繋がりを引き寄せる意味も込められている。イラストにもこうした人と人との繋がりを引き寄せる、『しあわせを招く』ものとなるようなコンセプトで画いてある。

【このプロジェクトは、『小学生以上』を対象としている。】
子どもたちを含めた若い層の人たちには、自分たちの未来を、また、これまで日本や玉野を支えてきた年齢層の方々には、若い人達の未来を考えていただくよい機会になればと思っている。
このプロジェクトをとおして、若い人たちと先輩層の方々がより強く繋がることを願う。

◆旗とは
旗は、布や紙など薄い素材を用いて、主に竿の先端に付けて空中に掲げたものである。竿以外には綱などに取り付ける場合がある。旗は、何らかの目印乃至シンボルとして掲示されるもので、視認性や他と識別されるために意匠が凝らされた布である。勿論、風にたなびくことから風雨によってほつれたり千切れたりしないよう補強が施されており、特に綱や竿に結び付ける部分には念入りに補強されている。
その用途によって様々な機能が付与された旗も多く、国家やコミュニティなどグループの象徴としての旗や、装飾用のものなどは美しい色合いに溢れた意匠が施されているが、通信用や識別用では他との識別性を重視して、風で多少歪んでいても見間違えないような共通化されたデザインが施されている。
これらは、目に付くよう高い所に掲揚されるが、その一方でシンボル的な意味合いを持つ旗は、様々な儀式で様々な使われ方が存在する。例えば、優勝旗のように一種の記念品として扱われたり、半旗のように意思を表明する手段として、万国旗が本来国家の象徴である国旗を同列に繋げて世界平和や国際協力を願う意味を持つなど、扱われ方によっても意味合いが違ってくる。

1.旗の機能
旗の機能として、以下のものが挙げられる。
①遠距離からでも視認できるようにする、②情報の伝達手段、③実績を表彰する、或いは表す(優勝旗、準優勝旗)、④所有者が所属する集団の識別、⑤集団のアイデンティティの拠りどころ(部隊旗など)、⑥慶弔の意の表明、⑦目印、⑧装飾
2.旗の持つ意味
①国際連合に集う加盟国の国旗
②装飾目的の旗の一部を除けば、位置や図案によって何らかの意味を保有している。
3.位置による意味
①手旗・・・航海士やスポーツ競技の審判が使う手旗は、位置により様々な意味を持たせた代表的な例である。手旗を揚げる者は、一つ又は種類の違う二つの旗を持ち、上げ下げや腕との組み合わせたポーズを予めルールや規約にとりまとめて、旗を見る者に視覚的に情報を伝える。
②半旗・・・弔意を表すために旗の布部分を竿の中ほどまで掲げたもの。
③単純な2値(真偽)の伝達・・・予め取り決めた命題が「真」であるか「偽」であるかを伝える。コンピュータアーキテクチャにおけるフラグの語源はここからきている。
④応援団旗・・・往々にして大きな旗であり、棹を左右に振って翻らせ、応援する意思を知らしめる。
4.図案による意味
①国旗を含む団体を表す旗・・・旗の立つ場所や持つ者が、その図案が示す団体に帰属していることを表す。様々な団体旗が集合している場合、掲げられた団体が一堂に会していることを示している。但し、万国旗は、装飾の意味合いが色濃いことがある。
②優勝旗・・・団体競技の大会において、優勝したチームに贈られることがある。
③白旗・・・降参を表明するときに用いられる。
④大漁旗・・・元来は漁船に掲げて、帰港時に漁獲高が多かったことを知らせる目的で使われた。新しく漁船をあつらえた際に、親しい人から贈られる。一般に吉祥文様が描かれ、結婚など船の新調以外でも祝いの品として贈られることがある。
・その他、文字を図案に施し、施した文字の意味を旗に持たせることが多い。
5.立てられた場所による意味
①目印
②添乗員が持つ手旗…ツアー等で、団体行動の目印として用いられる。
③ゴルフ場の旗(ピン)…グリーン上のホールの位置を示す。
6.色彩による意味
①鉄道等交通機関の運行に際して、信号機の代用として手旗により進路の状況の伝達手段として使われる。(赤旗を振る=止まれ等)
②同様に工事中の箇所において、工作機械や進来物から安全な場所に退避が完了していることを示すため「白旗」が用いられることもある。
7.旗への装着品
・主に消防などの分野では、消防隊や消防団の部隊が功績や実績を挙げた場合、その部隊に対して竿頭綬が授与され、その部隊の実績を明らかにすることができるようになっている。

2010年10月1日金曜日

サッキータイム ~新作狂言「野﨑武左衛門」~

10月1日(金)

昨年に続き、今年も新作狂言「野﨑武左衛門」の練習成果を発表することになっている。今年は、山田地区と宇野地区の2回発表することとした。

山田地区での発表(11/14(日)15:30開演)は、山田まちづくり講座がこれまで研究してきた山田の歴史調査の成果である「わが町歴史探訪」の一環として、地区に残る作業歌「浜子唄」とともにライブ公演を行うものである。公演開催の場所は、野﨑武左衛門が興したナイカイ塩業㈱の体育館である「野﨑会館」であり、由緒ある場所での公演で意義深いと思う。

宇野地区での公演(11/28(日)14:00開演)は、玉野に根付かせようとする狂言という表現形式による製塩の歴史を、中心市街地である宇野地区でお披露目しようとするものである。この地区では、プロの狂言師による本格的な狂言を見てもらい狂言の楽しさ面白さをより感じていただくために、田賀屋夙生&島田洋海という親子による古典「清水」を演じてもらうこととした。

粗筋は以下のようなものである。

第1部:新作狂言「野﨑武左衛門」 14:00~14:50
秋の東野﨑浜、塩田作業の浜子たちが明晩野﨑様の肝入りで開催されるという狂言の噂をする。夕方になると、作業を終えた浜子たちは酒を酌み交わし、塩竈神社や野﨑様のことを誉めそやしながら狂言の出し物について相談していると、玉爺や浜子たちが集まり盛大な酒盛りになる。そこで、野﨑様の出世にあやかり「福の神」を呼び出そうということになるが・・・。
出演:(狂言講座生)五老海正登(イサミマサト)、木村綾花、小坂運子(カズコ)、斉藤章夫、田中宣史(ノブヒト)、成山よし子、野間嶺子、(後見)広坂武昌、(特別出演)田賀屋夙生(ハヤオ)
 
第2部:古典狂言「清水」 15:00~15:45
主人が太郎冠者に、茶会に使う水を汲みに行くよう言いつける。夜である上に度々行かされるのは叶わないと思った太郎冠者は、清水に行く途中に鬼が出ると言う。主人は、鬼が出ることなど子供騙しのことと、水汲み桶を渡して水を汲みに行くよう命じる。仕方なく水汲みに出かけるが、太郎冠者は鬼が出たと直ぐ帰ってきて、桶は放り出して来たという。不審に思った主人が桶を取り戻しに行くと、鬼が出てくるが・・・。
出演:田賀屋夙生、島田洋海(大蔵流)

写真は、昨年山田小学校体育館で発表した創作狂言「野﨑武左衛門」の中からのスナップである。
上の写真は、出番を前に美しい衣装に身を包んだ浜子1~3。中は、酒盛りで浜子5に酒を注いでもらう浜子8。下の写真は、塩竃神社末社の神の前で野﨑武左衛門の功績を称えた奉書を読む浜子三人衆。