2011年1月18日火曜日

サッキータイム ~熊本地唄の灯~

1月18日

古い本や大学時代のテキストなど今後殆んど使用することがないと思われるものを整理していたら、昭和61年10月15日付けの熊本日日新聞の記事が出てきた。見るとサッキーの長姉・栄子に関する記事で、見出しには「守ろう熊本地唄の灯」と書いてあった。

姉はサッキーより18歳も年上で、子供のころから親代わりに可愛がってくれていた。サッキーは末っ子の甘えん坊で、姉は大学の学費などの援助もしてくれていた。
姉は幼いときから目と足が悪く、母(ナツ)は、姉が将来、箏と三味線で独り立ちが出来るようにと、手習いを始めさせたのだ。姉は85歳となった今も健在で、熊本ではちょっと名の売れた地唄のお師匠さんである。5年前(2006年)に熊本県文化懇話会から、熊本での地唄の普及活動が認められて功労賞をもらっている。

上記新聞記事は、その姉がどういう経緯で地唄を習い、どのような活動をしてきたかが分かる記事だったし、身内のことでやや躊躇いもあったが、熊本地唄の系譜など関係者にも興味ある内容と思ったので、あえてこのBLOGで紹介することとした。(斜線部が記事内容)

(昭和61年(1986)10月15日付熊本日日新聞より)

守ろう熊本地唄の灯
生田流地唄・筝曲 斉藤栄子さん

 私は生来、目が悪く、学校に行っても目がうずくものですから下ばかり向いているようなことで、小さい時は母(ナツさん、八十五歳)に連れられて町の眼医者という眼医者をよく回りました。生家は古大工町の畳店。長女でしたが、本当に失明寸前までいき、それでは耳の楽しみを持って生きていけるようにと、周囲の勧めで地唄(三弦、筝曲)を習うことになったのです。数え年十三歳でした。
 下河原公園の近くに財津多寿という先生がおられ、この方が手ほどきの師匠です。当時五十を過ぎた人で、財津先生の師匠は木谷寿恵さん(1882~1953)。長谷検校(幸輝)の門下の方ですね。当時は知りませんでしたが、財津先生は熊本に残る古曲の継承者の一人だったわけですね。
 財津先生は自分の芸を継ぐ少女弟子(私のこと)がご自慢らしく、お正月には「門(かど)弾き」といって筝曲の先生宅などを回り、お座敷で私に一曲弾かせるようなことをさせました。ある時は成道寺の湧水の上にある岩畳に私を座らせて演奏させ、「水の音に負けますよ」と言っては自分は御堂で一人、私の演奏を聞いておられました。
 四、五年して財津先生は八代へ転居され、鳥居虚霧洞先生(琴古流尺八、1883~1970)の勧めで高野カヨ先生(1899~1982、熊日社会賞)門下生となりました。名所づくしや松づくしといった手ほどきをやり直しましたが、毎日、弁当持参で先輩弟子たちの練習を聞いて過ごしました。
 今の音楽は耳で覚えなくて目(譜)ばかり、目の音楽のようですが、私達は耳、聞くことが勉強でしたよ。
 高野先生には戦後もずっと、師弟の礼をとりましたが、51年、「もうこれ以上教えることもないし、ほかの先生については」と言われ、52年から安部桂子先生(東京、芸術祭賞受賞)についています。
 阿部先生は熊本の地唄を東京に広められた川瀬里子師のご門下で、九州系三弦の、在京の伝承者です。来年、米寿ですが、まだ第一線の演奏者ですよ。
 かつて宮城道雄もその音を学ぶためにやって来たという熊本の地唄、三弦、筝曲の世界。いまの東京・生田流は熊本が生んだ演奏家川瀬里子、福田栄香といった方々が上京して広めたんですね。熊本地唄の灯を消してはなりませんね。
 熊本にも私と同年代のいい先生方がおられます。また同じ三弦の中津栄子さん(八十)とはよく弾き合わせをして楽しみます。ほんとに楽しいですよ。「今日は私が替え手を」「それではあなたが本手を」と言い合って合わせる(合奏)のですが、やはり私は三味線がつくづく好きなのです。
 長くやってますと座りだこのほか撥(ばち)をにぎる右手の小指のところがくぼんできます。左手の指の頭も硬くなりますね。この指先を糸道(いとみち)といいますけど、この糸道がほどよく硬くないといい音はでませんね。むろん撥も硬く握りしめるものではありませんね。私は入院中でも病室を抜けだしてけいこ場に帰り、弾くんですよ。糸道がなまりませんようにね。それから楽器も大切ですね。三弦は絹糸ですが、一ヵ所でも折れないように張らないと(音が)だめですよ。
 「里の春」「残月」「蜑(あま)小舟」「八重衣」など古曲にいい唄がたくさんありますね。高野先生はここをこう弾かれたなあ、阿部先生はまた違う曲想をお持ちだ・・・などと、私は演奏したり、お弟子さんと向き合う時、私の耳に残っている音を確かめ確かめ、ほんとに耳を澄まして自分も弾くんですよ。

◇さいとう・えいこ 大正十四年生まれ。熊本市細工町二。「双葉会」主宰

写真は、上の2枚は熊日新聞の記事。
3枚目の写真は、八橋検校から始まる生田流筝曲の系譜で、熊本地唄は長谷検校に始まることが分かる。氏名に赤○を付した人は、記事に出てくる方たちである。姉の手ほどきの先生・財津多寿先生は記載がなかったので手書きしている。
詳しくはhttp://www.kumahou.com/nagatani/chika05.htmlを参照。
下段に太い赤○で囲んだ斉藤栄子が載っている。そこに手書きされた松野孝子は姪(妹(サッキーからは姉)の子)で、現在姉・栄子の後継者として地唄(箏&三弦)の指導をしている。
最下段の写真右が姉で、左が姪の孝子(2009年10月5日撮影)。



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