4月26日
21日に乳がんで亡くなった田中好子さん(キャンディーズのスーちゃん)の告別式が、25日多くの参列者のもとしめやかに執り行われたことが、TV各局で放映されていた。
55歳の働き盛りで亡くなったのだから、その死を惜しむ人が大勢いるのは当然ではあるが、それにしても告別式で本人の肉声テープが流されたのは前代未聞のことだと思うし、絞り出すようなその声とその内容には涙せざるを得なかった。
死の数週間前の最後の力を振り絞り、(それまで既に十分にやっておられたとは思うが)生前果し得なかった社会貢献、震災被災者への復興支援に、死後も夏目雅子が果たしたような形で復活したいと言う、その覚悟を多くの人たちに伝えたのである。
スーちゃんのメッセージ
(2011年3月25日告別式でのスーちゃんの肉声メッセージ全文)
こんにちは。田中好子です。
今日は3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。
今日お集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。
特にランさん、ミキさん、ありがとう。二人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹(義妹)の夏目雅子のように、支えてくださった皆様に、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。
かずさん(夫の小達一雄さん)、よろしくね。その日までさようなら。
キャンディーズが全盛期の頃(昭和51,2年頃)、サッキー自身は既に30台半ばに差し掛かっていて、キャンディーズをTVで見ることはあっても、カラオケで歌うことはなかった。当時、30台の男が歌っていたのは、演歌かフォークソングが主流だった。女性アイドルの歌を歌うのは、女性だけだったように思う。ところが、大学同窓の新入社員歓迎会で、入社したての男性社員(22、3歳)がキャンディーズの「春一番」を歌ったのには、正直ビックリした。その後、サッキー自身も彼女等の歌を歌うことに、それほど違和感を感じなくなったように思う。
サッキーも知らなかったことだが、弟や義妹(夏目雅子)を若くして亡くしたことから基金活動や厚生省関係の社会貢献をされていたという。又、今朝のTVでは、実話に基づく交通事故(飲酒運転)撲滅のためのキャンペーン映画「0(ゼロ)からの風」で、迫真の演技を見せていたことを紹介していた。
昨年夏の8月6日、宇野港(Uno Port Art Films宇野港芸術映画座上映シリーズ)で上演された「黒い雨」では、主役の原爆被災者の娘役を見事に演じきっていた。この映画で彼女は、日本アカデ ミー賞大賞・ブルーリボン主演女優賞を受賞、演技派女優に育っていたのだ。
誠に惜しい女優・スーちゃんを余りにも早く亡くしてしまったが、彼女は必ずや復活することだろう。心からご冥福を祈るばかりだ。 合掌
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