2011年10月11日火曜日

タマノクルーズ-たまの西海道-案内資料(2)

10月11日

昨日体育の日は、カメラ片手に、渋川~マリン水族館~王子が岳~おもちゃ王国~瀬戸大橋カントリークラブ~渋川動物公園を回って来た。序に築港まで足を延ばして、築港八幡宮~北向き地蔵の写真を撮った後、山田茂氏の個展“still life”の鑑賞をしてきた。充分な足の運動になった。

さて第6~10番目の説明に入る。

6.宇高連絡船岸壁跡『宇高連絡船遺構』
宇野港第2突堤の一角に、古びた大きなコンクリート塊とその上にホーサー(係船索)を留める錆びたビットやリングのついた、宇高連絡船の発着バース遺構が残されている。昭和63年(1988)、宇高連絡船廃止とともに用がなくなり取り壊される運命にあった着岸設備だったが、宇高連絡船の果たした役割を後世に残したいとの思いで立ち上がった「宇高連絡船愛好會」の地道な努力により、遺構が残されることとなった。
平成17年(2005)に開催された野外アート展「はなの港*アート展」において、この岸壁を使ったインスタレーション作品“UNO:Sabi ha nemuranai”(いずみユウ作)が異彩を放っていた。
写真は、岸壁遺構と連絡船が入ってきていた岸壁の先端である。これらの遺構が、近代化産業遺産に登録されたようであり一時その標識も掲示されていたが、この辺りの親水化工事により今後どうなることか・・・?

7.宇野発電所名残の煙突
玉野市に電灯がついたのは、明治44年(1911)7月であった。(因みに日本に初めて電灯がついたのは東京銀座で明治15年(1883)。)当時、電気王とまでいわれた才賀藤吉は、宇野村に東児電気株式会社を設立。磯辺に宇野第一発電所を建設して宇野村一円に供給した。
大正8年(1919)、浜崎に宇野第二発電所を建設、東児島10ヵ町村全部に電力が供給されるようになった。発電機の回転音が直島までも響いていた。宇野港の西岸に聳えている高さ約66mのコンクリート製の大煙突は、当時活躍した宇野第二発電所の名残である。
写真は、中央に大煙突があって、右が宇野港、左は新浜塩田である。現在塩田跡地には市役所やショッピングモール“メルカ”などが建っている。

8.三井物産㈱造船部仮工場跡
大正6年(1917)7月、三井物産㈱船舶部が当時宇野港で空いている県有地その他一部(宇野発電所名残の煙突より北方宇野駅寄り)を借地して、玉に造船所ができるまで3基の船台を有する仮工場を始める。同年11月14日に造船部を設立。12月には、木造貨物船「海正丸」1,200㌧が進水。岡山県で木造船とはいいながら1,200㌧もの貨物船の進水式は初めてのことである。
僅か2年足らずの間に運送船・作業船などを含めて26隻が建造された。大正8年5月、玉に造船所ができ仮工場は閉鎖された。

9.新浜塩田跡地
天保13年(1842)築堤、22町。(児島郡誌)現在は、玉野市役所・玉野警察署等が建ち市内の中心地となっている。他に、古くは新浜の西に古浜(慶長期)、新しくは北に小浦(明治19年)があった。

10.岡山水上警察署跡
宇野港完成の翌年、明治43年(1910)、岡山水上警察所が岡山市三蟠から宇野に移転。 水上警察所廃止後も、建物は玉野警察署として昭和30年代前半まで使用されていた。
現在は、基礎の部分だけが、僅かにその名残を留めている。
写真は、水上警察署のモダンな建物と、下は今も残る基礎部分の赤レンガを示す。基礎の部分は、道路より下面の溝の所にあるので、注意しないと見落とす遺構である。見ると、「アア、これなんか!」と言う感じである。尚、水上警察署だった跡地は、月極駐車場となっている。

2011年10月10日月曜日

タマノクルーズ -たまの西海道- 案内資料(1)

10月10日(月)体育の日

1週間後、宇野港~藤井海岸~日比沖~大槌島~渋川港~三井造船~直島~宇野港と巡る「学びと遊び」をテーマとしたタマノクルーズが出港するが、現在、その乗船者たちに配布するクルーズ資料を編集している。長時間掛かったが、漸くその原稿が纏まった。
全部で45項目になった。殆んどが先人の調査、執筆された内容ではあるが、知らない人も結構多いことと思う。未だ写真の一部が不足しており、これから写真を撮りに行くこととする。一部の写真は、日比の岡本さんに提供していただいた。感謝!
尚、編集に当たっては、玉野市の歴史研究家/榧嘉明先生に監修をいただいたし、地区の古老/大前敬治氏に確認していただいたので、ほぼ間違いのない内容になっていると思う。
では、以下にその内容を5項目ずつ9回に分けて紹介しよう。

1.宇野港
古くは「宇野湾」と呼ばれ、塩田と漁業を中心とした小さな漁村だった。
港としての始まりは、天正年間(1573~1592)、豊臣秀吉が大阪城築城の際に使用する石材を現在の宇野港付近から搬出したと言われている。
明治39年(1906)に築港が始まり、明治42年(1909)7月、宇高連絡船のターミナルとして竣工。
明治43年(1910)6月、宇野線開通、宇高連絡船就航により、宇野港は本州と四国を結ぶ連絡港として発展してきた。昭和5年(1930)には、岡山県初の外国貿易港として開港。宇高連絡船は、昭和63年(1988)、瀬戸大橋開通により廃止されたが、その後もフェリー運行は継続し、今も本四を結ぶ重要な連絡航路として利用されている。宇野港は、平成18年(2006)、3万㌧バースを有する大型旅客船の寄港地として再生、港を中心とした市街地の飛躍、発展が望まれている。又、宇野港は耐震強化岸壁として、大規模地震発生時の緊急物資輸送や住民の避難にも使われることとなっている。
尚、宇野港をアートな港にしようという願いを込めて始まったのが、玉野みなと芸術フェスタである。
上の写真は、昭和中期の宇野港。中央に国鉄の宇高連絡船、手前に玉野石油㈱のタンクが見える。下の写真は、大型客船の接岸した現在の宇野港。
2.田井 広潟浜塩田跡(現築港)
天保10年(1839)築堤、25町13歩。築港老松通り(広潟浜塩田の南端)の八幡宮に石造の燈台がある。塩田竣工記念に18番浜埠頭に建立され、明治41年(1908)19番埠頭明神社に移転。(田井村誌)当時の運河(汐入川)の名残を今もかなり辿ることができる。
明治42年(1909)に築港された宇野港及び同43年に開通した宇野線・宇野駅は、この塩田の中央部を貫通開発して造られた。

3.老松通りの老松
広潟塩田の南端が今の老松通りで、宇野港築港の埋立てまでは老松通りから南は海だった。海岸に立っていた老松は、埋立て後も通りの真ん中に残され、通りの名称も老松通りと名付けられた。
現在、老松は残っていないが、付近の古老の話では、昭和36年(1961)3月6~10日の間に切り倒されたと言う。当時、急激に車社会となり、道の真ん中に残った老松は、交通事故を誘発しかねない危険な障害物となっていた。しかし、祟りがあると進んで切り手となる人が見つからず、延び延びになっていたのだ。切り倒した人がその後どうなったのか、諸説あるが確かなことは誰も知らない。
老松通りには、広潟塩田の歴史を窺い知ることの出来る築港八幡宮が建っている。

4.北向き地蔵
四国巡礼を経て仙台へ帰る途上、冬の暖を取ろうとして広潟26番塩浜の塩炊きのニガリに足を滑らせ亡くなった托鉢僧。浜の土手に祀られ、「西広潟二六のお地蔵さん」と呼ばれていた。
後年、塩を運ぶ船が出入りしていた川は狭くなり塩浜は埋め立てられ、今の場所(築港)に移され「北向き地蔵」となった。「月と日のかたらいともに 楠の木と二六の浜も とわの国かな」と、ご詠歌にも詠まれている。ご利益が多いのか、今も参拝者が絶えないお地蔵さんである。
平成16年の台風による高潮災害の後、お地蔵さんに集まったお賽銭を義援金として贈ったこともあるという。

5.檜垣直右(ヒガキナオスケ)知事の銅像
岡山の海の玄関口としての宇野港建設が初めて構想されたのは明治29年(1897)のこと。その後幾多の曲折があり、計画が本格化したのは、積極派の知事・檜垣直右の着任後だった。明治35年(1902)2月に着任した檜垣知事は、築港の実現を目指し尽力、宇野築港は『県政百年の発展を画する事業』として県民・議会の猛反対を押し切り、原案執行を強行した。こうして、明治39年(1906)8月1日、ようやく着工に漕ぎつけたが、知事はその4日前に休職を命じられ、岡山を去った。
3年後の明治42年(1909)、宇野港竣工式に招待された檜垣は、祝辞の挨拶に感涙したと言う。
宇野港のメモリアルパークに建つ第8代岡山県知事・檜垣直右の銅像は、昭和55年、彼の卓抜した先見性と英断を顕彰して、宇野港開港50年と市制40年を記念して建立された。
檜垣直右は、嘉永4年(1851)、萩城下宇野家に生まれ、7歳で檜垣家の養子となる。明治7年(1874)東京師範学校を卒業後、讃岐、伊予、石川の師範学校長、富山及び岡山県知事、朝鮮総督府京畿道長官などを歴任。昭和4年(1929)77歳で永眠。

2011年9月23日金曜日

タマノクルーズ2011-たまの西海道-

9月23日

玉野市の西海岸を宇野港から渋川港に向けた「タマノクルーズ2011-たまの西海道-」が、10月17日(月)に発進することとなった。クルーズを日曜ではなく月曜にしたのは、この日、三井造船で進水式が行われるからである。海上に浮かぶクルーズ船から進水式を観るという、普通では味わえない経験を多くの人にしてもらいたいと考えたのだ。

タマノクルーズは、過去4年間-たまの東海道-として東部の山田港に向けて、山田地区の歴史文化を訪ねてきた。今回、渋川港に向けて発進することにしたのは、これまでの乗船者からの声で、ルート変更の希望が多かったからである。さらに、今年5月から、日比・渋川まちづくり講座を立上げ、西部方面への興味が深まった影響もある。

今回クルーズの見所は、何といっても三井造船の進水見学であろう。もう一つは、大槌島の周回である。お昼は、ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルの名物バイキングランチである。是非多くの方に、楽しんで頂きたい。
写真は、三井造船の名作56BCの進水風景であり、フライヤーもこの写真を使わせていただいた。


今回クルーズの企画は、クルーズ船から進水式を見学する他、多島美の瀬戸内周遊と海洋博物館見学を通じて、海洋環境保全の重要性を認識するという、「学びと遊び」をテーマとしている。又、今回初めて玉野市観光協会との共催とさせていただき、観光協会の力強いご支援を頂くこととなった。又、三井造船の全面的な協力を頂くことができ、主催者として大変嬉しく思っている。乗船客の皆さんには、きっと喜んでいただけると思う。当日の好天を心から願っている。

1.計画概要:
宇野港から渋川港に至る備讃瀬戸をクルーズし、海上から玉野市西部の歴史、地理、文化、産業を学ぶ。途中大槌島・竪場島を周回し、瀬戸内の海洋の歴史を学びながら渋川港に向かう。
渋川港では、海洋博物館を見学、海の生態を学ぶ。午後からは、船上から三井造船の進水式と艤装中の大型船や工場を見学、海と調和する人と産業の営みを学ぶ。

2.計画の目的:
数多くの島嶼群が連なる瀬戸内海は、昔から東西を結ぶ交流の動脈だった。そのため瀬戸内の各地域には幾つもの逸話や物語が語り継がれ、景観の美しさと共に歴史の楽しさを感じさせてくれる。
宇野港から渋川港までの玉野市西部を結ぶクルーズで、海上から現代の玉野を眺め、西部地区の歴史と産業、海洋文化に触れることにより、瀬戸内海の素晴らしさと海の生態の面白さ、海と人及び産業との調和の大切さを学ぶ。

3.期待効果:
玉野市西部に位置する渋川は、日本の渚百選にも選ばれた風光明媚な海岸、子どもたちの海洋研修場・岡山県青年の家、海をテーマに開館した海洋博物館等を有し、海洋のことを学ぶには最適な場所である。特に玉野海洋博物館には、大小34の水槽に瀬戸内海の種を中心とした、日本各地の海洋生物約180種2,000点を飼育展示しており、海洋生態を学ぶには絶好の場である。
又、日本有数の造船社・三井造船㈱玉野事業所を海上から見学する他、大槌島、竪場島、直島、京の上﨟島など瀬戸内の多島美を間近で堪能し、島の歴史や海から観る玉野の文化・産業などを学ぶことは、海の環境保全の重要性及び海洋産業の面白さを膚で感じることのできる貴重な体験である。

4.今回計画の特徴:
(全般)クルーズ船から進水式の勇壮な姿、艤装中の大型船やTSLを間近に見学するという、工場見学としては初の企画である。又、多島美の瀬戸内周遊と海洋博物館見学を通じて、海洋環境保全の重要性を認識する。
(健康・安全への配慮)クルーズ船から造船所に上陸するのではなく、造船所のスタッフの方(説明者)にクルーズ船に乗ってもらい、乗船客の乗下船時の危険を防止する。
(環境への配慮)渋川港から玉野海洋博物館に行く途中、海岸に落ちているゴミ等を拾いながら移動し、海浜の環境改善に協力する。

5.クルーズルート:
事前調査を行ない、クルーズルート3案を検討した結果、第2案(クルーズ船上からMES進水及び工場見学案)を採用することに決定。
6.募集要項:(詳しくは、広報チラシを参照願いたい。)
(1) 開催日時:10月17日(月)9:00~16:00
(2) ルート概要:宇野港~日比・大槌~渋川港~海洋博物館~マリンホテル・昼食~船上からMES進水&工場見学~京の上﨟島~宇野港
(3) クルーズ船:からこと丸2002(定員70名)
(4) 募集定員:55名、年令、性別不問
(5) 乗船料:大人(中学生以上)4,500円、子ども(3歳児以上)3,000円、幼児(2歳児以下)500円

写真は、三井造船に長期間係留されているテクノスーパーライナー。今年5月には、東日本大震災の被災者サービスのために、石巻に行き大活躍をしたことでも知られる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110517/dst11051712130008-n1.htm


この写真は、竪場島(鯨の形をしているので、通称鯨島とも言われる)の近くにある祖父祖母島(じんばじま)から大槌島を臨む美しい風景。

2011年9月9日金曜日

芸術フェスタ企画検討会(第10回)

9月7日(水)

玉野みなと芸術フェスタ実行委員会では、毎月第1水曜日に企画部会の企画検討会が行われる。9月7日に、今年10回目の企画検討会を行ったので、その議事録をお知らせする。
議事録を見れば、どのようなことが議論され、どのような結論が導き出されるのかを知ることが出来る。今回は、現在開催中の【南北楽観主義―せとうち―】の中間での反省点と最終日のイベント詳細が議論された。以下議事録内容をそのまま記載するので、参照願う。

芸術フェスタ2011企画検討会(第10回)議事録

1.日 時:2011年9月7日(水)18:30~20:30
2.場 所:産業振興ビル3F 技術研修室
3.参加者:清水、山田、森、萩野、久富、斉藤
4.議 事:
(1)議 題
①「南北楽観主義~せとうち~」(前半の反省、延長展示、期間後半会場当番、当番マニュアル、アートクルーズ、車座談義、クロ-ジングパーティ)
②報告事項(福武財団助成金贈呈式、タマノクルーズ準備状況、たまの東街道準備状況)
③その他(今後の予定)

(2)決定事項(個人名の敬称略)
①について
◆前半の反省
 a.キャプション:テーマ名と作家名、作品の説明文を各会場に掲示する。(斉藤)
 b.展示期間:開始日、終了日が3会場バラバラだった。期間が短い会場の出展者のうち、延長展示を希望する作家には、可能な限り支援する。
 c.反省会:展覧会終了後、合同反省会を行う。日程;9/13(火)を軸に時間と場所を調整。(山田)
◆延長展示:駅東創庫センターコートで実施できるよう計画する。(山田)
◆後半の会場当番:駅東は、清水、北野、森、山田で対応。バウハウスは斉藤が対応。
◆当番マニュアル:来場者に3ヶ所で開催中であることを伝え、回遊してもらうよう働きかける。
◆アートクルーズ:予定通りの時間&場所で開催。
◆車座談義:座席を椅子席とする。早目の準備のために参加者概数を事前に知らせる。(斉藤)
◆クロージングパーティ:車座談義終了後、ギャラリーの搬出作業を行うので、センターコートで行う。
②について
◆タマノクルーズフライヤー:進水式写真の使用許諾をMESに確認する。(斉藤)
◆たまの東街道イベント:子どもたちを対象にしたワークショップを追加実施する。計画立案(清水)
③について:次回企画検討会は、10月5日(水)18:30~。

(3)協議概要
①について
◆前半の反省
 a.総論:
 (a)企画の認識:うまく伝えられたか?より充実した展覧会とするための主催者の対応に問題は?
 (b)交流の期待効果:交流により活動範囲が拡がり、今後展覧会をやる上で手助けになる。
 (c)今後の進め方:今回の展覧会をきっかけに知合いになれた方や窓口も増え、今後の展覧会企画に対し、より充実した対応がしやすくなった。
 (d)反省会:展覧会終了後、両者合同の反省会を行う。第1候補として、9/13(日)18:00~、できれば玉野で開催したいが、都合により高松で行う。高松側との日程調整を行う。(山田)
 b.キャプション:
 (a)各会場の統一テーマと作家名:今のままでは分からないので、キャプションを作り、会場入り口に掲示する。キャプションは、A3横にして2段(2会場分)で作成する。(斉藤)
 (b)作品説明:展示の統一テーマ(例えばsottoprodottoでは「美しい または 美しい」)に作家はどういう意図を持って作ったのかと言う説明が欲しい。400~800字位の説明文を作る。(各作家)
 c.開催期間:
 (a)3会場バラバラ:全体として9月3~11日と表示しているが、実際にはサンコアは4日から、バウハウスは10日までとなっている。原因は、アートマルシェ開催期間に合わせることとしたため、その時点で各会場には先約があった。どちらを優先すべきだったか、今後の検討課題である。
 (b)アートマルシェとの同時期開催:オープニングパーティにおいて沢山の方に来ていただいたのは、同時期にやったからであり、お互いにイベントや作家同士が知り合いになる機会となり、意義があったと思う。ただ、互いの作家への事前の情報伝達は必ずしも十分とはいえなかったようだ。
 (c)延長展示の要望:バウハウス展示者(勝木)から、最終日(11日)に展示可能な場所で延長展示ができないかとの要望があった。⇒可能となるよう検討し、延長展示を支援する。
◆延長展示:(上記b(c)項関連)
 a.展示作品:9/10搬出の時、勝木に選定してもらう。但し、展示可能なものに限定する。
 b.展示場所:駅東創庫センターコートで計画する。管理者に使用の了解を取付ける。(山田)
 c.展示作業支援:9/10(土)17:00~、佐藤、北野、山田、森、斉藤で対応。搬入は佐藤車で。
 d.展示しない作品:バウハウス裏の倉庫に一時預けとする。9月末、改めて搬出する。(勝木)
 e.10日の宿舎:勝木の10日の宿舎は、フリーボックスに依頼した。
 f.今後の宿舎:移住プロの尽力により、大阪屋の空き部屋を利用できることとなった。今後は、ここを利用したい。風呂も使えるし気兼ねなく泊まることができる。(1泊2,000円)
◆期間後半会場当番:8日=清水、9日=北野、10日=森、11日=山田
◆当番マニュアル:当番担当は、来場者に3会場でやっていることを伝えて、巡回鑑賞を促すことを、マニュアルに追記する。
◆アートクルーズ:
 a.スケジュール:チラシの計画通りとする。
 b.添乗旗:クルーズツアーをやっていることを目立たせるためにも持参する。(斉藤)
 c.記録係:記録撮影担当(森)
 d.帰りの予定:早く帰って玉野の鳴滝園で昼食という案が出たが、各自対応とする。
 e.名称:クルーズという語は、船をチャーターするイメージがあるので、次回からツアーと表示する。
◆車座談義:
 a.実施場所:駅東創庫ギャラリーとする。床に展示されている作品は、事前に片付けておく。
 b.座席:椅子席とする。サンコアでの参加者数を山田に知らせる。事前に必要数の椅子を配置する。
 c.司会進行:ファシリテータ/山田とサブ/萩野で進める。
 d.メインスピーカー:ゲストは、伊永(コレナガ)一人となった。
 e.出展作家:出展の意図、今回の展覧会の感想、今後の抱負などを語ってもらう。
◆クロージングパーティ:
 a.実施場所:車座談義終了後、搬出作業を行うこととするので、パーティはセンターコートで行う。
 b.司会進行:車座談義に続き、山田&萩野で対応。
 c.お礼の挨拶:パーティ開始時に実行委員長から一言お礼を述べる。
 d.飲食物手配:佐藤&北野で対応。ビール、フリー、スナック類を準備。
②について
◆福武助成金贈呈式:3日開催予定の贈呈式は、台風のため中止となった。今後の予定は未定。
◆タマノクルーズの準備事項:(資料配布)
 a.広報:広報たまの10月号に掲載すべく、8月末に原稿提出。(斉藤)
 b.フライヤー:現在制作中。清水所有の進水式写真の掲載可否についてMESに確認する。(斉藤)
 c.MES工場見学:MESに正式依頼を行った。MES側では説明者選任等の対応検討中。(斉藤)
◆たまの東街道準備事項:(資料配布)
 a.基本計画:提出資料の二つのイベント基本計画は、前回拡大企画検討会で了承された。
 b.詳細計画:次回の企画検討会に具体的な配置計画等を織り込んだ詳細計画を提出する。(斉藤)
 c.第3の計画:子どもたちを対象にしたワークショップを計画する。(清水)
 ③について:
◆今後の予定
 a.9/11(日)9:00~ アートクルーズ(駅東創庫集合)
  (9:35宇野港出港、11:00アーティストトーク 於sottoprodotto、14:10高松港出港、15:30アーティストトーク 於サンコア、16:30アーティストトーク 於駅東創庫、17:00車座談義、18:00クロ-ジングパーティ)
 b.9/11(日)14:00~ 狂言講座(バウハウス3F大会議室)
 c.9/17(土)16:00~ たまの東街道企画検討会(しおさい広間)
 d.9/25(日)14:00~ 狂言講座(バウハウス3F大会議室)
 e.9/28(水)13:20~ 中活運営会議(産業振興ビル4F)
 f.10/5(水)18:30~ 芸術フェスタ企画検討会(第11回)
                                            以上

上の写真は、台風が過ぎた9/4(日)に行なわれた開会式の様子である。下の写真は駅東創庫に展示された凡土さんの作品である。

「アートクルーズ」募集

9月9日

【南北楽観主義―せとうち―】の最終日9月11日(日)に、宇野港を出港し高松に渡り高松での展示を観て、3人の作家の話を聴く。お昼には美味しい讃岐うどんを食べ、その後宇野に戻り宇野での展示を作家の話を聴きながら鑑賞、さらに車座談義でアートのことや四国との交流のことなどを語り合う。最後のイベントクロージングパーティまで、約10時間のアート三昧クルーズである。今回のクルーズは、四国フェリーを貸しきってのクルーズではなく、公共交通機関である四国フェリーに乗り一般のお客さんとともに、アートを巡るクルーズですので、どちらかと言えばアートツアーといった方が正解の言葉かもしれない。以下、アートクルーズの概要を紹介する。参加費無料だし、面白そうだし、ドシドシ参加して欲しい。

Ⅰ イベント概要
宇野・高松アーティスト交流企画展【南北楽観主義-せとうち-】の最終日に、クル-ズのツアー仲間とともに宇野・高松両地区の出展作品を鑑賞、夫々のギャラリーにおいて今回展示の作品にかける各作家の思いを直接聴きます。又、南北両地域で展開されるアート活動の今及びこれからのあり様などを考える車座談義、イベント最後のクロージングパーティまでアート漬けの1日を楽しんでいただきます。

Ⅱ スケジュール&開催要項
1.開催日時:2011年9月11日(日)9:35~20:00
2.集合場所:当日9:00までに駅東創庫に集合。(無料駐車場あり)
  駅東創庫;玉野市築港5-4-1、☎0863-32-0081
3.参加費:無料。但し、フェリー乗船料及び昼食費等は自弁。
4.事故対応:イベント保険は掛けません。クルーズ途中の負傷等は自己責任とします。
5.中途参加:中途からの参加、或いは中途からの個別解散自由とします。
6.クルーズガイド:斉藤章夫、清水直人、森美樹
7.当日のタイムスケジュール
 時刻  場所     行動・イベント 記事
 9:00 駅東創庫  集合      無料駐車場あり
 9:30 四国フェリー 乗船完了   9:35宇野港出港
10:40 高松港   下船&移動  目的地sottoprodottoまで徒歩約20分
11:00 Sottoprodotto アーティストトーク 清水・森・加藤「美しい、又は美しい」
12:00 フリー 昼食 14:10まで自由行動
14:10 四国フェリー 乗船完了 14:15高松港出港
15:20 宇野港   下船&移動  目的地サンコアまで徒歩約5分
15:30 サンコア   アーティストトーク あきやましんご「光のめぐり」
16:30 駅東創庫  アーティストトーク 千葉尚美・凡土「私波止場で泣いてます」
17:00 駅東創庫  車座談義 アートの今、そしてこれから
18:00 駅東創庫  クロージングパーティ 参加費無料
20:00       全日程終了・解散


写真は、上からアートクルーズの広報チラシ、四国フェリーと宇野港、車座談義のイメージ。

2011年9月3日土曜日

【南北楽観主義-せとうち-】始まる

9月3日

今日から、玉野みなと芸術フェスタ2011のアート活動イベント「宇野・高松アーティスト交流企画展【南北楽観主義-せとうち-】」がスタートした。
ところが、台風12号が高松と玉野を直撃、午前中に計画していた開会式を急遽中止せざるを得ない状況となった。午後からは玉野市全域に避難勧告が出たが、心配された築港地区での高潮被害もなかったようで、ホッとしているところである。

駅東創庫では、千葉尚美さんと凡土さんが2日から搬入展示をされたが、結局高松に帰ることが出来なかった。バウハウスに展示された勝木繁昌さんも同様である。又、高松に行った清水、森、加藤さんの3人も、高松のホテルに泊まらざるを得なかった。
テーマが楽観主義ということもあって、若干楽観視し過ぎたきらいがないではなかったが、最終的には安全第一で進めたことは、致し方ないこととは言え、よかったのかなと思っている。

今回のイベント開催に当たって、実行委員長としての挨拶文を作り、会場に掲示している。全文は下記のとおりである。

             ご 挨 拶
   = 【南北楽観主義-せとうち-】開催に当たって =

宇野と高松、近いようで遠く、ときには直ぐ近くにも感じる二つの港まち。せとうちを挟んで南北に位置する二つのまちが「宇高航路」という線で結ばれて以来、早101年の歳月が流れました。
二つのまちは、本州と四国を結ぶ人の流れ、物の流れの大動脈の基点として、多くの人々に思い出を残し、喜びだけでなく深い悲しみをも見てきました。昨年2月には、100年続いた航路の幕を閉じてしまうような出来事も起こりました。しかし、多くの方々の努力が実を結び、これから先も本四における人流・物流交通の大きな要として継続されることとなりました。

このように人々の生活に強い繋がりを持つ二つのまちではありますが、これまで共通のコンセプトに基づくイベントや祭り、或いは交流が二つのまちで同時に開催されたということを聞いたことがありません。
私たちは、今回、宇野でなければ出来ないこと、宇野だからこそ出来ることは何かということから、宇高航路に着目しました。そこで、高松との連携が出来ないだろうかと考え、宇野と高松のアーティストが相互に交流して行う宇野・高松アーティスト交流企画展【南北楽観主義-せとうち-】を、二つのまちで同時に開催することとしました。

この【南北楽観主義-せとうち-】は、宇野側の作家は高松で、高松側の作家は宇野で作品を展示する、せとうちを挟む南北アーティストによる交流プログラムです。
この企画は、作家個人のネットワークに加え、ギャラリーや企業などの協力を得て、異なる南北の土地で活動する作家の交流・交換展を開催することで、各団体の交流を活発化するとともに芸術活動の理解や意識を深めることを目的としています。
「玉野みなと芸術フェスタ」は今年9年目を迎えますが、他県との連携による企画は初めての試みです。9月3日から11日迄の僅か9日間ではありますが、どうか本四を結ぶ作家たちの力強い作品を、この機会に是非鑑賞していただきたいと思います。私共は、この企画を契機に、将来的には宇高のみならずより広い範囲の南北に繋がってゆくことを心から願っています。

最後になりましたが、この交流展開催に当たりましては、財団法人福武教育文化振興財団の助成を頂き、高松丸亀町商店会のギャラリーsottoprodotto、駅東創庫、ギャラリーSans quoi、及び玉野市文化会館の関係者を始め、多くの方々のご支援・ご協力・ご協賛を得て開催出来ることとなりました。
ここに深甚なる感謝の念を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

      平成23年9月
          玉野みなと芸術フェスタ2011実行委員会
                実行委員長  斉 藤 章 夫

写真は上から、駅東創庫に掲示された入口ポスター、駅東創庫で「私波止場で泣いてます」の展示準備をする凡土さん、バウハウスで「芸術生活によるつじつま-trap-」の展示準備をするスタッフ、4枚目は今日の大当たりで開会式が中止になった「つじつま」とは何かを書いてくれた柴田さん。実は彼女に今日の開会式の司会をお願いしていたのだ。





2011年8月9日火曜日

サッキータイム ~新NPO法人みなと・まちづくり機構たまのの設立総会~

8月4日(木)

6月30日(木)に地域の人たちを集めて、うのずくり実行委員会を資金的に支えるNPO法人の設立について説明会を行ったが、それから約1ヶ月超。諸々の準備を経てやっとこの日、設立総会を開けるまでに辿りついた。

この間、もめにもめたのが、理事長選任であった。理事にはなれても、理事長にというと誰もが、後ずさりしたのだ。皆夫々に理屈があって、そうかそうかと頷くことができるのではある。しかし、誰もが最も適任と思っていた人が、頑として受けなかったのには、正直困ってしまった。
しかし、窮地に手を差し伸べる奇特な人も、世の中には居るものではある。
幾人もの候補が上がり、全て固辞された中、直前の8月1日にやっと受けてくれる人が決まったのである。胸を撫で下ろしたのは、サッキー一人ではあるまい。

総会前日の8月3日、理事長になる方を伺い、総会の手順について打合せを行った。
サッキーは、このNPO法人を支える役(専務理事・事務局長)を担うことになったのだ。
理事長選任の段階で、実はサッキー自身を理事長にという話も出たことがある。
担ぎ手が神輿になったのでは、神輿は上らないのが道理だ。つまり、サッキーの理事長就任は、あってはならない人事なのだ。そういう意味で、何とか相応しい人が選ばれてホッとしたのは、正直な思いである。

そして4日、午後6時丁度にスタートした設立総会、22人の出席を得て、出された10の議案が全て満場異議なく了承され、予定の6時45分ジャストに終った。我ながら本当にうまく運んだ総会となった。

写真は、上から設立総会の様子、総会後開かれた懇親会、6日の地元誌に掲載された紹介記事