6月11日
玉野の歴史を語るとき、玉野市宇野にある獺越(うそごえ)の浜に、簀巻きにされた長兵衛という美男子が投げ込まれ、その祟りがあったという話を聞くことがある。粗筋はこうだ。
今から160年ほど前、備後の国から宇野に移ってきた長兵衛という若者は、好男子で地区の女性に大もて。気に入らない土地の青年どもは、好き勝手をするこの若者を袋叩き、簀巻きにして獺越の海に放り投げた。その後、宇野に奇病が流行ったことから長兵衛の祟りということになり、お地蔵さんを作り、旧7月23日の夜、盆踊りをして供養、今も続けられている。
宇野3丁目の中山トンネルを抜け玉野浄化センターの南端の辺りがかつて獺越鼻と呼ばれていた所で、流れが早い所であった。今では絶滅したとされるニホンカワウソがこの辺りに生息していたと思われる。以前三井造船の進水式では、フェリーが獺越を通過したら、進水作業のゴーサインを出していた。支綱切断の時間になる頃、フェリーが丁度三井造船の沖合を通過する、その辺りである。
さて、今日から暫く、昭和10年にこの土地の宮田熊夫さんという方が書かれた小説『宇野情話 洲巻長兵衛』を紹介する。書かれてから既に77年が経過しており、公に発表もされていないようなので、著作権などの問題もないだろうと勝手に思って紹介する。
元は、3年前、宮田さんの家族の方が玉野の歴史研究家・榧先生の所に持って来られたものを、「デジタル化してもらえないか」と私に紹介を兼ねて依頼されたものである。この年「宇野港100年物語展」を行うこととしていたので、その展覧会にも展示した逸品である。歴史書としての値打ちはともかく、恋愛小説として楽しんでいただければと思う。
もう一つ、この小説には挿絵が描かれていて、この挿絵が何とも微妙なタッチであり、これらも紹介しながら進めてゆきたい。
初回の今日は、宮田熊夫さんの「はしがき」から。
宇 野 情 話
州 巻 長 兵 衛
作 宮田熊夫
=表紙は宇野の塩田の一部=
はしがき
僕が「州巻長兵衛」を書こうと思ってから、早や三年になる。
僕が州巻長兵衛の話を聞いたのは、もうずっと前のことであった。その話というのも、昔、宇野の酒屋の長兵衛という若い男が奉公しておった。その長兵衛の男振りと気前の良いのに、村の娘達が慕っておった。それを快く思わなかった、村の若い者連中がある夜のこと、彼を簾に巻いて、藤井の海から投げ込んで殺してしまった。
それだけの話を聞いて、それよりもっと詳しく聞かせてもらおうと思ったが、誰もそれ以上に詳しくは知らない。
だからここに書いた物語りも、殆ど全部といってもいい程、僕の空想の産物なんです。いいか悪いかそんなことは頓着なくて、始めて一つの小説を纏めた、と思う歓びを感じています。
書いている途中、弟の死に遭ったり、色々のゴタゴタやおまけに僕が風邪になど罹って思うように書けなかった。
それから二三枚挿絵を入れておいた。一寸思いついて書いたが、不細工な絵だ。無いよりもいいかしれない。或いは無い方がましかも分からない。
昭和拾年十一月十三日
宮田 熊夫
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