2011年10月12日水曜日

タマノクルーズ-たまの西海道-案内資料(3)

今日は、第三弾である。
クルーズ紹介もいよいよ佳境に入り、段々面白くなってきた。かな!?

11.玉野市営電気鉄道跡
昭和28年(1953)4月、備南電気鉄道が国鉄宇野線から延びていた、三井造船への専用引込線を有効活用する形で宇野~玉(後の三井造船所前)間に開設された。昭和31年(1956)、経営が玉野市に譲渡され、「玉野市電気鉄道」となった。昭和35年(1960)には奥玉にある玉遊園地まで延長、営業キロは最長の4.7Kmになった。その後、気動車に動力変更を行うなどの経営努力を行うも経営は改善されず、遂に昭和47年(1972)3月末廃線となった。鉄道跡地は、当時全国的にも珍しかった自転車道に転用され、市民の通勤・通学に便利な自転車・歩行者専用道路となった。
気動車に変更になったとき不要となった電車(モハ103号)は、琴電に売られ琴電760号として活躍してきた。その後、老朽化により廃車となることを知った玉野市民有志は、その里帰り運動を行い、2006年9月、41年ぶりに玉野への帰還を果たした。現在、終着駅近くに建つ「すこやかセンター」に保管されている。
写真は、里帰りして、すこやかセンターに保存されている琴電760号(玉野市電モハ103)である。保存に至る説明文も架かっている。
12.玉野浄化センター
宇野3丁目の中山トンネル南側に建つ下水処理場「玉野浄化センター」は、昭和56年運転を開始、約40,000人の生活排水と事業場の排水等を合せて1日に約15,000?の汚水を、標準活性汚泥法という微生物を使った処理方法で浄化して海に放流している。汚水の処理は、24時間365日休むことなく続けられている。現有水処理能力は、日最大30,000?、年間汚泥発生量は約2,700トン。
発生した汚泥は、焼却後埋立て・セメント原料化・コンポスト(堆肥)化により処分され、約7割がセメント原料・コンポストとして再利用されている。
写真は、海上から見る玉野浄化センター。その向うの山を貫通し、藤井海岸につながるトンネルが中山トンネルである。

13.獺越(ウソゴエ)(簀巻きの長兵衛物語)
中山トンネルを抜け玉野浄化センターの南端の辺りがかつて獺越鼻と呼ばれていた所で、流れが早い所であった。今では絶滅したとされるニホンカワウソがこの辺りに生息していたのだろうか?
以前三井造船の進水式では、フェリーが獺越を通過したら、進水作業のゴーサインを出していた。支綱切断の時間になる頃、フェリーが丁度三井造船の沖合を通過するからである。
今から160年ほど前、備後の国から宇野に移ってきた長兵衛という若者は、好男子で地区の女性に大もて。気に入らない土地の青年どもは、好き勝手をするこの若者を袋叩き、簀巻きにして獺越の海に放り投げた。その後、宇野に奇病が流行ったことから長兵衛の祟りということになり、お地蔵さんを作り、旧7月23日の夜、盆踊りをして供養、今も続けられている。

浄化センター左端の部分に、今も僅かに獺越の面影を示す岩場が残っている。
この浜に簀巻きにされて捨てられた長兵衛の話を、昭和11年に小説にされた方がいる。宮田熊夫さんの書かれた「宇野情話-州巻長兵衛」である。小説原本には、表紙を含み11枚の挿絵が描かれているが、中々秀逸な絵なので本邦初公開で1枚だけ紹介しよう。写真の挿絵は、悲恋の始まりとなる、長兵衛とその恋人・お加代との逢引の図である。長兵衛の右手の位置がやや気になるが・・・

14.藤井海岸
中山トンネルから海岸道路の走っている藤井海岸は、かつては遠浅で海水浴に適していた。明治末から大正、昭和にかけて海水浴客が訪れ、藤井海浜院(保養所)が開設され、夏は賑わっていた。玉野では、藤井と高辺、渋川(浦田海浜院)が海水浴で知られていた。
中山トンネル完成は昭和49年(1974)、海岸道路全線開通は昭和61年(1986)12月。夏は、藤井海岸の沖合で花火が打ち上げられ(玉野まつり)、市内外から大勢の見物客で賑わう。

写真に写る工場は、以前三鋼㈱と言っていた三井物産厚板加工㈱である。造船用などの厚板の切断加工を行う会社である。写真には写ってないが、この左側(西側)には、宮原製作所と言う機械部品の加工を行う会社がある。

15.鳴滝園
市民病院前の汐入川(大川)を遡ると小渓谷に連なる滝があり、玉野市の景勝地となっている。100年ほど前の明治末期に天城の富豪星島謹一郎は、ここに高楼と茶室を備えた鳴滝園という自然美を活かした庭園を作り、多くの文人墨客が訪れていた。大正ロマンの竹久夢二も宿泊し、鳴滝図を 残している。
現在、倉敷の三宅石油の所有となっていて、先代社長が収集した唐枕が数多く展示されている。戦後はここにレストランが作られ、かつては三井造船に大型船を発注した船主さんの接待などで、毎晩賑わっていたと言う。レストランは一時閉鎖されていたが、今年4月から週末だけオープン、隠れた絶景スポットとしてじわじわと人気が出ているようである。

写真は、この6月に芸フェスの企画メンバーと鳴滝園に行った時の写真である。美味しそうなクリームパフェは、その折カフェで食べた鳴滝パフェである。景色もさることながら、ご馳走も素晴らしい。

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