2011年10月18日火曜日

タマノクルーズ-たまの西海道-案内資料(7)

10月17日(月)

いよいよクルーズ当日だ。
やや曇り空で透明さはないが、暑くもなく寒くもなく、良いクルーズ日和となった。9時受付開始にも拘らず、9時過ぎには定員の55人が全員揃った。嬉しい行事には、皆早くから集まるものだ。
定刻の9時半に乗船完了。クルーズ遊覧船のからこと丸は、獺越~藤井海岸~玉(三井造船)~向日比~日比を通り、大槌島の裏側を周回、王子が岳の雄姿を観て渋川港に到着した。下船した客は、渋川海岸のゴミを拾いながら、一路渋川マリン水族館へ。数多くの標本や水槽で泳ぐ珍しい魚、餌を求めるアシカやペンギンを興味深げに眺める乗船客。その後、ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルでのバイキングランチ。手の込んだ料理の数々に、どの客も大満足。
進水時刻の関係から、やや短く感じたランチタイムを切り上げ、クルーズ船に再乗船。三井造船では、造船と機械の担当者2名が乗船し、進水と工場の見学説明があった。陸上から静かに滑り降りる船の迫力に、思わず感動の拍手が起こった。

その後、直島の南を周回し、向島~家島~京の上﨟島~喜兵衛島と巡り、予定より15分程早く宇野港へ辿りついた。全員無事に、満足して帰られたことが何よりであった。
写真は、からこと丸船尾のキャビンで寛ぐ若手女性三人衆。後方に三井造船の景色が見える。

さて、第7回の今日は、渋川地区の紹介だ。

31.渋川海岸
約1Kmの白砂青松の渋川海岸は、「日本の渚百選」「海水浴場百選」にも選ばれ、子どもたちの海洋研修場・岡山県青年の家、海をテーマに開館した渋川マリン水族館、市営ヨット艇庫を有する、県下最大の海水浴場である。1年を通じてヨット、ウィンドサーフィンなどのマリンスポーツが楽しめる海岸としても有名である。又、夕暮れ時のシルエットは絶景で、非常にロマンチックなスポットへと変貌する。香川県との距離も近く、その昔、西行法師が四国に渡るために立ち寄った所としても知られ、本州四国を結ぶ電信用海底ケーブルの第1号が敷設された所でもある。
隣接の公園には、長さ日本一(900m)の藤棚があり、毎年4月から5月上旬にかけて見事に花開く。この藤の実から製造するお酒「渚百選たまの藤ロマン」は、玉野特産品として販売されている。
写真は、広大な渋川海岸から王子が岳方面を望む。海岸には、渋川青年の家が所有するカッターが横たわっている。

32.西行法師像
西行法師は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶・歌人。出家前の名前は佐藤義清(ノリキヨ)。鳥羽上皇に仕える武士であったが、23歳で出家してから50年間、東北、近畿、四国、九州地方を旅した。「新古今和歌集」に最多の94首が収められ、その他の勅撰集の歌を合わせると、265首が収められている。個人の歌集に「山家集」がある。
保元の乱に敗れ四国に流された崇徳上皇は、1164年寂しく生涯を終えた。西行は、御陵にお参りしようと渋川海岸まで来たが、強風のため船が出ずここに暫く滞在することとなった。西行は、この地で「下り立ちて 浦田に拾ふあまの子は つみよりつみを習うなりけり」という歌を詠んだ。無心に「つみ」といわれる貝を拾う漁師の子を見て、仏道でいう殺生の罪作りをしなければ生きていけない漁民の暮らしに思いを馳せ詠んだ歌である。
渋川海岸には、西行法師像が建っており、毎年3月初めには西行祭りが行われている。
写真は、渋川マリン水族館前に建つ西行法師像。

33.渋川八幡宮「浜の神さま」
渋川八幡宮の境内に、「浜の神さま」と呼ばれる小祠があり、次のような伝説が伝えられている。
昔、渋川に依田某という人がいて、あるとき用事があって京へ上ったのである。仕事の関係から幾日か京に滞在していたが、その間に都の女といい仲になってしまった。愛しあった二人は夫婦になろうと約束し、やがて京を離れる日がくると、彼は女を連れて渋川への帰途についた。二人は長い船旅の末、ついに宇野が見える沖合にさし掛かったとき、彼は彼女に「もう渋川も近い。いきなりお前を連れて帰っては皆が驚く。しばらく、この島に上がって待っていて欲しい。」
彼は、彼女を京の上臈島に残して渋川に帰っていった。何日か経ったある日、渋川の海岸に若い女の死体が流れついた。村人たちは、この水死体を見つけて「可哀相に、どういう事情か知らないが、ええとこへ行きなさいよ。」と沖へ押し流してやった。ところが翌日、又同じ所に死体が流れついているではないか。村人は気味悪がり、さらに沖の方に押し流してやったが、翌日には、又同じ場所に流れついていた。その内、この若い女は依田某という者が都から連れて帰った女であることが分かった。京の上﨟島へ置き去りにされた彼女は、いくら待っても迎えに来ない男へのやるせない慕情と離れ小島に一人残された心もとない寂しさに耐えかねて、ついに海に身を投げたのであろう。
そして、彼女の魂は渋川の浜辺に流れつきここを離れようとはしなかったのである。これを哀れと思った村人たちは付近の松林の中に懇ろに葬り、そこに小さな祠を建てて祀ったのである。依田某は、後悔し、社や鳥居の建立からお祭りまで全て身をもって奉仕し、その菩提を弔ったという。
今も人々から「浜の神さん」と呼ばれ、松林の中にひっそりと祀られている。
写真は、渋川八幡宮入口。撮影日当日(10/10)は、お祭が終った後の片づけを行っていた。

34.渋川マリン水族館(玉野海洋博物館)
水族館と陳列館を合わせた施設で、34個の水槽には、瀬戸内海や四国沿岸の魚を中心に約180種、2,000匹を飼育展示している。陳列館は、珍しい海の動物を標本として陳列する他、魚類、甲殻類の剥製を始め、海の性格や利用に関する資料、内海の自然や人文現象を教える多くの貴重な資料を展示している。その他、アシカ池、ペンギン池、ウミガメ池など、楽しい施設があって、海洋の自然や生活、利用などについて多くのことを学ぶことができる。
写真は、水族館の水槽で泳ぐ大きなウミガメたち。

35.ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル
1Km続く白砂青松の海水浴場で有名な渋川には、昭和34年(1959)に建てられた国民宿舎「玉野荘」があったが、老朽化により建替えが必要となった。施設を所有する玉野市は、昭和61年(1986)シャロン㈱と大型ホテル建設で合意。昭和63年(1988)「瀬戸内国際マリンホテル」を建設オープンした。地上6階地下1階、客室191、収容人数540人を有するリゾートホテルだったが、筆頭株主シャロン㈱の経営破綻により、平成14年(2002)に閉鎖した。
その後、経営を引き継いだのが、全国的に会員制リゾートホテルを展開しているダイヤモンドグループであった。玉野市唯一の本格的リゾートホテル「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」は、豪華な雰囲気をリーズナブルな料金で味わうことのできるホテルとして人気を博している。
写真は、ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルの全景。

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