6月28日(日)
毎月第2&4日曜日は、午前中に(10時~12時)創作狂言「武左衛門」の稽古、午後には(14時~16時)宇野・築港まちづくり講座があって、結構慌しい。
上2枚の写真は、狂言の稽古(第4回)と終了後の打合せ風景。
いつもの通り、歩き方の稽古と笑い方による発声の稽古の後、創作狂言の酒盛り場面の説明について聞く生徒たち。稽古が終わった後、「たまの東街道2009」の概要と今後の予定などの打合せに、全員参加。
3~6枚目の写真は、宇野・築港まちづくり講座(第3回)で行った宇野地区フィールドワークの風景だ。
先ず訪れたのは、宇野小学校前にある軽島八幡宮。今から330年ほど前、宇野の氏神様は集落から離れていたため、小高い丘となっているこの地に移そうとしたが、社殿が重くて上がらなかった。ところが、神主さんがお祓いをすると軽くなったので、この地を軽島というようになった。当時は、この地は島だったようだ。
鳴滝は、汐入川を遡ると小渓谷があって、玉野市の景勝地となっており、岡山県で最南端にある滝である。100年ほど前の明治末期に、倉敷市天城の富豪星島謹一郎氏は、ここに高楼と茶室を備えた鳴滝園という、自然美を活かした庭園を作り、多くの文人墨客が訪れていた。大正ロマンの竹久夢二も宿泊し、鳴滝図を残している。現在、倉敷の三宅石油の所有となっていて、先代社長が収集した唐枕が数多く展示されている。戦後はここにレストランが作られ、かつては三井造船に大型貨物船を発注した船主さんの接待などで、毎晩賑わっていたと言う。2年前にレストランは閉鎖されたが、部屋は当時のまま残されている。
写真は、重要文化財にしてもいいような高殿の下を通る講座生。夢二を物心両面から支援していた岡山の大藤氏、星島氏との関係を示す説明額(是非拡大して読んでみていただきたい)。レストランの眼下に望む鳴滝渓谷。
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