第7回 35年品質保証 ~近江で、新津で
私は、このプロジェクトに本格的な3社プロジェクト発足直前の平成3年8月から参画、平成10年3月、三井造船の最後の一人となるまで、6年8ヶ月の長きに渡り、JR東日本や東急車輛の人達と共に苦楽を共にしてきた。
このプロジェクトに参加した全てのメンバーには、夫々に夫々の思いがあると思うが、私自身には、プロジェクト最後の年、大きなエポックとして忘れることのできない出来事が起こった。このことによって、最後に私は、JRさんの懐の深さというか、度量の大きさに感服したのであった。
平成9年の夏に発覚した側構造のスポット溶接用銅定盤の欠陥に対して取った対応の手法と手続きは、それまでのプロジェクトの進め方の集大成でもあったということが出来た。欠陥の原因追及、復旧方法の提案とその方法に問題のないことを検証するために行った十分なテスト、それを自分の目で直接見て確認、完璧なやり方と確信を持っての最後の工事とすることができた。この間、数ヶ月をかけたテストと補修工事において、JRの皆さんが示した節度と理解ある対応に、私は深い感銘を覚えたのだった。
その思いに応えるために、私は、(本日、急用で参加できなくなった)ナストーア㈱近江工場の当時副工場長だったIさんと二人、この銅定盤に対し、90歳の年を数えるまであと29年間(5年経った今からはあと24年)、死ぬに死ねない35年間保証をしたのだった。35年の保証をしたのは、修復した銅定盤は理論上35年間変わらず使用可能であることに自信を持っていたからであり、それだけ完璧な修復をしたという自負があったのである。その結果、このJRのプロジェクトは、私の生涯をかけたプロジェクトとなった。(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿