2010年6月23日水曜日

サッキータイム ~(財)福武教育文化振興財団~

6月23日

(財)福武教育文化振興財団は、進研ゼミの赤ペン先生などで全国的にも有名な教育と文化振興の会社・㈱ベネッセコーポレーションが運営する財団法人である。
URLは下記。
http://www.fukutake.or.jp/ec/index.html

㈱ベネッセコーポレーションは、直島を現代アートの島として世界的に有名にしたことでも知られる、いわば企業メセナの代表格ともいうべき会社である。
財団では、毎年、2000万円くらいの資金で約100件の文化活動団体に助成金を出し、市民やアーティストの芸術文化・教育の活動を後押ししてくれている。
因みに今年新規に助成を受けた団体は、合計90件、1620万円で、このうち4団体が3ヵ年継続助成の対象に選ばれている。UNO Port Art Filmsもその一つである。この他、昨年から3ヵ年継続助成を受けた団体が11件、320万円となっている。我がSNTJKも、昨年度を起点とした3カ年連続の助成を頂き、今年2年目の活動に入ったところである。

どのような目的と活動で申請したかは、下のPNGファイルを見ていただくこととして、実は昨日、同事務局から電話があった。
内容は、9月に助成金授与式があるが、その折に芸術フェスタの活動報告をして欲しいというものだった。数ある団体の中から発表していただきたいとの要請を受けるというのは、多分名誉なことなのだろうから、喜んで受けることとした。
発表するとなるとその資料作りが大変だが、玉野の活動を県内多くのアート活動家に知ってもらうチャンスでもあるので、折角の機会を有効に活用したいと思う。

2010年6月22日火曜日

サッキータイム ~淀川テクニックと宇野港モニュメント~

6月22日

7月17日から直島を中心に東備讃瀬戸の島々で開催される「瀬戸内国際芸術祭2010」を機に、玄関口の宇野港でもアート作品を観てもらおうと、大阪で活躍している淀川テクニックの作品を展示することになった。
4月16日の山陽新聞の記事では、作品展示に至る経緯が下記のような内容で紹介されている。

(以下、引用)
モニュメントを制作するのは、(岡山県)真庭市出身の柴田英昭さんと、熊本県出身の松永和也さんが2003年に結成した芸術ユニット「淀川テクニック」。大阪・淀川に落ちているごみ、漂流物を組み合わせてつくる遊び心あふれる作品が特徴。これまで「釜山ビエンナーレ」(06年、韓国)、「TWINISM」(09年、ドイツ)など国際的な展覧会に参加、高い評価を受けている。
芸術祭をめぐっては、市が実行委に入っていないため、宇野港にアート作品を置く計画はなかった。「宇野港に作品があってもよいのでは」という北川フラム総合ディレクターの意向もあり、開港記念事業という形で作品を設置することになった。
モニュメントは、7月ごろまでに、宇野港第一突堤に設置する予定。費用は市、県などが負担する。市商工観光課は「モニュメントで、高松市、直島に向かう観光客に玉野をアピールしたい」としている。

ユニットのBLOGは、下記URLから見ることができる。
http://yodogawa-technique.cocolog-nifty.com/

今日、たまたま宇野港にある産業振興ビルに行く用事があって3階サロンの窓から港を見ていると、何かそれらしい魚の格好をした作品(モニュメント)が作られつつあるので、見に行った。
近くに寄ってみると、鉄で作った超大型の魚である。直島往きのフェリーから眺めるのに丁度いい位置で、今まさに魚の骨組みが建っていた。恐らくこれから一月くらいかけて完成させるのであろう。

今回、市や県が宇野港をアート作品でアピールしようとする取組は、非常にいいことで評価したいと思う。
願わくば次の機会には、「アートハーバー宇野」の実現を目指している地元アーティストの作品を、このエリアに展示できるように動いてもらいたいものである。



2010年6月19日土曜日

サッキータイム ~古代米の田植え~

6月19日

この日午前中、玉野市山田上山田地区で行われた古代米の田植えに13名の方が参加された。
サッキー自身も生まれて初めての体験だったが、天候が曇り空だったせいか、そんなに疲れたという感じはなかった。でも、半日が過ぎると体のあちこちが凝り固まったようになった。曇っていたのに結構日焼けもしている。

今回、古代米の栽培の第1の目的は、11月に実施予定のタマノクルーズ乗船客の弁当に利用することである。余剰が出れば、収益事業として販売することとしている。
古代米は、栄養豊富で最近の健康志向に合致している。さらに遊休田を活用した今回の活動は、山田地区の体質に合った収益事業である。大きな金額にはならないが、収益金は芸術フェスタの活動資金の一部にはなるだろう。
皆が力を合わせ、楽しみながら活動できるのがこの仲間のいいところである。

写真は、田植えの風景。スタートして約2時間後には、最後の写真にあるように、見事な古代米の植えられた田んぼとなった。KCT(倉敷ケーブルテレビ)からも、取材の撮影にきていた。6/21(月)に放映すると言っていた。



2010年6月8日火曜日

サッキータイム ~Interspace Plan~

5月26日

「アートハーバーを考える」で書いた宇野港界隈でのアート展開として、今年は「街中アート展」を開催することとしていたが、そのテーマ名を『Interspace Plan』とすることが、5/26のアーティストたちとの話し合いで内定した。正式には、次回の企画検討会(6/14開催)で決まることとなるが、その意義について考えてみたい。

5/24の夜、芸フェス2010の街中アート展のテーマ名について布団に入って考えていたら、「インタースペース」という言葉を思いついた。ナショナル(国民、国家)にインターを付けるとインターナショナル(国際)になる。チェンジ(変化)にインターを付けると、インターチェンジ(交換とか交替)である。つまり、「インター」には、間とか相互とかの意味合いがある。スペースにインターを付けることによって、店の空間と作家又は鑑賞者との間に相互のコミュニケーションが生まれるイメージが有ると考えた。

英語にこの言葉があるのかどうか知らなかったが、翌朝辞書を調べたところ、"Interspace"という言葉があった。意味は下記の通りである。
interspace vb [ˌɪntəˈspeɪs](tr) to make or occupy a space between
つまり、「間を作る」或いは「間を占める」である。betweenが後ろに付いているので、両者の間に一つの空間を作ることになる。作家と鑑賞者とが店舗という空間で心と心を通わせる空間を作り出すという解釈も可能である。
芸フェスの目的として、三つのcom.(Communication(交流と共感)、Common(文化の共有)、Comfortable(寛ぎと楽しみ))を掲げたが、「インター」という言葉にはその代表格ともいうべき「コミュニケーション」(交流と共感=相互の情報交換)のイメージにもぴったり結びつく。

以前、商店街にある店内という空間での展覧会ということから、「インナー・スペース展」というテーマ名が考えられていたが、「インタースペース展」は英語として既にある言葉であり、空間で心を通わすニュアンスは、「インナー・スペース展」という言葉よりはリアリティがあるように思う。

今年、アートの島・直島とその周辺の島々で開催される「瀬戸内国際芸術祭」に、僅か3ヶ月で数十万のアートファンが、世界各地から訪れる。正にインターナショナルなアートイベントである。通過点の宇野港が、これらの人々と何の接点もないでは全くつまらない。アートの島の門前町として、諸外国の人々と心を通わせることができるかもしれない"Interspace Plan"に期待したい。

上の写真は5月の宇野港での一大行事“たまの・港フェスティバル”開催を前にした宇野港商店街であり、下の写真はフェスティバル当日(5/29)の朝一番の写真である。今年のフェスティバルには、2日間で11万人の人出だったそうだ。
瀬戸内国際芸術祭の頃、この商店街がどんな状況になるのか、いつもと変わらぬ閑散としたものなのか・・・。少し人が来て、"Interspace"を楽しんでもらうことができれば、今年はそれで充分である。
この "Intespace Plan"では、毎年すこしずつ作品の数が増えてゆくことを計画している。数年後には、凄い数のアートの街になることだろう。

2010年6月6日日曜日

サッキータイム ~同窓会(その2~八狼会)~

6月4日

八狼会のメンバー(昭和43年玉野入社のチョイワル8人組)は、入社直後から十年以上に亘り月に1度集まっては、馬鹿話で盛り上がっていた。その後、夫々に勤務場所も離れ離れとなり、それなりの地位についてからは、忙しさも手伝って集まる機会も殆んどなかった(一部メンバーでの集まりは1,2度あった)。60歳の定年から5年を経過したこともあり、この日(6/4~5)、「八狼会」を玉野市のダイヤモンド瀬戸内マリンホテルで開催することとなった。
急遽一人だけキャンセルとなったが、久しぶりに皆の元気な姿に接し、八狼会発足当時の思い出話は勿論、夫々の立場で活躍されてきたことや現在の状況などを確認、楽しい時間をもつことができた。
「俺は健康には気をつけていない。」と言っていた者があったが、健康には充分留意し、長生きを楽しんでもらいたいと願うばかりだ。

やや個人的な情報になるが、今回確認出来たことを以下に記す。
・T.K:2000年スペインPESA出向後、2003年からMODECに転籍。韓国、中国、シンガポール等での海外赴任を終え、昨年秋帰国した。現在は、特段何もしていない。スペイン在任中、欧州各地を旅することができ幸運だった。海外旅行をするなら、面白い場所や旨い所を紹介できる。
・H.K:佐世保重工に籍を置いたまま下請け会社(吉田重機)に出向し、居住区総組の工場建設等に当たっている。8年前に家内(奥様)が亡くなって以来、ゴルフを熱心にやっていたら、HCが6まで上がった。昨年、ゴルフでの出会いがあって再婚した。暫くは佐世保に居る積りだ。
・A.S:1998年、7年間のJR東日本のプロジェクトを終えた後、岡山支社からSBCに転籍。その在任中、ITとまちおこしを柱とするNPO法人SNTJKを立上げ、現代アートで宇野港の振興を図る「玉野みなと芸術フェスタ」活動に取り組んでいる。殆んどボランティア活動だが、忙しくしている。
・S.T:三友不動産に来て6年になるが、今月末玉野での任務を終え、千葉に帰る予定。現在、商工会議所が主催する中心市街地活性化協議会の運営委員長をやっている。昨年、委員会にいるA.S氏から八狼会への誘いを受け、参加させて頂くこととなった。今後とも宜しく。
・N.M:鉄構関係の子会社時代は、M社長(当時)に徹底的に痛めつけられた。辞めた後、南日本造船の工場建設計画に参加していたが、意見が合わず3ヶ月で辞めた。現在、水泳で1,000mを泳ぐことと、ゴルフの理論を実践に結びつける研究を楽しんでいる。
・T.M:60歳で三井造船を辞めた後、仕事は何もしてこなかった。昨年から労働審判員の任命を受け、労働関係の民事紛争を解決するための仕事(裁判にかける前の段階)に就いた。現在、2件目の審判に当たっているところだが、人様のお役に立てたらと思っている。
・G.M(今回欠席):昨年7月、昭和飛行機工業での任務を終え、玉野に帰った。今回は、母の介護のため急遽キャンセルしたが、次回は是非出席をお願いしたい。

今後、できるだけ毎年この会を継続開催することが、皆の総意として決定した。
2日目は、倉敷の美観地区を散策し、大原美術館で巨匠たちの芸術作品を鑑賞した。“蔵ぷぅーら”という洒落た和風レストランは分かりにくい場所にあったが、昼食は上品で美味しかった。

2010年6月5日土曜日

サッキータイム ~同窓会(その1)~

5月29日

5/29~30、萩で大学の同窓会が開催された。
集まった19人は、既に現役を引退した者、まだ頑張っている者など夫々だが、皆元気にしていた。
中でも、運輸省(現国土交通相)の研究所に勤務したO君は、その長い研究キャリアで執筆してきた論文集を発行。その内容の濃さに正直びっくりした。勿論博士号を取っているが、初めの数年は中々思うような成果が出ず、悩んだ時期もあったとか。彼のような秀才が出たことは、我らが同期生の誇りでもある。今後若い研究者の育成にあたって欲しいと思う。
今回萩で開催されることになったのは、ここに住むS氏の体調が思わしくなく、遠方への旅が難しいということからだった。萩は、歴史の豊富ないい街だ。幕末に活躍した志士たちの宝庫でもある。そこには、優れた指導者・吉田松陰がいたからに外ならない。
そのような学問の環境を整えること。少なくともその必要性を力説すること。それは、ある年代を過ごしてきた我々の責務なのかもしれない。