2009年6月28日日曜日

サッキータイム ~狂言の稽古&宇野・築港まちづくり講座~

6月28日(日)

毎月第2&4日曜日は、午前中に(10時~12時)創作狂言「武左衛門」の稽古、午後には(14時~16時)宇野・築港まちづくり講座があって、結構慌しい。
上2枚の写真は、狂言の稽古(第4回)と終了後の打合せ風景。
いつもの通り、歩き方の稽古と笑い方による発声の稽古の後、創作狂言の酒盛り場面の説明について聞く生徒たち。稽古が終わった後、「たまの東街道2009」の概要と今後の予定などの打合せに、全員参加。
3~6枚目の写真は、宇野・築港まちづくり講座(第3回)で行った宇野地区フィールドワークの風景だ。
先ず訪れたのは、宇野小学校前にある軽島八幡宮。今から330年ほど前、宇野の氏神様は集落から離れていたため、小高い丘となっているこの地に移そうとしたが、社殿が重くて上がらなかった。ところが、神主さんがお祓いをすると軽くなったので、この地を軽島というようになった。当時は、この地は島だったようだ。
鳴滝は、汐入川を遡ると小渓谷があって、玉野市の景勝地となっており、岡山県で最南端にある滝である。100年ほど前の明治末期に、倉敷市天城の富豪星島謹一郎氏は、ここに高楼と茶室を備えた鳴滝園という、自然美を活かした庭園を作り、多くの文人墨客が訪れていた。大正ロマンの竹久夢二も宿泊し、鳴滝図を残している。現在、倉敷の三宅石油の所有となっていて、先代社長が収集した唐枕が数多く展示されている。戦後はここにレストランが作られ、かつては三井造船に大型貨物船を発注した船主さんの接待などで、毎晩賑わっていたと言う。2年前にレストランは閉鎖されたが、部屋は当時のまま残されている。
写真は、重要文化財にしてもいいような高殿の下を通る講座生。夢二を物心両面から支援していた岡山の大藤氏、星島氏との関係を示す説明額(是非拡大して読んでみていただきたい)。レストランの眼下に望む鳴滝渓谷。

2009年6月27日土曜日

サッキータイム ~音楽プロデューサー・藤原憲一さん~

6月27日(土)

倉敷市児島唐琴に「NPO法人エマノンミュージック」という、コンサート企画やミュージシャンの招聘を主目的に活動されている団体があるのを初めて知った。お会いしたのは、理事長の藤原憲一さん。メグさんの紹介で駅東創庫に来られたとのことで、お話を聞かせていただいた。出身は元々宇野の出ということだが、ニューヨークで活躍された後、今は倉敷でNPO法人を立ち上げ活躍されているとのこと。経営的には、何処もNPO法人は辛いようだ。
音楽の分野では、数多くの人脈がおありのようであり、音楽という芸術分野が玉野でも花開けばきっと楽しいかも。7月4日(土)には、“Ted Rosenthal Piano Trio Concert”が岡山ルネスホールで開かれるそうだが、そのプロデュースをされたのが藤原さん。お付き合いが楽しくなれそうな方だ。

3枚目の写真は、藤原氏とは全く関係ないものだが、彼と別れた後行った、7/19に開催するバウハウスでのイバント「Dragon Hall de ナイト」のテスト映像(波浪)だ。バウハウスホールを竜宮城に見立てて、文化『海』館にしようと言う趣向である。この情報の詳細については、又後日。

2009年6月23日火曜日

サッキータイム ~森トラジンのエコポップアート展~

6月21日(日)

洋画家の森啓氏(画号/老虎人:トラジン)は、駅東創庫に「楽画喜」というオープンアトリエを開き、絵を描くことの喜びを一人楽しんでおられる。体験可能なアートデイ(第1&3日曜)には、子供たちも彼のアトリエに遊びに来ている。
彼は洋画を描くだけでなく、石ころや木切れ、布切れなど、人が見捨てる様なものを集めては、それに絵の具を塗って何かしら描き溜めておられるとのこと。今回、Gallry Minatoにそういったエコポップの素材を使った作品約80点を集めた展示会を開催されているというので立ち寄った。
写真は、その一部である。ライオンのような頭をした作品の顔をよく見ると、トラジンさんの顔にそっくりだ。2枚目以降の顔写真も誰かをイメージしているのだが、さて誰だろうか。オバマさんは直ぐに分かると思うけど・・・。


2009年6月20日土曜日

~自啓ノート(4) 新しいぶどう酒は 新しい皮袋に~

6月20日

国花の桜、いつ見ても桜の美しさは、目を見張るものがある。桜は、散り際の潔さが大和民族(=日本人)の魂をゆすぶるのだとも思う。
桜の名所は国内至る所にあるが、サッキーが見た桜でとりわけ素晴らしいと思ったのは2ヶ所。一つは、福島県三春町にある滝桜。あと一つは、岡山県真庭市にある醍醐桜。何れも樹齢千年を超すと言われる桜だ。その姿の美しさと周りを圧倒する孤高の姿は、正に自然美の極致で、剣豪・宮本武蔵を彷彿とさせる見飽きることのない見事さである。
三春町は、福島県中通り郡山市の東に位置する小さな町だが、梅・桃・桜が一度に咲きそろうということから三春という名が付いたという。樹齢1200年とも言われる滝桜は、枝垂桜の王様といっても過言ではない。滝の流れ落ちるような枝振りから滝桜といわれ、毎年何千もの人が訪れ感嘆の声を上げる。見頃は4月下旬だが、毎年少しずつ開花時期が早まっているようだ。
醍醐桜は、数年前のNHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」で、武蔵の若い頃の姿と共に映像化されていた。正に剣豪のイメージそのままの桜だ。読者にも一度は訪ねて見てもらいたい日本(2本)の桜である。

さて、タイトルの「新しいぶどう酒は 新しい皮袋に」に話題を変える。
イエス・キリストの教えが書かれた聖書のマルコ福音書に、次のような一節がある。「だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはりさき、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。」
皮袋というのは、この地方で水や油や酒を入れるのに使う袋で、山羊や羊などの皮で作られている。皮袋は、まず頭と四肢の膝以下を切断し、次に注意深く皮はぎをして作る。出来上がった袋に紐をつけ、水を運び、ぶどう酒を入れて吊り下げておくのに使っていた。
イエスは、古くなった皮袋が新しいぶどう酒の発酵力に負けて、ときに破けては大騒ぎした経験を持ったのだ。イエスは、溌剌と生命力に満ちた自分の教えを発酵力の強い新しいぶどう酒に譬え、形式に囚われて力を失ったパリサイの教えを古い皮袋に譬えたのだ。形式的な古い因習や古い考えに拘って、溌剌とした生命を殺したのでは、いいことは何も生まれないということをイエスは教えたのだ。

古い組織(古い皮袋)の中に、新しい思想(新しいぶどう酒)を取り入れようとするとき、そこには軋轢が生じたり、既得権益を守りたいという意識が働き、組織が壊れてしまうことがある。新しい理念、新しい規則、新卒の新入社員、これらは新しいぶどう酒である。ぬるま湯体質の古い皮袋がそのまま残っていては、新しいぶどう酒も底抜けで台無しになってしまう。新しい理念、新しいシステム(新しいぶどう酒)は、古い殻では育たない。新しい枠組み、新しい組織(新しい皮袋)が必要である。新入社員が新たな組織の中で、芳醇な香りのぶどう酒に育つには、大切に育てるという熟成の期間も又必要だ。

上に書いた二つの老桜には、根に新鮮な空気を送ることができるよう、周囲に踏み台が設けてある。これによって、見物人が根元を直接踏み固めるのを防ぐことが出来る。又、大きく伸びた枝には、支えの木が立てられ新芽の重さを受けてくれている。見事な花(新しいぶどう酒)を守るために、根や枝が常に新鮮さを保つように養生(新しい袋)されているのだ。

2009年6月17日水曜日

サッキータイム ~鉄アート~

6月15日(月)

玉野市山田に続木工業という小さな鉄工所がある。社長の続木一男氏は、昨年築100年を迎えた味野専売支局山田出張所の文書庫の鉄扉、鉄格子窓などの修繕工事を手掛けられていたが、一昨年から始まった山田での芸術フェスタに触発されて、昨年秋、初めて鉄アートに挑戦された。
若い頃盆栽を作られたことがあるらしく、形そのものは頭にあったようだが、それにしてもその見事な出来栄えは、どこに出しても恥ずかしくないと思う。写真の作品は、玉野市産業振興ビル4階の応接コーナーに展示してあった。設置して未だ間がないのか、説明用のキャプションもまだ付けられていなかった。松も見事だが、あやめの花も素晴らしい出来だ。
芸術フェスタを起点にした新たなアートの出現は、この活動の今後の可能性の拡がりを予感させるものがある。楽しみが益々増えてきた。

2009年6月16日火曜日

サッキータイム ~北向き地蔵~

6月14日(日)

宇野・築港まちづくり講座(第2回)は、築港地区のフィールドワークに出かけた。
広潟塩田の外周を通る汐入川に沿って歩いた。広潟塩田も相当の広さだ。塩田の中央を南北に宇野線が走っている。塩田は東も西も小高い山のふもとまで続くが、今回のフィールドワークでは、西側のふもとを走る汐入川から北に上り、塩田中央の宇野線に沿って南下した。
塩田の南の端つまり当時の海岸線に沿った老松通りには、かって老木の松が生えていた。昭和36年ごろ、交通の邪魔になるということから伐採されたそうだ。汐入川は塩の運搬としての用がなくなった後、大部分が埋め立てられ道が出来、今は細い雨水排水溝になっている。
広潟塩田の北側に北向き地蔵というお地蔵さんがある。聞くところによると、四国巡礼を終えて故郷へ帰る途中、旅の托鉢僧は、冬の暖を取ろうとして広潟二十六番塩浜で足を滑らせ亡くなってしまった。土地の人は、僧の冥福を祈るため浜の土手に祀り、「西広潟二六のお地蔵さん」と呼んでいた。後年、塩浜は埋め立てられ、二六のお地蔵さんは今の場所に移され「北向き地蔵」と呼ばれるようになったそうだ。お蔭が多いのか、お参りする人が結構多いとのこと。平成16年の台風による高潮災害の後、お地蔵さんに集まったお賽銭を義捐金として贈ったこともあるという。
北向き地蔵の直ぐ東側に、三井造船の独身寮だった広潟荘がある。サッキーは、昭和43年入社して結婚するまでの約3年半、その広潟荘に住んでいたが、お地蔵さんのことは全く知らなかった。当時は、会社と寮の往復と、たまの休みは岡山、高松、倉敷などに出かけ、夜はスナックに飲み歩きというのがパターンだったような気がする。その頃は、全てが仕事との関わりであった。地域とかコミュニティとかの意識は全くなかった。時代とともに社会の風景や住環境が変わって行くのと同じように、人の行動パターンや意識も年とともに変わってゆく。その変わりゆく人と事物の中に、変わらない芯というものがあるようにも思う。今、この年になって、その芯(心)を探し求めて、芸術フェスタの活動を進めているのだろう。きっと。
写真は上から、老松が植わっていたポイントで、築港地区で有名なラーメン店「萬福軒」の前に位置する。広潟塩田の西側の、今は狭くなった汐入川。塩田北側に鎮座まします北向き地蔵。義捐金を贈ったときの新聞記事。フィールドワークから帰った後の講座の風景。

2009年6月15日月曜日

サッキータイム ~最後の浜子~

6月14日(日)

山田の村上さん(91歳)は、入浜式塩田労働者である浜子として、製塩作業に従事された最後の生き証人である。現在、当時の浜子で生き残った者は、他に一人もいないという。正に最後の浜子である。若いときに製塩労働で鍛えた体は、90歳を超えた今もかくしゃくとして、当時の浜作業の様子を淡々と語ってくれた。
この日、創作狂言講座(第3回)があって、狂言「武左衛門」の一場面に出てくる浜作業の実際を収録することを目的として、村上さんに来ていただいたのだ。
入浜式製塩作業は、朝4時からと午後2時ごろからがピークで、かなりきつい作業だったようだ。
潮の干満を利用して塩田に取り込んだ海水を蒸発させ、塩が付着した砂を沼井(ヌイ、コンクリート製の大きな砂桶のようなもの)に集め、海水をかけて塩を溶かしてかん水を作る。できたかん水をパイプを通して塩釜に集め、釜で煮詰めて塩を採取する。沼井で塩を洗い流した砂は、再び塩田にまいて、海水を濃縮し塩を付着させる工程を繰り返す。
下記URLに作業工程を分かりやすく図示してある。興味ある方はご参照。
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/sio/japan/setonaikai.html

村上さんの説明の後、講座に移った。今回は、基礎練習の後、創作狂言の中の一場面である宴の席で祝いの酒を注ぐシーンを練習した。扇を使って、「ソレ、ソレ、ソレ、ソレ、ソレ、ソレ!」と注ぐ様子が何ともおかしかった。
写真は、製塩の様子を説明する村上氏、話を聞く講座生、沼井に砂を集める所作を説明する村上氏、酒を注ぐ場面の練習をする講座生。


2009年6月11日木曜日

~ 自啓ノート(3) ものづくりと人の和 ~

6月11日(木)

船旅は楽しい。瀬戸内の多島美を船に乗り、爽やかな潮風を受けて旅に出るのは、心浮き立つものがある。オリーブとジャスミンの香り漂う小豆島、現代アートで世界的に有名な直島など、思っただけでもぞくぞくする。四国に渡れば、「坊ちゃん」の道後温泉でゆったりのんびり、船旅は楽しいものだ。
船は、ロマンチックで郷愁を誘うもの。サッキーは、そんな船を造ってみたいと、大学も造船学科を専攻し、岡山県玉野市にある三井造船に入社、船と言う「ものづくり」に長年携わってきた。造ってきた船は、原油を運ぶ「油送船(タンカー)」、鉄鉱石を運ぶ「鉱石運搬船(オアキャリア)」、穀物を運ぶ「バラ積み貨物船(バルクキャリア)」、貨物用コンテナを運ぶ「コンテナ船」、乗用車などを運ぶ「自動車運搬船(カーキャリア)」など、いわゆる貨物船だ。
今回のノートでは、「船」というものの製造プロセスを紹介して、ものづくりというものの面白さや大変さ、いい船(もの)を造るためにはその道のプロと呼ばれるような多くのいい人材が必要であること、又そういった人たちの連携と和がとても大切であることを感じてもらいたいと思う。
船は大きさや種類にもよるが、5万トンクラスの貨物船だと20億円超、客船や軍艦等は数百億円もする高価な製品だ。だから、船主も造船所も最初の計画段階に相当の時間をかけて、船の仕様を検討する。造る船の目的(何のための船)、航路(どこからどこへ航行する)、船籍(どこの国の船)、船級協会(船の安全を保証する保険協会)、主要目(長さ・幅・深さ、貨物容積、積載重量、船速)、乗員数、自動化率、燃費、乗り心地等に応じて最適な船の形状や配置、構造計算や板厚の決定、メインエンジンや各種機器、プロペラや舵の大きさ、居室の内装計画、最適な電気・通信装置、塗装要領、建造方針等、検討することは多岐に亘り、多くのマンパワーが投入される。
計画が合意され受注に漕ぎつけると、愈々本格的な設計が始まる。製造に長期を要するメインエンジン、発電機、プロペラ、アンカーチェーンなどを発注し、船体を構成する鉄板の仕様と納期の設定を行う。船は、造船所の持つクレーン能力に応じた100~200トンに分割されたブロックというかたまりを、船台上(又は建造ドック)で積み木細工のように積み上げて造る。船台上で船体が完成すると、華やかな紙吹雪とともに海上に滑り出す進水式だ。岸壁では、船を動かすための各種装置やパイプを取り付け、調整する艤装工事が行われる。最後に海上公試運転を行い、船主に引き渡される。起工~引渡しに約半年弱、受注からだとゆうに1年はかかる長丁場である。
船を造るには、多くの人々の知識と経験、知恵が投入される。船を設計する人、材料を調達する人、船の施工計画を立てる人、鉄板を切断し曲げる人、鉄板と鉄板を溶接する人、進水準備をする人、パイプを繋ぐ人、エンジンを組立て取り付ける人、テストをして記録を取る人、品質を確認する人、塗装する人、等々延べ数万人の人々が関わりを持つ壮大なプロジェクトである。
そこでは、我が侭な行動は許されない。連携しうまくかみ合ったとき初めて、船主に気に入ってもらえる、いい品質の船(もの)が安いコストで出来上がる。
ものづくりとは無縁の病院でも、診療報酬システムとかオーダリングシステムの構築と言う、目に見えにくいものづくりを進めることがある。その過程では、予想される混乱、気付いた点の的確なアドバイス、それを受け入れる謙虚さなど、全体として連携と調和が必要なことはいうまでもない。
ものづくりには、人と人との和(輪)と連携が大切であることは、どの世界も同じことだ。

2009年6月8日月曜日

~ 自啓ノート(2) 「企業理念」とは ~

6月8日

13日の金曜日。ヨーロッパでは、キリストが磔にされた日ということから不吉な日とされている。サッキーは以前、中途採用社員をわざと13日の金曜日に入社させたことがある。彼自身は気づかなかったようだが、入社式の日、彼にこう言った。「今日は13日の金曜日。何でこんな不吉と思われる日に入社式をしたと思う?“入社”という君にとっての再スタートの日が最悪の日だったら、この先これ以上悪い日は来ないだろう。君にとっても会社にとっても、明るい明日が来ることを信じて頑張って欲しい。」今彼は、その会社になくてはならない中堅の営業マンとしてしっかり活躍してくれている。
自啓ノート第2回は、「企業理念」ということについて考えてみたい。
企業理念或いは基本理念とは、企業経営を行う上で企業自身がどのような考えに基づいて運営して行くのかを示した究極の目標のようなもので、企業の全ての活動の根本原理のことである。
わが社は、何のために存在するのか。誰のために貢献すべきなのか。お客様や地域社会に迷惑がかからないよう、会社を維持するためにどのように行動しなければならないのか。働く社員の幸せを守るために、経営者や各社員は何をしなければならないのか。
企業理念とは、そのような企業経営を行う上で、企業が目指すべきゴールであり、方向を示す羅針盤でもある。どのような状況になろうとも変わることのない「フィロソフィ(哲学)」ということも出来る。企業が、地域社会やお客様からこの社の製品を買ってよかったと思ってもらえる、多くの人たちからそんな評価をいただけるような、社員の行動原理。それが「企業理念」である。
因みに私が最初に入社した会社・三井造船の場合はどうだろう。入社した当時(1960年代後半)、三井造船には企業理念はなかった。少なくとも教えてもらった覚えがない。増える一方の造船受注の工事消化に、それ行けどんどんで仕事するだけだった。
その後(1970年代後半~1990年ごろまで)、構造不況の波に翻弄された造船は、縮小均衡の経営に舵を取らざるを得なくなった。そんな中から新たな道を模索すべく企業理念が策定され、現在の理念は、2005年に改定された。
三井造船の企業理念は、企業の存在意義・使命を示すものとして、
「社会に人に信頼されるものづくり企業であり続けます」とされている。
この他、代表的な企業の理念を幾つか並べてみる。
・松坂屋:地域の人々との信頼を深め、社業の発展を通じて、豊かな生活文化の創造に貢献します
・天満屋:優良商品の販売を通じて地域社会の生活文化の向上に寄与する
・藤田保健衛生大学病院:我ら、弱き人々への無限の同情心もて、片時も驕ることなく医を行わん
・パナソニック:生産・販売活動を通じて社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与すること
・本田技研工業:人間尊重 三つの喜び(買う喜び、売る喜び、創る喜び)
・ソニー:特にないようだ。
よく見ると、どこの企業理念も似たり寄ったりの言葉を並べているではないか。社会に役立つ企業として、従業員にどう働きかけ、どのように考えさせ、行動させてゆくか。これができれば、いいのであろう。それを企業理念とするか、年度目標とするかは、その企業の歴史であり、文化であり、行動基準なのだろう。
「企業理念」これは、有るということが大事なのではなく、その企業をどう導いてゆこうとするかのトップの姿勢(意志)が大事なのかもしれない。「よし、この会社のために頑張ろう。」という気にさせることが大事なのだと思う。
そういう意味からいうと、最初に書いた13日の金曜日の話はどうだったのか?

2009年6月7日日曜日

サッキータイム ~道後温泉日帰りバスツアー~

6月6日(土)

ドラッグストアの景品に標題のバスツアーが当たって、しまなみ海道と道後温泉・癒しの旅に参加した。僅かに若い夫婦連れがいるが、大多数が年配のおばちゃん軍団だ。後ろの席のおばちゃん、朝から晩までしゃべくりまくりで、よくまー話の種が尽きないことと驚くばかり。
早朝から13時間くらいのツアーで途中寄った所は、
①総社に1月前にオープンしたという真珠の店「珠屋」・・・真珠の説明と対面販売
②松山市にある道後温泉「道後プリンスホテル」・・・昼食と温泉
③大三島にある「大山祇神社」・・・参拝とおみやげの店
④瀬戸田にあるジェラートの店「ドルチェ」・・・アイスクリームでひと休み
の4ヶ所。いずれの場所もたっぷり時間をとって、ゆっくりした旅行であったが、買い物に大して興味のないサッキーとしては、若干退屈な旅行だった。
朝1番に行った珠屋は、真珠を製造販売している会社で、説明では海ではなく中国の淡水湖で作る無核真珠ということらしい。アコヤ貝で作る真珠は、丸く削った貝殻を核にして真珠層を巻かせるので短期間(1~3年)に丸い真珠を作れるが、珠屋真珠は100%真珠層なので時間も掛かるし(3~10年)、丸い真珠は中々作れないとか。販売員のおばさんが面白おかしく上手に説明していたが、お値段もそれなりだ。写真は、宝石としての製品にならない真珠だが、確かに美しい。
道後温泉は、やはり本館の温泉に浸かりたいもの。道後プリンスホテルで昼食・休憩後は、近くに松山城や子規記念館などあるが前を通ることもなく、ひたすらしまなみ海道へのルートに帰る。
今治市大三島にある大山祇神社だけは、かなり由緒ある神社のようで、見応えがあった。山の神、海の神、戦いの神として歴代のや武将から崇められた神社だとか。多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の類約4割もがこの神社にあるらしい(国宝8件、国の重文75件)。神門の前にあるご神木は、樹齢2500年という見事なクスノキだ。案内人は、おみやげやさんの従業員なので、説明もそこそこに宝物館に入ることもなく、おみやげ店へ直行。欲しい物は何もなし。
最後に寄ったジェラートの店・ドルチェのある瀬戸田は、西日光・耕三寺、平山郁夫美術館で有名だが、日本のレモンの発祥地だそうで、国内生産の70%が瀬戸田で採れるという。レモンのアイスクリームを食べたが、確かに美味しかった。でも、わざわざここまでアイスクリームを食べに来ることは、二度とないだろう。
充実した1日とは言えなかったが、新しい発見も幾つかあったので、無駄な1日だったとは言えない、かな?

2009年6月3日水曜日

自啓ノート(1) 仕事の基本「5S」について

6月3日

今回から、サッキーの座右の銘とも言うべき、故山下勇氏の教え「自啓不止」(死ぬまで勉強・自己啓発を継続すること)から「自啓」をを拝借し、「自啓ノート」と題してこれまでに学んできたことや思うことなどを不定期で綴ってみたい。
第1回目は、仕事の基本「5S」について。

「5S」とは、整理・整頓・清掃・清潔・躾の頭文字のS、5つの「S」を指す。5Sは、事務所や工場などの環境美化を推進するときの手順ともなる。
「整理」:要る物と要らない物を仕分けし不要な物を捨てることを「整理」と言って、5Sの基本と言われている。要らない物が溢れていると、中々片付かない。どこの会社にも、要らない物がたくさんある。不要な物を洗い出すとき、本当に廃棄していいのかどうかの判断に迷うこともある。こんなとき一呼吸おいて次回に回すのも、意外と次に使える用途を見つけることがあって、とっておいて良かったということがある。これ又不思議なことだ。年に1度くらいのペースで整理の月を作り、捨てるべきと思われる物をリストアップすれば、効率的に整理できる。年末などはいい機会だろう。
「整頓」:整理が済んだら、必要な物が残る。その必要な物を取り出しやすいように並べ替えたり格納したり、順序良くファイリングしたりするのが「整頓」である。どのように並べたらより効率が上がるのか、安全にできるのかを考えてやる。格納用にラックや箱などを導入したら、より効率よく整頓できるだろう。
「清掃」:整理整頓ができたら、残品やごみが生じるので、それらを綺麗にする必要がある。これを「清掃」という。床掃除や机上の雑巾掛け等は、大体どこも毎日行われているが、窓やドアの桟、シンクの表面、冷蔵庫、備品類、ガラス窓、ブラインド等については、ほこりを被り汚れの目立つところが結構見受けられる。そのような所も綺麗に磨き上げ清掃すると気持のいい職場にすることができる。週に1回くらいは、一斉清掃タイムを設けたら、同時に整理整頓もやろうかという気になる。そこで隅々まで清掃を徹底したら気持ちいい職場にすることができる。
これら3つのSを一般に「3S」といって、いい会社と言われるような所は、ほぼどこの会社も採用している。
「清潔」:上記3Sにより事務所全体や工場が美しくなったら、必然的に清々しい状態が生まれてくる。その状態を維持するのが「清潔」である。ほこりや汚れ以外に、害虫などによる不衛生な状態もいやなものだ。原因となる床下の湿気や排水枡の不潔なども、定期的に清掃をして清潔にすれば害虫駆除も可能となる。病院や飲食店など特に清潔さが要求される所では、制服などもいつも洗濯して清潔を保つべきだし、髪や手指などの清潔にも心がけるべきである。
「躾」:上記4Sを身に付けて、言われなくても実践し、実践できる人になることを「しつけ」と言う。しつけを漢字で書くと、身を美しくすると書く。つまり、「躾」の行き届いた人とは、やるべきことが分かり、それをきちっとやることの出来る人のことをいう。このような人は、見るからに身も心も美しいものだ。上記清掃タイムなども、躾が自然と身に付く一つの手段である。
5Sが習慣化されるようになれば、必ずその会社はうまく回るようになる。この「習慣」を入れて「6S」ということばを謳っているところもある。
5Sを実践する前に、先ずは「整理・整頓」(2S)から始めよう。2Sができれば、必要なものが直ぐに取り出せるのだから、仕事が捗ること請け合いだ。作業現場では、安全作業ができるというもの。事故災害の多い職場は生産第一で、5Sどころか2Sさえもなおざりにされている。心すべきである。

2009年6月1日月曜日

サッキータイム ~鳴滝園~

6月1日(月)

玉野市宇野七丁目の名勝鳴滝に「鳴滝園」がある。自然の巨岩と滝を使った、県内でも類を見ないほど美しい庭園である。
かつて鳴滝園は、和風ステーキレストランとして有名で、三井造船の船主さんなどの接待に頻繁に使われ、凄く賑わっていた。かの竹久夢二も、ここに1泊して旅の疲れを癒したと言う。サッキー自身も入社して2,3年の若かりし20代の頃、仲間と共にここ鳴滝園で会食をした覚えがある。
今は訪れる人も少なく、レストランも閉鎖されて3年近くが経つとのこと。
鳴滝園の主人が陶枕を集めるのが趣味だったらしく、邸内に「中国陶枕収蔵館」があって、立派な陶の枕50個くらいが、ガラスケースに陳列されている。庭園などをもう少し手入れをして小奇麗にし、うまくPRすればきっと訪れる人も多くなると思う。
鳴滝園は、個人の所有する庭園ではあるが、玉野市の宝といって間違いない。
滝の上にかなり大きなため池(こちらは公共施設)があって、ダムで堰き止められているが、山火事対策や農業用水として使われるため、普段は余り水が流れていない。観光用として水量調節しながら水を流せば、適宜滝を眺めることができる。
できれば恒久的に少なくとも芸術フェスタの期間中だけでも、何とかここ鳴滝園の活用を考えたいものである。
6月28日(日)の第3回宇野・築港まちづくり講座でのフィールドワーク候補地となっており、この日清水&佐藤両氏と共に、下見に行ったのである。管理人のおばさんも気さくな方で、色々便宜を図ってくれそうだ。ありがたいことである。