2009年6月16日火曜日

サッキータイム ~北向き地蔵~

6月14日(日)

宇野・築港まちづくり講座(第2回)は、築港地区のフィールドワークに出かけた。
広潟塩田の外周を通る汐入川に沿って歩いた。広潟塩田も相当の広さだ。塩田の中央を南北に宇野線が走っている。塩田は東も西も小高い山のふもとまで続くが、今回のフィールドワークでは、西側のふもとを走る汐入川から北に上り、塩田中央の宇野線に沿って南下した。
塩田の南の端つまり当時の海岸線に沿った老松通りには、かって老木の松が生えていた。昭和36年ごろ、交通の邪魔になるということから伐採されたそうだ。汐入川は塩の運搬としての用がなくなった後、大部分が埋め立てられ道が出来、今は細い雨水排水溝になっている。
広潟塩田の北側に北向き地蔵というお地蔵さんがある。聞くところによると、四国巡礼を終えて故郷へ帰る途中、旅の托鉢僧は、冬の暖を取ろうとして広潟二十六番塩浜で足を滑らせ亡くなってしまった。土地の人は、僧の冥福を祈るため浜の土手に祀り、「西広潟二六のお地蔵さん」と呼んでいた。後年、塩浜は埋め立てられ、二六のお地蔵さんは今の場所に移され「北向き地蔵」と呼ばれるようになったそうだ。お蔭が多いのか、お参りする人が結構多いとのこと。平成16年の台風による高潮災害の後、お地蔵さんに集まったお賽銭を義捐金として贈ったこともあるという。
北向き地蔵の直ぐ東側に、三井造船の独身寮だった広潟荘がある。サッキーは、昭和43年入社して結婚するまでの約3年半、その広潟荘に住んでいたが、お地蔵さんのことは全く知らなかった。当時は、会社と寮の往復と、たまの休みは岡山、高松、倉敷などに出かけ、夜はスナックに飲み歩きというのがパターンだったような気がする。その頃は、全てが仕事との関わりであった。地域とかコミュニティとかの意識は全くなかった。時代とともに社会の風景や住環境が変わって行くのと同じように、人の行動パターンや意識も年とともに変わってゆく。その変わりゆく人と事物の中に、変わらない芯というものがあるようにも思う。今、この年になって、その芯(心)を探し求めて、芸術フェスタの活動を進めているのだろう。きっと。
写真は上から、老松が植わっていたポイントで、築港地区で有名なラーメン店「萬福軒」の前に位置する。広潟塩田の西側の、今は狭くなった汐入川。塩田北側に鎮座まします北向き地蔵。義捐金を贈ったときの新聞記事。フィールドワークから帰った後の講座の風景。

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