2008年5月11日

深山公園のフリーマーケット

5月11日(日)

深山公園は、岡山県で最も観光客の多い公園だ。年間180万人ほどが訪れる。ただ殆ど全てが日帰り客で、落ちるお金の額も極めて小額である。来客の多い理由は、先ず自然が豊かであること。次に入場料も駐車料も只であること。子供連れの遊び場も十分にあること。などであろう。道の駅「緑の館みやま」では、地の野菜やアナゴ焼きなどが人気で、遠方から買いに来る人も多いようだ。
いつから始まったのか知らないが、毎月第2&第4日曜日にフリーマーケットが開催されている。今日初めて見ることができた。我がとんぼ玉クラブも、体験教室を出店していた。午前中は曇り空でやや肌寒い気候だったためか、体験者は今一のようだったが、午後からは天気も回復しかなり人出があったようだ。
写真は、とんぼ玉クラブのメンバーと、フリーマーケット出店の風景。

2008年5月8日

後期高齢者医療制度

5月8日(木)

この4月1日から施行された「後期高齢者医療制度」の経緯について、最近の新聞記事などから得た情報。この制度、初めから「年金から天引きするとはどゆうことや!」とか、「年寄りゃはよ死ねということか!」、等と、凄い罵声と悪評だ。又、「後期高齢者」という言葉自体にも抵抗があるようで、福田総理は急遽「長寿」とか言い始めたが、何となくどこかの生保のキャッチだよね。
そこで私からの提案、65歳以上「高齢者」、75歳以上「高齢者」くらいでは如何。低学年/高学年、低年齢/高年齢、低所得/高所得など普通に使われている。何れにしても、75歳以上のお年寄りがかなりな高高齢者であることには変わりない。福田総理は、6月支給の年金天引き時期までに若干の緩和策を考えると発表したが、果して誰が納得するんだろうか?

この制度は、元々医療制度改革の一環として「健康保険法等の一部を改正する法律」(平成18年6月公布)により従来の「老人保健法」を
高齢者の医療の確保に関する法律」とし、その内容を全面改正する中で後期高齢者医療制度を規定したもの。
高齢者医療については、長い間「老人保健法」による老人医療制度として実施されてきた。老人医療制度は、国・
都道府県・市町村の負担金及び健康保険等の拠出金によって運営されていた。しかし、急速な高齢化の進展により、その財政負担が重くなってきた。これまで、被保険者の年齢や窓口負担の引上げ等を行うなど制度改正でしのいできていたが、どんどん増え続ける高齢者医療費の負担に耐えられなくなった。そこで設けられたのが、「後期高齢者医療制度」なのである。
両者の制度で最も異なる点は、「
老人保健法」による老人医療制度が他の健康保険等の被保険者資格を有したまま老人医療の適用を受けていたのに対し、「後期高齢者医療制度」は独立した医療保険制度になった点である。2枚あった被保険者証が1枚になった。被保険者資格や窓口負担は、従来の老人医療制度と同様である。
この制度の運営は、財源として患者負担分を除き、公費5割、現役世代からの支援4割、高齢者自己負担1割となっている。この1割分について各人の所得に応じた額を、年金から天引きする形になった。政府のPRが不十分で、ここを責められているのだ。後期高齢者に対する医療給付と療養給付は、従来の保険で支給されるものと同じ。保険料の算定は、均等頭割50%&所得比例50%で、全国平均約6,200円/月である。
現在1300万人いる後期高齢者はこれから益々増え、逆に若年者は急速に減少する。従って、現役世代が負担している4割の支援金は、個人の保険料が少々増えたとしても、そのまま4割の支援は出来なくなるのは自明であろう。つまり将来的には、高齢者自身の保険料負担を増やさざるを得なくなってくるのだ。今でも厳しい高齢者の負担が今後益々増えてしまうことになる。勿論若い世代の負担も増えて、ますます厳しくなってくる。
高騰する保険料負担を減らすためには、皆が健康で病気に罹らないことだ。その対策として打ち出されたのが、40歳以上の人に課せられることとなった特定検診(所謂メタボ健診)である。これが又、どうなんだという論調もあるようだ。却って保険給付が増えるとの意見もあるようだが、何故そうなんだについて詳しくは分からない。
言えることは、健康で病気に罹らなければ医療費は抑制されるだろうな、ということだ。
後期~~何れ誰もが辿る道、いついつまでも自立できる健康な高齢者を目指さないとね。

2008年5月6日

渋川公園&渋川海岸

5月6日(火)

連休最終日、渋川公園の藤と渋川海岸の砂浜に、孫の佑磨を連れて遊んできた。
渋川公園の藤棚は、900mという日本一の長さを誇っており、毎年この時期に藤まつりが行われる。マリンフェスティバルinたまのの幕開けのまつりでもある。公園から海岸に歩いて行くと、岡山県下では一番の海岸線を持つ渋川海岸が広がる。遠くに四国坂出が見え、児島から架かる瀬戸大橋が一望できる。
http://odekake.jalan.net/spt_33204ac2100120379.html
今日は天気もよく、大勢の家族連れで賑わい、子供たちは水遊びに夢中だった。孫も初めて?の海岸での砂遊びに、かなり興奮していた。
愛知県の通っている病院近くに津島市という所があり、そこにも藤で有名な公園がある。天王川公園というが、毎年「尾張津島藤まつり」が行われるそうだ。ここの藤は東洋一と言われているようだが、藤棚の長さではなく種類の豊富さと花の見事さなのであろう。残念ながら中々時間が取れず、まだ見れていない。
http://odekake.jalan.net/spt_23208ah3330044215.html
写真は、今日時点まだ元気な藤の花と、砂遊びに興じる孫。

さくらのきせる

5月5日(月)

こどもの日の午後、Gallery MINATOでアオイアツシ君の絵本原画展と絵本の読み聞かせライブがあった。
“きせる きせる さくらのきせる すぅと さくらのさくきせる ふしぎな ふしぎな さくらのきせる”
単純な言葉の繰り返しだが、非常に不思議な魅力を持った言葉と絵である。子供達も不思議そうに絵本の中に釘付けとなっていた。やんちゃな佑磨もおとなしく聴き入っていた。色合いもピンクを基調に明るい楽しい絵だった。
終わったあと、吉備津彦神社の境内に泳ぐこいのぼりを観に行ったが、素晴らしい景観だった。

2008年5月3日

海の見える午後コンサート

4月29日(火)

昭和の日の午後、雑草の向うに海が見える。ここは、宇野港近くの古い倉庫を改装して出来た、新たなアート体験のスポット駅東創庫&Gallery MINATO。30人程度しか入れそうもない、さして広くもないギャラリーでのライブコンサート。田乃村眞市さん(55)のギターと藤原恵子さん(69)のボーカルは、参集した約40人の聴衆に、音楽の持つ魅力を十二分に堪能させてくれた。
最後の曲「30年を2時間半で」は、ちょっと前にBSライブで森山良子が歌っていたのを聞いていたので、一応知ってはいたが、歌なのかお芝居なのか見分けがつかないような、楽しくも切ないラブストーリーの曲である。恵子さんは、難しいこの曲を見事に歌いというか演じきった。69歳にして少女のような声で聴衆の心を捉えた。鍛錬の賜物とは思うが、紙芝居といい歌声といい、玉野の宝である。久しぶりに聞き応えのあるコンサートだった。

2008年4月29日

塩を題材にした創作狂言

4月26日(土)

今年の芸術フェスタ~アートタウン山田~で、狂言をやったらどうかという話があって、まちづくり講座の小野さん、佐藤さん、大西さんに加え、エコライフ玉野の副会長/高畠さん、芸フェスからはナビゲータの清水君と私の6人が、カフェ山田で打合せを行った。
話を持って来られたのは、高畠さん。彼は、昨年のフェスタにおけるパネル座談会で、塩にまつわる「能」の話をされた。ただ、「能」を地方でやるのは大変と言うことから、大衆芸能に近い「狂言」はどうかということで種々調べて頂いたところ、塩を題材にした狂言は皆無と言うことだった。それなら創作狂言はどうかという話になり、狂言師も福山に居るとのことから、話を前に進めることとなった。玉野の塩の街・山田で、日本初の塩狂言。実現すればきっと面白いものになると思う。困難が待ち受けることとは思うが、是非前向きに進めたいものである。

紙芝居

4月23日(水)

愛知県稲沢市にある病院に勤め始めて間もなく早2年が経とうとしている。週に4日(火~金)の勤務だが、毎週のことだし、岡山県玉野市に帰ったら自治会と芸術フェスタの仕事が待っている。玉野の方はどちらもボランティア活動だが、慌しいことは確かだ。
病院では、事務長と言う役を仰せつかっているが、全く畑違いの仕事だしこれまでの経験や知識だけでは殆ど役立たないことが多い。ただ、こちらが医療界のことを知らないのと同じ程度に、病院従事者は一般会社のことを知らない場合が多い。一般会社のやり方が通用することもあるし、そうでないこともある。どちらにしても、今の自分の力量以上のことは出来ないと、腹をくくってやっているのが実情だ。
病院では、デイケアサービスもやっていて、時々「紙芝居」をやらしてもらっている。紙芝居は、玉野で有名な紙芝居おばさんから借用ているが、月に1度か2月に1度くらいのペースでやっている。
今回は、「うみにしずんだおに」という高知県中土佐町久礼に残るお話である。荒れる海の波を防ぐために、堤防になる大きな岩を鬼が運んだと言うお話だ。久礼には「双名島」と言う大きな二つの岩があって、今も防波堤の役割を担っているそうだ。
病院で患者さんと接する機会は余りないが、この紙芝居では身近に接することが出来る。稲沢の人にとって、岡山の話や紙芝居の土地の話など、興味を持って聞いてくれる。皆さんにもっと親しみを持ってもらえる話が出来るよう、自分自身の見聞をさらに拡げたいと思う。
紙芝居には、水飴がつきものとの思い出があった。水飴の手配は出来なかったが、ぺろぺろキャンデーを準備して、少しでも雰囲気を味わってもらうこととした。次は拍子木が要るかも。
写真は、紙芝居を見る患者さんと熱演する筆者。