2008年8月25日月曜日

狂言を山田でやる意義

8月23日(土)

この日、岡山で多賀谷氏に狂言を習い事務局としてその活動を広めておられる広坂氏にカフェ山田に来て頂き、山田で狂言をやる場合の進め方、なぜ狂言なのかという基本の議論を行った。
日本には、古い芸能演劇のスタイルとして、「能」があり「狂言」がある。歌舞伎や浄瑠璃などは、古典ではあるが比較的新しい演劇スタイルである。古い製塩の姿を演劇で表現するための手法として、何があるかを考えたとき、庶民に分かりやすく、楽しく見ることの出来る狂言が相応しいと考えた。費用的にも、能や歌舞伎に比べ何とかなるのではないかと思った。
今年は、塩に関する創作狂言をやるには時間が無いため、兎も角狂言の楽しさを山田の方々に味わって頂くこととした。そうは言いながら、実際に狂言をやって頂くとなると準備も大変なのだと思う。狂言という新しい体験を味わって、さらにその手法を使って、製塩作業を笑える演劇として創作することに大きな意義があるのだと思う。しかし、山田の方々が本気になるかどうかが、成功するかどうかの鍵であり、そこにこそ狂言を山田でやることの真の意義があるものと考える。
昼からは、午前中に出席できなかった山田地区の方々と、スイカを頬張りながら、フェスタのイベント実施要領について話し合った。


2008年8月18日月曜日

立体芸術家/佐藤史仁氏

8月17日(日)

佐藤史仁(さとうふみひと)氏は、駅東創庫で立体芸術家として活動している作家である。
以前このBLOGでも紹介した、岡山県の宇野港第1突堤に設置された方舟は、彼と現代美術家の清水氏が長時間かけて創ったオブジェである。展示された方舟は単に見るだけでなく、作品と宇野港への思いを結びつけることが出来るような仕掛けが作ってある。神社のおみくじとも相通じるものだ。
駅東創庫に紹介された佐藤氏のプロフィールに、次のような彼のことばが書かれている。「芸術を通じて、世の中を少し違った角度から見ることが出来るようになる作品を制作していきたいと考えております。」
彼の芸術家としての学歴は凄い。
2001年米国コーコラン美術大学芸術学部修了、2003年バージニアコモンウェルス大学院立体芸術科修了、海外での受賞も多い。2006年から岡山で活動を開始、玉野での活動は今年初めから
落ち着いた風貌の中に、深い洞察と鋭い文明批評がある。今年、芸術フェスタにも参画して頂いた。木工アートの体験ワークショップを、子供たちと共に盛り上げて頂けたらありがたいと思う。
今後、玉野アートの重鎮となる一人と思う。末永くやって頂きたいと願う。
写真は、駅東創庫のアトリエで、芸フェスワークショップについて語り合う佐藤氏(上)と清水氏。

2008年8月12日火曜日

納涼の夕べ

8月11日(月)

毎年この日、我が住むまち~御崎シーサイド団地~の夏祭り「納涼の夕べ」が開催される。
今年も多くの人がまちの中心にある御崎公園に集い、かっからか♪ドーン!の太鼓の音に合わせ、多くの踊り子が盆踊りに汗を流した。子供たちも涼しげな浴衣に身を包み、太鼓の音とおみやげに釣られて大勢集まってくる。団地が出来て35年、当時若かった住民も大部分が定年を迎えたか間もなく定年となる、高齢者のまちとなった。どこにこんなたくさんの子供たちが居るのかと、この日ばかりは孫世代の子供たちが大勢集まってくる。嬉しいことだ。太鼓を叩くのも子供たち。
この団地も、次世代たちが背負って行きたいと言えるような魅力的なまちにするのが、今の大人たちの務めなのかもしれない。自治会の役割もそうあるべきなのだろう。
写真は上から、歌い手の舞台を準備する役員さん、可愛らしい浴衣の子供たち、かっからかの太鼓を叩く子供たち、最後は楽しげにかっからかを踊る自治会長さん(=Sakky)

2008年8月8日金曜日

夏祭り in ROKUWA

8月7日(木)

年に一度の病院の夏祭りが、立秋のこの日、盛大に開催された。
昨年までは、近くの踊り連の方々に来て頂いて「盆踊り大会」をやっていたのだが、今年は名古屋で大活躍されているマーキュリーレコードの歌手【いちのき久助】さんに来て頂いて、「キンブル一座ショー」を開催することとなった。
いちのきさんのご招待から、壁に大きく描かれた花火の絵や提灯飾り、リハビリ器具の片付けと会場準備その他諸々、スタッフの準備も大変だったと思うが、いちのきさんという方は、全国的にも有名なエンターテイナーだったことにはびっくりした。愛知県内で4店舗を展開をされているリサイクルショップ「キンブル」のオーナーで、現在はその会長さんである。名古屋市内に1,200坪の敷地と120坪の豪邸、ベンツとジャガーを持つという大金持ちだとか。趣味は歌うことで、あちこちの老人ホームや介護施設などで、歌のサービスをしておられるとのこと。歳は既に82歳だが、そのバイタリティは凄い。
入院患者さん、デイケアの患者さん、それに付き添いの方など、約90名の見物人は、大喜びだった。
写真は上から、今や遅しと始まりを待つ患者さんたち、「憧れのハワイ航路」を歌ういちのきさん、患者さんの近くに来て歌う北郷トシエさん、花束を受け取って喜ぶキングレコード歌手湯村れい子さん、最後にお礼の挨拶をする療養病棟&デイケアの担当スタッフ。

2008年8月2日土曜日

玉野まつり・踊り大会

8月2日(土)

やや曇り空ながら暑い休日、恒例の玉野まつり・踊り大会に、我が御崎シーサイド自治会からは、今年初めて参加した子供会を含めて44名が踊りを楽しんだ。
踊りが始まる前、消防団によるはしご乗りの曲芸があった。はらはらどきどき、大した技だ。命懸けで人を助けるには、こんな技で日頃から体を鍛えるんだろうな。素晴らしい!
その後始まった「かっからか」、約30分踊った後の中休みに飲むビール、うまいねー。今年は、シーサイドの踊り用法被を新調した。格調高いからし色は中々の評判だ。よく似たやまぶき色の法被で踊っているのは、隣まち日比地踊り保存会の人たち。「かっからか」を全市に広めたのは、この人たちだ。
5枚目の写真は、今年の『ほほえみマリン大使』、玉野の親善大使である。
総勢2,050人が参加したたまの踊りに、心地よい汗と筋肉の張りがあった。