2007年8月27日月曜日

NPO法人SNTJK理事会

スマイルネット玉情協(SNTJK)は、ITとまちおこしを2本柱としたNPO法人だが、先日(8/25-26)鴨方の遥照山ホテルに理事4名が集まり、理事会を開催した。
標高400メートルの山の上のホテルだが、今年の暑さでは涼しさも感じることは出来なかった。でも、山の上から瀬戸内海の眺めは素晴らしかった。
理事会では、「玉野みなと芸術フェスタ2007」実施内容の報告、法人事務所の移転、県の地域づくり団体ポータルサイト、その他について熱心に議論した。その後、懇親会で楽しく過ごすことが出来た。


2007年8月21日火曜日

山田での会合



夏休みの山田小学校は、生徒が全くいなくてひっそりしていたが、職員室を訪ねると先生方が忙しそうに働いていた。間もなく始まる2学期に向けて、準備が大変なのだろうか?
校長の船越先生は、非常に積極的な印象だった。

清水君(ナビゲータ)、北野氏(染織家)、青井君(イラストレータ)と自分の4人で訪ね、山田で行う今年の芸術フェスタに協力要請をした。小学校と言えども、昔と違って相当に忙しいスケジュールで、今になっての新たなイベントの入り込む隙間はなさそうだ。でも、4年生なら何とかなるかも知れないと検討を約束してくれた。ありがたやありがたや!
その後、山田まちづくり講座の小野さんと大西さんにお会いし、今回フェスタのイベント概要を説明した。気に入ってくれたのか、生き生きと輝いておられた。これまた、ありがたやありがたや!

会合が終わった後、塩田跡地に立ったが、その広大なことに感心させられた。これだけの広さが有れば、どんな凄いことが出来るんだろうかと、夢膨らむ思いだった。ナイカイ塩業から入る山田港は、宇野港からの観光船停泊にいい場所となると思う。塩専売公社のアート化などを整備すれば、魅力的な観光ルートになりうる土地だと思う。さて何年かかるんだろうか?

今日は、残念ながらカメラを忘れた。折角いいポジションがあったのに。
写真が無いのは寂しいので、今日一緒に行った染織家/北野氏の作品紹介をしよう。
彼は、明治の建物・塩専売公社の廊下にタペストリーか何かのインスタレーションをしてくれるのかも知れない。写真のような幻想的な乗り物なんかいいかも・・・。それとも、お店風に暖簾などは・・・









2007年8月19日日曜日

芸術フェスタ企画検討会

8月19日

昨日(8/18)行われた検討会で、「玉野みなと芸術フェスタ2007」のメーンイベントが、11月23日(金)~25日(日)までの3日間、山田地区で開催されることとなり、具体的なイベント案について議論された。正式には9月3日(月)に開催される実行委員会で決定されるが、それまでの2週間で、より明確な方向性を打ち出さなければならない。
今回の芸術フェスタは、各地に残る「地の歌」の掘り起こしから始まり、山田で発掘した「浜子唄」が決め手となって、山田地区で開催することとなった。芸術フェスタの発端となった宇野港を離れ、山田港に場所を移しての開催だが、宇野港のアートハーバー化を目指すだけでなく、玉野市のアートシティ化を目指すために、点から線、線から面への展開としていい経験になるのだと思う。
今回は、これまでの4回に比べやや地味なイベントになるだろうが、歴史の再発見と文化の伝承として、今後の玉野の芸術文化の推進方法として、試験的な取り組みになると思う。
浜子唄は、山田地区・東野崎浜塩田で働いていた製塩の労働者(浜子)が歌っていた労働歌であるが、この歌が残してくれた文化遺産に現代アートと言う衣を着けることによって、さらに後世に残すことが出来れば、浜子唄が与えてくれた恵みであり有難いことだ。
写真は、上から①山田に残る跳ね橋遺構、川の向う(南側)が旧塩田跡地で川の出口が山田港、左手(北側)にナイカイ塩業本社工場がある。②芸術フェスタ2007のイベント開催場所として計画している塩専売局の文書庫。③現在デイサロン「しおさい」として使われている旧味野塩専売局山田出張所、ここでライブ「浜子唄」やパネル座談会の開催を予定している。


2007年8月11日土曜日

納涼の夕べ

今夜、御崎シーサイド自治会の「納涼の夕べ」が開催された。
以前は、「納涼の夕べ」と言えばカラオケ大会だったが、2年前から玉野の地踊り(盆踊り)「かっからか」に代わった。カラオケも悪くはないが、どうしても同好の士の集まりになりやすく、その点盆踊りはみんながこぞって参加出来るところに親しみがより増すのだと思う。
これまで2年間続けた盆踊りが非常に好評で、3年目を迎えた今年は、これまでに倍するほどの盛大な真夏の夜の祭典となった。前半の子どもの部も後半の大人の部も参加賞が足りなくなるくらいの賑わいだった。特に大人の部は、日比地区の地踊り保存会の皆様による生音頭と生太鼓の正調かっからかが素晴らしく、予定を30分も超過するほどの熱の入りようとなった。ご近所の皆様には少しうるさかったかも知れませんが、年に一度の地区のお祭りと思ってご容赦ください。
玉野みなと芸術フェスタの今年のテーマ「地の歌の発掘」の一つの歌になるのだと思う。

2007年8月5日日曜日

かっからか

昨夜玉野市役所横の大通りで行われた「玉野まつり」~かっからか大会~に、御崎シーサイド連として参加した。チラシ情報では、おどり参加者52連2,003人だとか。傘を持って踊る連、子ども達だけの可愛い連、うちわをかざしながら踊る連、岡山のうらじゃばりに派手な化粧をした連など、どこも様々なスタイルで楽しく踊っていた。我がシーサイド連はと言うと、浴衣姿の婦人部とはっぴの男衆とで地味な正調かっからか。直ぐ後ろの連が市商高で元気いっぱいの若手連、初めから終わりまで大声張り上げてのお囃子に圧倒されまくり。それでも、30分×2回の踊りに心地よい大汗だ。合間に飲んだビールは、まっこと最高!
今年は、去年より見物客が増えているように感じたが、踊り手としても観客が多い方がうれしいものだ。参加して感じるのは、やはり踊る阿呆の方が楽しいかなということだ。今週末の土曜日(8/11)には、シーサイドで「納涼の夕べ」がある。ここでも、盆踊りとしてかっからかを踊ることにしている。
今年の芸術フェスタは、玉野の地の歌を探り歴史の検証をすることとしている。当然かっからかも対象の一つとなる。昭和48年、宮川澄夫さんと言う玉野の文化活動家が盆踊りの復興を願って「常山落城記」を作られた。その後、昭和52年に「武勇のほまれ大槌のおろち退治」、55年には「お菊明神」が出来ている。「かっからか」の今の隆盛は、宮川さんという方のこれらの物語が大きな大きな要因となったと思うし、かっからかのこれらの歌詞は、今後も玉野まつりの踊り歌として残り続けることだろう。
写真は、踊りが始まる前にフェスタ実行委員の下川さんに映してもらった。一緒に写っているのは、書記担当の西岡さん(上の写真左)、文化体育部長の西浦さん(下の写真左)。我が自治会を引っ張る有能な役員たちだ。