2008年6月30日月曜日

大江さやか先生と堀口華江先生

6月29日(日)

今日は、玉野市築港のアート工房るんるん島で、週に4日開催される「玉野とんぼ玉クラブ」の当番だった。運のいいことに今日は、月に一度の先生による指導のある日だ。偶数月に大江先生、奇数月に堀口先生が来られる。いつもテーマを決めて来られるが、今日はアイスコーヒーやカルピスなどをかき混ぜるマドラー作りの指導をされた。5人来られた生徒さんも真剣に挑戦されていた。
大江先生は、「玉野みなと芸術フェスタ2004」のイベントの一つとして開催した「体験アート~とんぼ玉」の講師として、堀口華江先生と二人でとんぼ玉作りの指導をしてくれた。翌2005年4月に、その設備を活用して開設した「玉野とんぼ玉クラブ」に、引き続き先生として月に一回ずつ交代で来て下さっている。お二人とも、2004年に倉敷芸術科学大学の修士課程を卒院され、岡山県内で新進気鋭のガラス作家として活躍されている。大江先生は、キルンワークという溶融法のガラス作家で、堀口先生は吹きガラスの作家である。お二人とも若くてきれいで親切で、みんなの人気のまとである。
写真は、マドラーの作り方を教える大江先生と、真剣に聞く生徒さん達。2枚目の写真が作品の一つ。3枚目の写真は、芸フェス2004のときの堀口先生の指導風景。

当番が終わった後、駅東創庫Gallry Minatoで開催中の「K博士の恐竜発掘記録」という、北野静樹氏の個展を見学した。彼は玉野市で売り出し中の染色作家であり、芸術フェスタの企画部員としても活動してくれている。写真はその作品の一つで、孫のために一着買い求めた。

2008年6月29日日曜日

山田散策ルートのフィールドワーク(第2回)

6月28日(土)

カフェ山田に集まったメンバーは先ず、山田地区の大型図面(A0版)に、拠点となるポイントにマークをつけた。上山坂地区と塩田地区については、少し見所の印が付いたが、白石地区についてはまだ何も付いていない。そこで今回は、白石地区に行くことにした。ナイカイ塩業の社宅のすぐそばに四御神社という小さなお社(ヤシロ)がある。四御神社は、大正13年の石碑に「200年祭記念石」と書かれていたところからすると、約285年前に出来た神社であろう。祀ってある神様の名前は、余り有名ではないような気がしたが、身なりのいい女児を祭ったとの話もあった。途中合流したまちづくり講座の長老・大西さんの案内で、三宅城跡、薬泉寺跡に行った。橋本さんというお宅の山の中にあった。昔は畑や果樹を栽培されていたそうだが、長い間ほったらかしにされていて、やぶ蚊と草ぼうぼうの中に二つの石碑があった。どのような栄枯盛衰があったのか詳しくは分からないが、山田の歴史であることには間違いない。
昼食後、山田小学校前に土地の名士だった北畠氏の屋敷を訪れた。今は空き家になっているが、時々息子さんが帰ってこられるとのこと。留守中は大西さんが管理されておられるので、中に入らせて頂くことが出来た。相当の分限者であったと見え、数百坪の土地に大きなお宅と立派な庭がある。座敷の前には、おかご石まである。児島の旧野崎邸にも同じようなおかご石があるが、滅多に見られるものではない。
色々回ってみたが、今日の散策ルートは、見どころとなりうるかどうか?見どころにするには、どんな仕掛けがいるのか?今後思案の必要なところである。
今日のフィールドワークには、KCT(倉敷ケーブルテレビ)の取材班が同行された。その概要を6/30(月)の「おはようKCT」で放映していたので、広報部会長/岡部氏にアップしてもらった。
URLはこれ。http://geifes2008.blogspot.com/2008/06/2.html

2008年6月27日金曜日

YS活動結果報告会

6月27日(金)

勤めている病院で、今年初めから活動を開始した、一種の小集団活動である「YS活動」の結果報告会があった。
YSとは、「良く(Y)する(S)」の略で、病院を良くするための活動である。今回パイロットチームとして活動した3チームの発表を聞いたが、いずれも一生懸命に取り組んだ形跡があり、大変立派だったと思う。
この病院に罹る患者様がここに来て良かったと言われるように、この病院で働く従業員がここで働いていて充実できると思えるように、なってほしいと願うばかりである。
火~金曜まで愛知県稲沢市の病院で働き、土~月曜の3日間は岡山県玉野市に帰ってボランティア活動と、めまぐるしいサイクルの生活だがどちらも充実した毎日である。
写真は、聴講者と発表者、そして最後の表彰である。発表はPPTで、テーマは何れも自分たちで解決できる手頃なテーマであったし、成果もかなりのものだった。今後は、全ての部署での取り組みに期待したい。


2008年6月23日月曜日

久しぶりの新人

6月23日(月)

ITとアートによるまちおこしを柱とするNPO法人SNTJKの6月例会に、久しぶりの新人が紹介された。
元気な老人の働きの場を提供するために設立された我が組織に、何と30代前半(?)の若者が入会した。しかも30人ほどを擁するデザイン会社の取締役(御曹司)とのこと。竹久さんというお名前は、岡山のロマン派詩人・竹久夢二を思い起こさせる。きっとアートにも興味を示してくれることだろう。イギリスに何年も留学していたそうで、今後の活躍が期待できる。先日津山から来られた福田製粉さんも我々の活動に興味を示された。地道な活動が、輪を広げて行くのだと思う。
写真は、我がNPO法人の事務所であり、とんぼ玉教室を行っている「アート工房るんるん島」で、真剣に議論するメンバーたち。壁には、これまでの活動などを示す写真が貼ってある。


2008年6月22日日曜日

塩に関する創作狂言

6月21日(土)

岡山県の西部にある笠岡市で狂言師として活躍されている田賀屋夙生(ハヤオ)先生、岡山で狂言を研究されている廣坂武昌先生のお二人をお迎えして、今年秋に予定しようとしている創作狂言の実現性などについてお話を伺った。
山田地区は、古くから塩田の町として栄えてきた。今年の出し物に狂言を思いついたのは、昨年のパネル座談会で出た、塩に関する「能」など面白いという提案からである。そこで昨年12月、能を実際に見学した。その時、能よりむしろ狂言の方が面白いという感じがした。調べたところ、塩に関する狂言が一つもないということで、創作狂言の話に飛びついた。しかし、結論的に言うと、11月のフェスタに間に合わせるのは、かなり無理があるとのことのようだ。
先ずストーリーの粗筋を作る必要があるが、誰が作るのかさえ中々決まらない。どんなテーマで話の展開を持ってくるのか、狂言台本の元になるストーリーだけに、面白おかしく且つテンポ良く進めることが求められるのだと思う。
この日は、いつものメンバー以外にも、商工会議所会頭の三宅さん、塩田で浜子として働いた経験のある、大正生まれの村上さんにもご参加頂いた。
7月末までにストーリを纏める必要があるが、さてどう進めるべきか、実行委員長としては悩みの多い一月となりそうだ。

2008年6月17日火曜日

村上望展

6月15日(日)

今年から駅東創庫の創作作家として参加している陶芸家の村上望さん、彼女自身3回目となる個展を岡山の「カフェZ」で、6/6~15にかけて開催されていた。最終日の15日、やっと時間を見つけて鑑賞することができた。陶芸というと、十河さんの作品、藤本さんの作品、そして備前焼や有田焼など、渋い作品か優美な作品しか思い浮かばない。ところがどうだ、彼女の作品のユニークなこと。案内状のキャッチが「持っているだけでも楽しい器。思わずにっこりしてしまう器。そんなものがたりを作りました。」「ものがたりのはじまり、はじまり~」である。実に楽しい器だった。孫がきっと喜ぶだろうと、桃太郎の絵柄のお皿を買い求めた。久しぶりにいい買い物が出来たと思う。
彼女には、今年から芸術フェスタ企画検討会に参加して頂いた。きっと楽しいイベントを考えてくれることだろう。今から楽しみだ。

2008年6月16日月曜日

通り名称 in 御崎シーサイド団地

6月15日(日)

この日開催した御崎シーサイド自治会役員会で、「通り名称」の塗装スケジュールを決定した。東西方向に13の通り、南北方向に13の通りが碁盤の目のように形作られたシーサイド団地の、全ての通りに名称をつけ、写真に示すように側溝の蓋に塗装することとした。通り名称をつけることにした目的は、いざという災害に遭遇したとき、自分のいる位置や避難ルートを、分かりやすい通り名称で指し示すことが出来るようにするものである。
この団地は、日本経済が右肩上がりで伸びていた昭和49年に、岡山県玉野市の南部に位置する昔の塩田跡地(シーサイド)に造られた。当時若くしてこの団地に住みついた住民も、30数年の歳を重ね大多数が60歳を超す高齢者になってきた。又、4年前に瀬戸内沿岸を襲った高潮被害と崖崩れによる多数の死傷者を出した台風災害により、それまで安全神話のまちだった玉野市にも急激に防災意識の高まりが見られ、防災が市の重要施策となってきた。
当団地も例外ではなく、3年前に自主防災組織を立ち上げると同時に、市の補助金により防災機材も取り揃え、毎年、防災訓練も実施、市内では結構防災先進地として活動している。今回、住民の便利と安全のために「通り名称」をつけ、これを皆に知ってもらうために塗装することにしたものである。市道への塗装であることから市にも届けを出して、「結構なこと」とのお墨付きを頂いた。
団地の中心を東西に走る幹線を「シーサイド中央通り」、それより南側を順に「南1通り」、「南2通り」、北側を「北1通り」・・・。御崎公園横を南北に走る大通りを「御崎公園通り」、それより東側を順に「東1通り」・・・という具合である。今月下旬から塗装に着手、9月中ぐらいまでの期間に各役員のボランティアで、型板にスプレーを吹きかける方法で塗装することとした。役員の皆さん、ご苦労掛けますが、有難うございます。宜しくお願いします。
この通り名称が、住民の皆さん方に愛されるようになること、そして災害が起きないことを願うばかりである。

2008年6月10日火曜日

旧友会

6月9日(月)

三井造船を退職した元部長クラスのOBで組織する「旧友会玉野地区懇談会(第61回)」が、三井造船玉野事業所で開催された。旧友会は年2回開催されており、いつもは工場見学で最近の技術の進歩を見させて頂くのだが、今回は産業医/岡本先生のお話で「医療制度と健康~豊かな生活の質を求めて~」と題する講演があった。話題の後期高齢者医療制度の話など、興味尽きない講演だった。
お昼は、本クラブで美味しいご馳走を頂きながら、そこここで旧交を温める歓談が行われていた。
今回の参加者は29名だったが、昨年秋から会長となられた喜多嶋さん、玉野の副会長になられた岸本さん、造船側からは屋敷所長を初め、各部門長10名が出席された。
総務部の仲田部長と筆者との話の中で、9年後の「100周年記念事業」の一つとして、本クラブ&別館を使った「造船歴史博物館(仮称」)の設立プロジェクトに関する提案をした。概要は、このプロジェクトに「旧友会」&「OB友の会」の有志を募り、現役だけでなくOBを含めたオール三井で考えること。又、玉野市にも働きかけ玉野市全体の事業とすること。さらに、「玉野みなと芸術フェスタ実行委員会」に参加しているアーティストなども交えて、若者にも受ける現代アート感覚をコンセプトの一つに加えること。等による一大プロジェクトとしたらどうか、ということだった。仲田部長も大いに興味と賛同を示してくれた。
もしこのプロジェクトに参加することになると、益々忙しくなるが、楽しみでもある。きっと実現して欲しいものと思う。写真は、特別会議室に集まった会員、本クラブで歓談する会員のスナップ。
尚、筆者はこの会の幹事役を仰せつかっている。

2008年6月7日土曜日

平成20年度SNTJK通常総会

6月7日(土)

本日、玉野産業振興ビル3階技術相談室で開催された、NPO法人スマイルネット玉情協(略称SNTJK)の平成20年度通常総会が、無事終了した。
19年度事業報告と会計収支決算が全員異議なく議決され、20年度事業計画&収支予算が報告された。「IT」と「まちおこし」を2本柱とする我がNPO法人は、最近、しばしば新聞やテレビに出ることが多く、岡山県内では結構有名になってきている。しかしながら、実態は利益を生む事業が極めて少なく、財政的には非常に厳しい状況で、法人組織としては失格の烙印を押されても仕方ないのが現状だ。
そのような状況を打破するために、今年は、しっかり会員を増やして色んな事業に対応できるような組織体を作り上げ、名だけではなく実も伴う強い組織にして行きたいと言うことも理事長の方から表明されたし、私自身も強くそう思っている。
ということなので、理事を初め会員の皆様には、是非とも会員増強のためにご尽力をお願いします。組織を維持すると言うことは並大抵のことではないが、どのようなことがあろうとも挫けることなくやって行きたいと思う。現会員の方には何としてでも踏みとどまって、共にSNTJKを盛り上げて行って欲しいと心から願っている。今年は是非とも会員を増やし、事業拡大の礎を作りたいと思う。
総会の後に懇親会でもあると嬉しいのだが、今年は総会終了と共に散会でやや残念な気がした。写真は、総会に出席したSNTJKのメンバー。

2008年6月1日日曜日

同窓会

6月1日(日)

5/31(土)~6/1(日)の2日間、東京上野の「水月ホテル鴎外荘」で、大学の同窓会があった。昭和43年に卒業後、40周年に当たる今回、22名の参加で大いに賑わった。
既にリタイアした者、まだ現役で頑張っている者、会社を興して成功している者、夫々に功なり名遂げてとうに還暦を過ぎた者たちの集まりとは思えない、まさに学生時代そのままの気持ちで付き合える、この仲間の一員でいることの幸せを感じることが出来た2日間だった。
鴎外荘は、森鴎外がかの有名な「舞姫」を世に出し、文壇デビューした場所だとか。
写真は、鴎外が住んでいた住宅跡で、「舞姫の間」では宴会も出来るという。当日もどこかのグループの宴会の準備が行われていた。我がグループは、大広間での懇親会だったが、始まる前から相当に入っていて、かなりのメンバーがほぼ出来上がっていた。翌朝、ロビーに女将が挨拶に来たので、記念写真をパチッ。その後、上野公園にある国立科学博物館で行われていた「ダーウィン展」を見た。「進化論」を世に出した凄い科学者だったことを改めて知らされる展覧会だった。隣の国立西洋美術館にあるロダンの作品は、耐震化工事をして、貴重な資産を災害から守っているらしい。
楽しい有意義な2日間だった。次回は2年後九州での開催となる。楽しみに待ちたい。幹事さん、ご苦労様でした。これからも宜しくお願いします。