2012年10月8日月曜日

「クラッシックフェスタ in UNO」開催

10月8日(月)
 今年の「玉野みなと芸術フェスタ2012」では、おかやま芸術回廊の期間中(11/9~12/2)、クラシック音楽と古典狂言の公演を楽しんでもらうこととした。ここで、「クラッシックフェスタ in UNO」の企画について紹介する。

1. 企画概要
おかやま芸術回廊開催期間中、玉野のアートを回遊体感する場として、玉野市文化会館を会場としたクラッシック音楽と古典芸能の公演を企画する。その一つが「クラッシックフェスタ in UNO」であり、後の一つが「しおさと狂言まつり」である。


2. 「クラッシックフェスタ in UNO」開催の目的
県内はもとより世界的に活動しておられるプロの音楽家を招いて、音楽芸術の素晴らしさを味わっていただくとともに、併せて県内各地区で活動されている方との新たな交流を築くことを目的とする。
今年は特に、クラッシック音楽に焦点を当て、玉野では滅多に聴くことのできない本格的なクラッシック音楽の素晴らしさ、奥深さを存分に味わっていただく。

3. 開催基本計画
 a. 日 時:11月10日(土)及び11月11日(日)、何れも14:00~16:00
 b. 場 所:玉野市文化会館1Fホール(玉野市築港1-10-10、☎33-8118)
 c. 広 報:広報たまの11月号、フライヤー
 d. 入場料:   大人(大学生以上)      小人(高校生~小学生)
    種 別      前売券    当日券       前売券    当日券
11/10公演券  1,500円 2,000円   500円 1,000円
11/11公演券  1,500円 2,000円   500円 1,000円
   両日券     2,500円      ―         ―       ―
※ 未就学児の入場はご遠慮願います。


4. 「クラッシックフェスタ in UNO」開催内容
 a. 柾木和敬イタリアオペラとカンツォーネの午後
  (a) 企画概要:イタリアオペラとイタリア楽曲の魅力、どこまでも深い青い海と晴れの空、美しい港をイメージさせる明るい歌。岡山が誇るテノール歌手・柾木和敬とその門下生カンティアーモによる本格的イタリアオペラとカンツォーネを、楽しい語りと共に聴く宇野の午後。
  (b) 開演日時:11月10日(土)14:00~16:00
  (c) 演奏曲目:
  ・サンタ ルチア
  ・帰れ、ソレントへ
  ・禁じられた音楽
  ・歌劇「ジャンニ・スキッキ」より“私のお父さん”
  ・歌劇「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”
  ・歌劇「トゥーランドット」より“誰も寝てはならぬ” 他
  (d) プロフィール:
   岡山県立玉野光南高等学校卒業。国立音楽大学声楽科卒業。Accademia Europea di Musica プロフェッショナルコース修了(イタリア)。
スロヴェニア国立ルブリアーナ歌劇場で歌劇「椿姫」でデビューし、ヨーロッパ各国でオペラ公演に出演。イタリアではブスコルド市立歌劇場と契約し、歌劇「トスカ」などに主役テノールとして出演する。日本では、東京、大阪などで「アイーダ」、「カルメン」、など数々のオペラに主役テノールや第九演奏会、ミサ曲などにもソリストとして多数出演する。
地元岡山では、岡山シンフォニーホール主催のコンサートや、開館十五周年記念オペラ、開館二十周年“おかやま物語”オペラ「ワカヒメ」にて主役を演じる。岡山フィルハーモニック管弦楽団の第九演奏会のテノールソリスト、ルネスホール主催のオペラシリーズに主役テノールとしても多数出演する。福武文化奨励賞、マルセン文化賞受賞。藤原歌劇団正団員。現在、ミラノ在住。
  (e) 出演者
  テノール 柾木 和敬
  カンティアーモ
    ソプラノ 川崎 泰子、 畑山  香、 三宅 史子
  ピアノ    角田 奈名子

b. 友光)雅司ピアノリサイタル
 (a) 企画概要:岡山を中心に全国各地で精力的に活動されているピアニスト・友光雅司によるクラッシックピアノリサイタル。古典の代表的なピアノ曲を現代的な感覚で聴かせていただく、芸術フェスタならではの感性豊かなピアノリサイタル。
 (b) 開演日時:11月11日(日)14:00~16:00
 (c) 演奏曲目
 ♪ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」
 ♪ショパン:ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53 「英雄」
 ♪ジョン・ケージ:ある風景の中で
 ♪ジョン・ケージ:夢
今年は、ジョン・ケージが生誕100周年なので、彼の作品を取り入れてみることとした。
 (d) プロフィール:
  岡山県備前市生まれ。6歳よりピアノを始める。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業後、オランダへ渡り、2006年ロッテルダム音楽院研究科修了。
「若い芽のコンサート」には、1993年、96年、99年と出演し、NHK岡山放送局長賞、指揮者賞、岡山県知事賞、遠山賞受賞。2003年、サン・ジェーミニー国際ピアノコンクール(イタリア)にてグランプリ受賞。
これまでに、日本、アメリカ、スロバキア、オランダ、イタリア、オーストリア、ベルギーでコンサート、リサイタル出演。ソロリサイタルはもとより、室内楽、音楽祭、オーケストラのソリストとして、スメタナ室内合奏団、ブラチスラバオペラハウスオーケストラ、群馬室内合奏団、ゼフィール合奏団などと共演し、精力的に演奏活動を行っている。

2012年9月29日土曜日

「玉野みなと芸術フェスタ2012」基本計画

9月29日(土)

 一昨日(9/27)、芸術フェスタ2012の実行委員会が玉野市文化会館で開催され、提出した基本計画案が承認されたので、その内容をここで報告します。若干長いですが、興味のある方はどうぞゆっくりお読みください。
写真は、実行委員会の様子。

1. 「玉野みなと芸術フェスタ2012」の方向性と活動方針
 「玉野みなと芸術フェスタ」(以下「芸フェス」という。)は、宇野港をアートハーバーとして全国に情報発信することを目的に2003年にスタート、今年10年目を迎える玉野の秋のアートイベントです。
 現在、中心市街地の宇野・築港地区では、若手クリエイターに玉野に住んでもらい、楽しいまちづくりを行おうとする「うのずくり」の活動が活発化しています。又、玉野市は、来年開催される瀬戸内国際芸術祭2013に参加し、アートに親しむ町として力を入れ始めたところです。
 そのような環境の中、玉野の今後のあるべき方向は、「アートが楽しい魅力ある街」を、形として作り上げることではないかと考えます。芸フェスは、これまで一貫してその方向で活動してきました。今後もその方向で進むつもりでいますし、質の高いアートを追求したいと思っています。
 今年は、岡山県主催のおかやま芸術回廊・玉野会場が宇野港東山ビルで開催されます。芸フェスでは、この展覧会が上記方向性に沿った活動ということから、このイベントに共催という形で参加することとしました。
 そこで、今年は同時期に、岡山から世界に向けて活躍中の音楽家を招いて質の高いクラッシック音楽を聴くイベント「クラッシックフェスタ in UNO」を開催し、芸術回廊に相応しい時間を共有していただくこととしました。
 又、一昨年、築港商店街に展開したまちなかアート展「軒先計画」を、新たに完成するクリエイター交流拠点《uz》の軒先を借りて、拠点を運営するガラス作家/森美樹さんの作品を展示し、商店街散策をより楽しいものにするとともに、数年かけてこのような活動を根付かせ文化的な街の発展に繋がればと考えています。
 東部地区の活動から生まれた狂言の活動については、今年発足した「玉野しおさい狂言会」が独自の活動を行うこととなり、「しおさと狂言まつり」という公演イベントを開催することとなりました。製塩文化の息づく玉野において、新たな塩に纏わる新作狂言とともに、古典の狂言にも挑戦します。
さらに毎年人気の高い「学びと遊び」をテーマとしたタマノクルーズは、今年も玉野市西部(直島諸島、玉港、三井造船、日比・渋川港、玉野海洋博物館、大槌島)に向けた「たまの西海道」を開催します。
 芸フェス10年目の今年、来るべき次の10年に向けて、さらなる飛躍の年にしたいと思います。
そこで、来年2月には、関係者や市民の方々を囲んで、芸フェスの今後の進め方等を考えるシンポジウムを開催することとしています。

2. 各活動イベントの企画概要(案)
(1) 「クラッシックフェスタ in UNO」
a. 開催の目的
 県内で活動している一流のプロの音楽家を招いて、音楽芸術の素晴らしさを味わっていただき、併せて県内各地区で活動されている方との新たな交流を築くことを目的とします。今年は特に、クラッシックに焦点を当て、玉野では滅多に聴くことのできない本格的な古典音楽の素晴らしさ、奥深さを存分に味わっていただくこととします。
b. 実施内容
(a) 柾木和敬イタリアオペラとカンツォーネの午後
 ・企画概要:イタリアオペラとカンツォーネの魅力を、イタリアミラノを拠点に精力的に活動しておられるテノール歌手柾木和敬氏とその門下生カンティアーモの方に楽しく聴かせていただきます。
 ・開演日時、場所:11/10(土)14:00~16:00、玉野市文化会館ホール。
 ・プロフィール:岡山県立玉野光南高等学校卒業。国立音楽大学声楽科卒業。Accademia Europea di Musica プロフェッショナルコース修了(イタリア)。スロヴェニア国立ルブリアーナ歌劇場で歌劇「椿姫」でデビューし、ヨーロッパ各国でオペラ公演に出演。イタリアではブスコルド市立歌劇場と契約し、歌劇「トスカ」などに主役テノールとして出演する。日本では、東京、大阪などで「アイーダ」、「カルメン」、など数々のオペラに主役テノールや第九演奏会、ミサ曲などにもソリストとして多数出演する。地元岡山では、岡山シンフォニーホール主催のコンサートや、開館十五周年記念オペラ、開館二十周年“おかやま物語”オペラ「ワカヒメ」にて主役を演じる。岡山フィルハーモニック管弦楽団の第九演奏会のテノールソリスト、ルネスホール主催のオペラシリーズに主役テノールとしても多数出演する。福武文化奨励賞、マルセン文化賞受賞。藤原歌劇団正団員。現在、ミラノ在住。
写真は、柾木和敬氏のポートレート


(b) 友光雅司ピアノリサイタル
 ・企画概要:岡山を中心に活動しているプロのピアニストによる本格的なクラッシックピアノリサイタル。古典の代表的なピアノ曲を現代的な感覚で聴かせていただく、芸術フェスタならではの企画です。
 ・開演日時、場所:11/11(日)14:00~16:00、玉野市文化会館ホール。
 ・プロフィール:岡山県備前市生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業後、オランダへ渡り、06年ロッテルダム音楽院研究科修了。「若い芽のコンサート」には93年、96年、99年と出演し、NHK岡山放送局長賞、指揮者賞、岡山県知事賞、遠山賞受賞。03年イタリアサン・ジェーミニー国際ピアノコンクールにてグランプリ受賞。これまでに日本、アメリカ、スロバキア、オランダ、イタリア、オーストリア、ベルギーでコンサート、リサイタル出演。ソロリサイタルはもとより、室内楽、音楽祭、オーケストラのソリストとして、スメタナ室内合奏団、ブラチスラバオペラハウスオーケストラ、群馬室内合奏団、ゼフィール合奏団などと共演し、精力的に演奏活動を行っている。
写真は、友光雅司氏のポートレート


(2) まちなかアート展「軒先計画」
a. 計画の目的
 この計画は、宇野港~商店街等へのルートの軒先や店舗に長期的なアート作品を設置し、パブリックアートを鑑賞しながらまち歩きを楽しめる、まちなかアート展「軒先計画」を開催するものです。観て楽しく人を導くような作品を観光客や散歩がてら訪れる地域住民に身近に鑑賞してもらい、作家又は作品と鑑賞者との間に相互のコミュニケーションやクリエイティブな交流が生まれることを期待します。この地域にこのような作品(鑑賞の場)を数年かけて根付かせることにより、文化的な街の発展を目指します。
b. 出展作品及び出展者
 ・一昨年、美術家/清水直人氏の作品「Migratory bird→LIFE」を、築港商店街にあるアート工房るんるん島の軒先に展示し、街歩きをする人たちに街中アートの楽しさを味わっていただきました。
写真は、芸フェス2010で制作された清水直人氏の作品「Migratory bird→LIFE」

 ・昨年、商店街再活性化策として推進されてきた若手クリエイター移住計画と連動して、移住してくる作家の作品を移住先住居の軒先に展示する形で進めることを計画しました。
 ・その第1号としてガラス作家/森美樹さんの作品を新たなクリエイター交流拠点《uz》※の軒先に展示したいと考えていましたが、拠点作りが1年先延ばしとなったこともあって、今年、森さん作品による「軒先計画」を《uz》の軒先で実施することとしました。
※注:《uz》(うず):昨年発足したうのずくりプロジェクトにより、今年度事業として新たに完成した、カフェとギャラリーを併設する移住者支援のためのクリエイター交流拠点。
写真は、完成直前のuzファサード。
 

(3) 「しおさと狂言まつり」
a. 企画概要:玉野の地場産業である製塩に因んだ新たな創作狂言や古典狂言を鑑賞していただき、狂言の持つ笑いの芸術を多くの市民に体験していただきます。
b. イベント概要:
(b) 舞台公演:「塩」を扱った新作狂言と今年から本格的に習い始めた古典狂言を3題、プロの狂言師による本格的番組の公演を、11/25(日)、文化会館で開催。
(c) 鏡板制作WS:持ち運び容易な布製鏡板の制作WSを、H25年1~2月予定で開催。
(d) 3月公演:3/2(土)開催予定の後楽園開園記念イベント、及び3月下旬オープン予定の「たまの湯」開業記念イベントに、新作狂言の公演を計画します。
写真は、昨年5月に開催した「児島で狂言を楽しむ」の一場面
 

(4) タマノクルーズ「たまの西海道」
a. 企画概要:宇野港~玉港~渋川港を結び、備讃瀬戸海上から玉野市西部の歴史、地理、文化、産業を学びます。玉港では船上から三井造船の大型船進水や工場を見学、海と調和する人と産業の営みを学び、渋川港では玉野海洋博物館を見学、海の生態や環境を学ぶ等、「学びと遊び」をテーマとしたクルーズを計画します。
b. 募集概要:
(a) 開催日時:2012年11月1日(木)9:00~16:00
(b) 参加料:大人(中学生以上)4,800円、子ども(満3歳児以上)3,000円、幼児(満2歳児以下)500円
写真は、2011年タマノクルーズに乗船されたお客さんの楽しそうな笑顔。



(5) シンポジウム「楽しいアートのある街(仮)」
a. 目的と狙い:今年芸術フェスタが10年目の節目を迎えたこと、来年直島を中心とした瀬戸芸2013が開かれ玉野も参加すること、今年認定された中心市街地活性化基本計画にアートが取り上げられたこと等、玉野でも文化芸術にも目を向けようという機運が芽生えだしたところです。そんな状況を踏まえ、「アートが楽しい街とは」、「アートとは何か」、「アート或いは芸術文化が市民に与える影響は何か」といったようなことについて、識者や市民に語ってもらい、今後の玉野におけるアート活動の進め方、芸フェスのあるべき姿を探ることとします。このようなシンポジウムは、得てして不毛な議論に終始することが多いのですが、兎も角今回は、アートがまちづくりに及ぼす影響について考える機会を設けること、又、芸フェスの役割をしっかりと認識することが大事なことと考え、企画することとします。
b. 開催要領
(a) 開催日時、場所:2月3日(土)14:00~16:30、玉野市文化会館ホール
(b) 基調講演:テーマ案「カルチャークリエイティブの魅力(仮)」(講師:選考中)
(c) パネルディスカッション:テーマ案「楽しいアートのある街(仮)」。(出演者:選考中)

2012年9月27日木曜日

タマノクルーズ「たまの西海道」実施計画

9月26日

毎年市民に人気の瀬戸内を観光船で巡るクルーズ。今年も、宇野港から直島諸島経由で渋川へ向かう。途中、三井造船の勇壮な進水式を見学する。

1. 計画概要:
今年11月1日、宇野港から直島諸島及び玉港を経由し渋川港に至る備讃瀬戸をクルーズし、海上から玉野市西部の歴史、地理、文化、産業を学ぶ。途中、船上から三井造船で挙行される進水と艤装中の大型船や工場を見学、海と調和する人と産業の営みを学ぶ。その後、渋川港に上陸、昼食休憩後、玉野海洋博物館を見学、瀬戸内海の生態と海洋文化を学ぶ。

2. 計画の目的:
数多くの島嶼群が連なる瀬戸内海は、昔から東西を結ぶ交流の動脈だった。そのため瀬戸内の各地域には幾つもの逸話や物語が語り継がれ、景観の美しさと共に歴史の楽しさを感じさせてくれる。この計画は、宇野港から渋川港までの玉野市西部を結ぶクルーズで、海上から現在の玉野を眺め、西部地区の歴史と産業、海洋文化に触れることにより、瀬戸内海の素晴らしさと海の生態の面白さ、海と人及び産業との調和の大切さを学ぶ。

3. 期待効果:
玉野市西部に位置する渋川は、日本の渚百選にも選ばれた風光明媚な海岸、子どもたちの海洋研修場・岡山県青年の家、海をテーマに開館した海洋博物館等を有し、海洋のことを学ぶには最適な場所である。特に玉野海洋博物館には、大小34の水槽に瀬戸内海の種を中心とした、日本各地の海洋生物約180種2,000点を飼育展示しており、海洋生態を学ぶには絶好の場である。
又、日本有数の造船社・三井造船㈱艦船工場及び機械工場を海上から見学する他、直島、京の上﨟島、大槌島、竪場島等瀬戸内の多島美を間近で堪能し、島の歴史や海から観る玉野の文化・産業等を学ぶことは、海の環境保全の重要性及び海洋産業の面白さを膚で感じることのできる貴重な体験である。

4. 今回計画の特徴:
 a. 全般:クルーズ船の上から進水式の勇壮な姿、艤装中の大型船や造船現場を間近に見学するという、他では味わうことのできない工場見学の企画である。又、多島美の瀬戸内周遊と海洋博物館見学を通じて、海洋環境保全の重要性を認識する。
 b. 健康・安全への配慮:クルーズ船から造船所に上陸するのではなく、造船所のスタッフの方(説明者)にクルーズ船に乗ってもらうことにより、乗船客の乗下船時の危険を防止する。
 c. 環境への配慮:渋川港に上陸後、渋川海岸に落ちているゴミ等を拾いながら次の目的地まで移動し、海浜の環境改善に協力する。

5. 募集要項:(詳しくは、募集チラシご参照)
 (1) 開催日時:11月1日(木)9:00~16:00
 (2) ルート概要:宇野港~京の上﨟島~直島諸島~船上からMES工場&進水見学~日比・渋川港~マリンホテル・昼食~海洋博物館見学~渋川港・大槌島~宇野港
 (3) クルーズ船:からこと丸(定員70名、但し、室内は60名)
 (4) 募集定員:55名、年令、性別不問
 (5) 乗船料:大人(中学生以上)4,800円、子ども(3歳児以上)3,000円、幼児(2歳児以下)500円
 (6) 当日配付物:クルーズ資料、ゴミ袋(渋川海岸ゴミ拾い用)
 (7) 参加申込先:玉野市観光協会
住所:玉野市築港1-1-3 FAX: (0863)32-3331 Eメール:info@tamanokankou.com





2012年6月21日木曜日

「宇野情話 洲巻長兵衛」の紹介を終えて

6月21日

宇野に残る恐ろしい伝説「簀巻きの長兵衛」の物語を小説風に書かれたものを9回に分けて紹介してきたが、如何だっただろうか?
(9回で終わったのは、苦界に投げ込まれたからではない。)

面白いと言えば面白い物語ではある。しかし、正直小説としての価値には疑問があったし、歴史書としての値打ちは全くない。ただ、この本が昭和10年に書かれた未発表の小説というところに値打ちがあると思うし、恋愛に対する人間の感情というのは、いつの時代も変わらないということがよく分かるという点で価値を感じることができる。
又、宇野の若い衆が色男の長兵衛を嬲り殺し、簀巻きにして獺越の浜に投げ捨てるという残忍な行為に至った経緯も、この筋立てだけではなかなか納得がいかない。彼らが単に悋気だけでこのような一方的な狼藉に及ぶという、単純過ぎる集団だったとは俄かには信じがたい。長兵衛自身にも何らかの落ち度があったとういうのが、人間心理としては正しいような気がする。
それと、長兵衛が浜に放り出された後、宇野の村人が訳の分からぬ奇病に倒れ、それが長兵衛の祟りであろうと恐れた村人たちは、長兵衛の霊を鎮めるためにお地蔵様を作っただけでなく、毎年7月23日に長兵衛の霊を慰めた。その後、今に至るまで連綿と盆踊りが続けられている。そのような後日談もこの小説には書かれてないという点で、やや物足らなさが感じられる。
ただ、間に描かれた挿絵は、当時の姿や風景がうまく描かれ、中々秀逸な絵である。

今回、ここに紹介したのは、このような小説を書いた人が宇野に居たということを紹介したかったからであり、宇野の伝説とその後の対応が今も続いていることの原点を知ってもらいたいと思ったからである。
今があるのは、それを生じさせた歴史と謂れがあるということだ。

2012年6月20日水曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(9)

第9話 渦潮 

 今夜は嬪入りの夜だ。
 外には庄屋が迎えに来た花婿の駕籠と、花嫁の駕籠が提灯をつけて、綺麗に並んでいる。駕籠担ぎが勝手の方でよばれていい機嫌になっているらしい。
 仲人役の平左エ門さんや花婿、その庄屋の親戚がずらりと、座敷に礼装をもって待っていた。花嫁の支度を待って貰って帰るのだ。沢山つけられた行灯の灯りの中に、面白い話や、目出たい数々の物語りに花が咲いている。
 それが次の間で衣装の着付けをしている加代の耳にはよく聞えた。
// 嬉しくない結婚式。父母が勝手に決めてしまって、私に嫌な想いをさせるのだ。家へ帰ってから丁度今夜で十七日だ。家に帰ってから、それ衣装だ、箪笥だ、長持だ、結納だ、といって親達の勝手のままに今日まで来てしまった。が、私はどうしてもこのお嫁入りなど出来るものじゃない。二三日したら帰るわ。きっと帰るわ。と固く約束した長さんは、どんな思いで待っていて下さるだろう、長さんは怒っていなさるに相違ない、私がこんなに大きな嘘をついているのだから。
 だって私、お嫁に行きやしないからいいわ、死んだって行きやしないから。帰る時、土橋の上まで見送って下さった長さんは、今どうして待っていて下さるだろう。//
 彼女は、一人思って一人泣いた。
 その中に髪結も済み、衣装の着付けも終った。
 勝手口の方では人の出入りがやかましく賑やかで、人々がみんな悦びの挨拶だ。座敷の方でもわいわいと哄笑がもれて来る。
// 今夜、輿入れか、結婚か、虚栄の為の縁か //
 そう思うと彼女は切迫詰まった今、もう結婚の心などは飛んで、恋しい長兵衛の上に走っていた。
角隠しも着けてしまった。それは夢のようであった。
「一寸、裏に出て夜風に合って来ますワ。」
 彼女は裏に立出でた。
 東の塩田の上にある丸い月が裏山の林に蒼白い影を落している。
// あッ、長さんと一緒に眺めたあの月、祭の前に眺めた夜半の月もあんな色だった。//
 彼女は吾にもなく走り出していた。
 裏の繁みから細い山路へ、山路からとろとろと下って様子を知った田んぼの中へ、田んぼを通り抜けて街道へ、彼女は小走りに走りかけた。
// あ、長さんに会わなきゃ、今夜のこんな有様を話して、許しを乞わなければ、長さん、あの月影を見ながら待っていて下さい。//
 婚礼の盛装のまま彼女は真白く月影にうかんで見える街道を宇野へ、宇野へ、と一散に走り出した。
 十五日程泣きつづけた涙の心も、今日はきれいに拭われてしまった。
 三町程走ると大きな峠にかかる。平生は昼でも恐ろしいこの峠、松と杉と雑木と雑草の生茂る峠の山、黒い巨大な牛の横たわるように見えるこの峠の中も、ごろごろとした凹凸の険しい路も、何の不安もなく、頂まで駆け上った。
// もう四里程行けば宇野だ。//
 彼女は一息に峠を駆け下りた。重たい着物と帯が邪魔になって仕方がない。パッと着物の裾を端折った。頭がくらくらする。手を当てて見れば大きな島田に角かくしがかかっている。
「こんな物は用がない。」
 傍らの道草の中へ投げ込んだ。
 峠を下り切ると右手は山、左手は海、海と山の境が僅かな一本の砂浜路、長く長く何里となく続くこの道を、一生懸命で走り続けた。蒼白い月の光が何物をも深い静寂の中に押沈めていた。
 今夜は波が荒いのか、押寄せた波しぶきが顔のあたりへ飛んで来る。道は走りにくい石ころ混じりの砂浜だ。幾度も転びそうになりながら、
// 長さん待っていてよ。加代は結婚なんかしませんから //
 そう心で思いつめて、どんどんと走った。
 心は焦り焦り跳び続けるけれど脚は心に伴わない、だんだんだんと腰から下が棒のように固く、感覚が次第に失われて来るのを感じた。始めのように石を蹴っても痛くない。物につまずいても容易に起き上れなかった。呼吸が波の音よりも激しく、胸のときめきも大きくなってきた。
 月にうかんだこの水と土との境の一本路を、唯一つの運命の絆の如く、前もいいか後もいいかわきまえなかった。唯この一筋の道、この海岸線のうねりに添った一本の砂浜路が宇野へ通ずる路なんだ。
// 長さんが待っている。長さんの声がする。あ、速く急がなきゃならない。//
 この辺りはもうどこらであろうか、と彼女が右手の家村の方を振り向くと、入り込んだような山の奥に、黄色い灯りがちらちらと散らばって見えた。
// あ、ここは後閑だ。//
// まだまだ宇野は遠い。何故、早く駆けられない。//
 心はもうとっくに、宇野の灯を見、宇野の村を眺めているけれど、体は歩くよりも遅かった。歩いているよりも引きずっているのだ。
 後閑の入江の奥の黄色の灯影も彼女から中々遠ざかろうとはしない。
// ええ、いまいましい。//
 さっきから少しゆるみ掛かって来た帯が気にさわってきた。岡山から舟で買ってきた庄屋の調度の一つ、この羽二重の自慢の帯もけがらわしい。身に着けたい物ではなかった。
 ゆるみかかったのを幸い、ぐるぐるとほどいて手に巻きつけて畳むと、波を目がけて
// ええ癪にさわる。//
 投げ捨てた。
// 帯も着物も大切じゃない、長さんに約束を果たすのが、一番大切なのだ。//
 彼女は、一本の腰紐をほどいて、たすきにかえた。
// 頭にはまだ島田がある。//
 ぐらぐらとゆすっている中に、だんだんと根がゆるみ始めた。強く強く引きむしるようにゆすると、髪はばらばらと洗髪のように後へ流れた。
// これでいい。これでさっぱりしたわ。//
 彼女は運ばない足に鞭打って、心と体の調和しない速さに悩まされながら、漸く田井から宇野越の峠へかかってきた。
「あ、宇野が見える。長さんの宇野だ。」
 蒼い月影が静かに夜の村に降りかかっていた。長兵衛とこの前別れた土橋も、銀色に光る大川の上に見えた。
 長兵衛のいる懐かしい酒屋の倉も家も彼女が奉公先の旦那の大きな邸も、塩田も葭の原も、小さな百姓屋のほの黄色い行灯の灯影も、ずんずんと更けて行く夜のうるんだ月の光の中に安らかな夢を迎えているように、すべてが静寂な村であった。
 彼女は疲労も何もない。足の足袋が破れて血が滲んでいるのさえ判らなかった。冷たい夜風に汗ばんでいる肌もこころよく、峠から真直ぐに松林の中を駆け下った。
 長兵衛と判れた土橋を渡って、田んぼの路を過ぎて村に入ると、直ぐ長兵衛の酒屋へかけった。
 門から玄関へ飛込んで、長さんに逢わして貰いたかった。が、彼女にも未だ理性は失われていなかった。今までどこかにひそんでいた理性が静かに、胸から脳裏へずんずんと蘇ってきた。
// こんな取り乱した姿を人に見られては風が悪い。長さんにこんな帯も着物もバラバラになっているところなど見せたくない。//
 彼女はそう思って、玄関の中へいきなり飛込むことは躊躇された。
// そうだ? //
 彼女はつぶやいて、門の側から塀伝いに長兵衛の部屋の下まで来た。
 窓の下から上を見上げると、部屋の灯がない。實直な長兵衛が夜帳面の整理に、日頃夜中までは消したことのない灯なんだ。それが見えない。
// どうしているのかしらん。長さんの名前を呼んでみよう。// 長さん、長さん。//
夜逢いたくなってやって来る時には、何時もこの窓の下で呼ぶのだったが、今夜に限って返事がない。
 彼女は、又、不安が焦燥と共に胸を固く緊めつけてきた。
// どうしよう。又、困ってしまうわ。//
 仕方なしに門の方へ引かえそうとした時、向うの方の路から沢山の提灯の影がぞろぞろとやってきた。
// なんであろうか。//
 と思って、門と部屋の方に続く塀の窪みに身を屈めていると、
 ぞろぞろとやって来る人々の足音と共に、話声が明瞭になってきた。
// もう到底生きてはいまい。昨日も山捜し、今日は海辺り探し、それに村中総出の有様じゃからナア。もう望みはないよ。//
// 俺もそんな気がする、平生真面目な長兵衛だから、主人の使いに行って二日も三日も帰らずに、他の方へ行っているなんてことは全くない。これ程までに捜して居ないんだから、よくよく居ないんだ。//
// そーら、この前の祭の夜さも、村の若え衆が寄り集まって、彼を袋叩きにしたというではないか。あの時にも半殺しになっていたんだからナア。今度も行方が知れぬのは十中八九まで殺られているのに違いはない。//
 村の年寄った人や中老の人達がゾロゾロと三十人程門の中へ入って行った。
 彼女は、思いがけなくもそれが長兵衛の危難の話であると思うと、悶絶しそうな体を、漸くそこの土壁に支えていた。
// ナント、長兵衛のような素直な男を、どうした事かナア、村の若い奴等の悪戯か、それとも狐の仕業か。だが、あの藤井の海岸のおそごえあたりに散らばっていた、着物の千切れや帯の切れは、ありゃ長兵衛の物に違いねえよ。//
// そうだそうだ。あのあたりに転がっていた下駄や帳面から見ても、もう長兵衛は生きてはいないに決まっている。あすこらで暴れたらしい人間の足跡を見ても分る。殺されて海に投げられたんだよ。//

 長兵衛が不明になって、行方捜査に出掛けた村人達が、その結果の報告を酒屋の主人に告げるべく、そんな話を口々にしながら、門の中から玄関の方へやって行った。
// あの人達が今話しながら通ったことは、みんなほんとうのことなんだ。長さんが居ないのは殺されているに決まっているわ。確かに村の若い人たちに苦しめられ続けたんだもの。もうちっとも間違いッこはないわ。//
 彼女はフラフラとして立上った。
 体中の希望と力がどこへ奪われてしまったのか。さっきまでしまり切った力の泉はどこに行ったのか。山田から一息に走ってきたあの意気は。彼女の頭には、もう何も考える力も求める心も失われてしまっていた。余りに忽然として現れた絶望のみが、空虚な渓となって寒々しげに、体の中を流れて行った。
 足袋はだしの爪先からは、冷たさへ擦り傷の疼きが、キリキリと下腹の方にこみあげて来る。夜の寒さと疲れがにわかに襲ってきた。
// あ、あ、すべてが駄目か? //
 彼女はよろよろよろよろと、あてもなく歩き始めた。黄色い月と蒼い光の中を、何時か道は藤井の海岸であった。
 磯慣松の間を、尚もよろよろとして歩んで行った。
// 村の人たちの言っていたおそごえ。ここがおそごえだ。あの引潮のすさまじい流れの中に、長さんは投げ込まれてしまったのか。//
 沖は引潮が高辺あたりの海へ向けて、恐ろしい速さで、波頭をたてながら渦を巻いて流れていた。気味悪い渦巻きの音が聞こえて来る。
 昔から水死人が流れてきたり、身投げする者が多いこのおそごえには、一本松の下にお地藏様が立てられていた。
// お地藏様に訊いて見よう。//
 幻滅の悲しみに空ろになった心に、そうつぶやいて、彼女がお地藏様に近付きかけた時、
 ちらっと、彼女の目を射るものを砂の中に見つけた。
// 妙に気にかかる。貝殻かしらん。・・
 手を伸ばして拾ってみると、それは千切れて半分になっているかんざしであった。
// あらッ、かんざしだッ。忘れられないこのかんざし、長さんと二人でこの一本のかんざしを割って、半分ずつ肌身離さず持っていようと誓ったこのかんざし。//
 彼女はそれを抱いたまま、蒼い月を眺め入った。
// 長さんがここまで逃れてきて、このかんざしを落としてしまったのだ。この誓いのかんざしを、・・・・・・・・ 私のかんざしも出して見よう。//
 彼女は懐の中から大切そうにかんざしの半分を取り出した。
// 長さんの持っていたのと合して見ようー。//
// アア、このかんざしはぴったりと合うのに、何故、長さん居てくれないの。あの夜、二人で千切ったかんざしのことが想われる・・・・・・・・・・//
// 長さん・・・・・・・・長さん・・・・・・・・//
 渚をあちこちと、よろよろよろよろと歩みながら、声を限りに叫んで見た。答えるものは松風の音と、潮の響きよりなかった。中空に浮んだ丸い月と、ちらばらに輝いている星の光のみが、人の運命を嘲笑うかのように、静かな瞬きを続けていた。
// 加代さ――ん、加代・・・・さあ――ん・・・、加代さあ・・・・・・ん。//
 どこからか、懐かしい長兵衛の声が聞こえて来た。
 彼女は、ふと耳をそば立てた。
// 加代さあ・・・・・ん、かよさあん・・・・・・、加代さあ・・・・・・ん。加代さあん・・・・・・・・・・//
 潮のどよめきの中で、続けさまに彼女を呼ぶ長兵衛の声が聞こえた。
// あら長さんだ。長さんの声だ。//
 彼女は沖へ突出している岩の先へ、駆け出して行った。
// 加代さあん・・・・・、加代さあん・・・・・・。ここだよ・・・・ここだよ・・・・お出でよ・・・・・・お出でよ・・・・・・・・//
 長兵衛の声はまだも、潮の中から聞こえてくる。
「長さあん・・・長さあん・・・・・どこ―・・・・長さん・・・・・・。」
 彼女は叫んだ。
// ここだよ、ここだよ、加代さあん・・・お出で、おいでよ・・・・・・・・//
 波の底に笑いながら、長兵衛が彼女を招いているではないか。
// 長さん、あ、なつかしかったわ。そこにいなさるの・・・・・あ、恋しい長さ・・・ん。//
 どぶん! 彼女は何物かに抱きつくように、波を目がけて身を躍らせた。
 白い泡と、飛び上がったしぶきが金色に光った。けれど、もうその姿は渦巻いて流れる潮の中には見出すことは出来なかった。

                                (完)

2012年6月19日火曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(8)

第8話 血祭り

影が近づいたと見れば吾一である。
「長兵衛ッ、貴様、仲々寿命に未練のある奴だナア。村の祭りの時もいい具合に伸ばしてやったが、未だいじいじしていやがったナア。」
舟乗りの甚助が近づいて、彼の肩先をゴンと突いた。
長兵衛が恐々に自分の周りを見廻すと、何時の間にか十二、三人の顔見知りの若連中が取り囲んで、冷たく無言で彼を見詰めている。
彼は全身の神経を奪われたように、腰から下が他愛もなく震える。
// 逃れないのだろうか //
そんな考えがサッと走った。
// どうしてでも遁れなければならぬ //
そんな考えもサッと胸をかすめた。
「皆さん、どうか帰らして下さい。」
哀願しながら押え切れない心の焦操を、体に波打たせながら、皆の面を拝むように見渡した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
誰も一言も発しない。
言葉を発しないほど深い陰謀が隠されているのだ。
「皆さん、俺は悪いことはしてやしないんだ。早く帰して下さい。」
「喧しいッ。」
誰かが彼の腰のあたりをしたたか蹴りつけた。
恐しさと逃れること以外思っていない彼は、そこによろよろとよろめいてつまずいた。
皆の憎悪にやけるような視線が、彼の体一面にびりびりと射されるように感じる。
「こら長兵衛、いらぬ事は長く言いたくねえが、冥土の行き土産に一言知らしてやろう。実は今朝からこの若い者が全部寄り集って、貴様の大切なものを貰うことに決めたんだ。重ねて聞かしてやるが、貴様も村祭の折りくたばっていやがったらいいものを、塩田見張り旦那などの取りなしで、又痩せ命を継いでいやがるんだ。貴様がいちゃ俺達宇野の娘等に顔を向けられねえよ。これからナア、いいところへやってやるから安心しろ。」
沈黙の中で八藏が口を切った。
「八藏さん、許してくれ。俺は酒屋へ奉公のために来て、年期の間勤めようと一心になっているんだ。年期の奉公が済んだらどこへでも去ぬるから、否、今の今からでも俺は国の方へ帰るから許してくれ。」
長兵衛はひざまずいたまま八藏を見上げて心から言った。
「長兵衛、もう遅い。その心で往生の土産にしろッ。」
脛をまくると、ポイ、と八藏は長兵衛の肩先を蹴上げた。
「八藏さん、ひどいナア。」
後へぐらりと転げながら八藏を睨みつけて、ぐっと立上ると、そこの人垣の間を素早く逃れ出た。
不意を打たれて一同の者は、逃がすものかと長兵衛を追った。
// もう彼等につかまっては最後だ。どうしても逃げよう。ここから海岸伝いに池の方へ出て、そこから旦那さんに助けて頂こう!
// どうしてもつかまってはならぬ //
長兵衛はそう僅かに理性で感じたが、心は無二無散、火をかけられた鼠のように、海岸の磯慣松の間をどんどんと走りつづけた。
黒い影が十二、三、又それに劣らぬ速さで追って行く。
 
夜はすっかり拡がってしまって、西の方に遠く玉の塩田の灯がぼんやりと浮かんで見える。思い出したように吹く磯風が松の梢をザーザーと騒がせた。
一言に物を言わぬ十二、三の黒い影、緊張した空気が松の間から砂山へ、砂山から更に松原へ、松原から渚へ、渚から又砂山へ、長い長い遠浅の砂山を追う者と追われる者の影が点々として、夜目にもほの白い砂の上を走って行く。
海も暗い、島も暗い。左手は垂れ下った絶壁の崖。行く手の白い砂の浜に行く路はないのだ。
長兵衛は下駄も脱ぎ羽織も捨て、懸命に走ったが、後から追ってくる者の足も速い。この崖の突っ端を廻ると池の浦あたりになろう、と思った時、
「こらっ、長兵衛っ。」
一言息せき切って怒鳴ったと思うと、誰か跳び付いてきた。
「何をっ。」
跳びついた勢を利用して長兵衛が腰を上げて肩をかがめると、その男は前へスッテンと転んだ。
がくがくと足の胛のあたりまで喰い込む砂浜は、度々彼も転げそうであった。
//早くあの突っ端を廻って池の浦から本村へ、そうして主人の家に助けていただかなくちゃ//
浜も砂から石ころに変わって来た。
ころころとした石ころの渚は、砂よりもまだ走り難い。
後の間近でも走る者の足音が聞える。
もっと速く、速く速く、心はもう旦那の顔が見えるけれど、体はまだまだ長い浜辺を走っている。
目ざす突っ端の山崩れで、渚に岩のころがっている下まで来た時、
「あつっ?」
そこに転げていた水苔の附いた、小さな岩にけつまずいて、ころころと彼の体は波打際へ。
「しまったっ!」
立上ろうとした時は、後から来た者のために身動き出来ぬ程押しつけられていた。
「よくも長兵衛、逃げやがったナア」
「もう容赦はないぞ!」
「ええ、一思いに参らせ、参らせ!」
「長兵衛、貴様性根の太い奴だナア。」
拳骨と足蹴と罵りが雨のように彼の頭に降りかかった。
誰も彼も呼吸がととのわぬ程に乱れている。誰しもが根限り走り続けたのだ。
// もう駄目だ。//
彼は、抵抗しようにも起き上った時は、手も足も荒縄をもって縛りあげられていた。
「この野郎。」
「この野郎!」
拳骨や棒切れが飛んでくる度に、神経が痛烈な悲鳴をあげた。
頭といわず、顔といわず、胸のあたり腰脚、所構わず憎悪の一撃一撃が加ってくる。
長兵衛は、ぐったりとそこへ崩れた。
鼻からは血が抜けて口の中へどろどろと流れ込んだ。眼尻からも額からもみみず腫れや切れ口から、滲み出した血糊が顔一面を染めて、暗い中でもぞっと身震いする程気味悪かった。
「おい村の若連中、よくも俺をむごい目に遭わしたナ。俺は何にも言わねえけど、よく覚えておれ。長兵衛がこの眼を覚えておけッ‼」
彼はそこに立って、てんでに棒切れや縄切れをもって立っている一同を睨みつけた。
血走った白目、悪鬼の如き形相、一同はじりじりと後退りした。
「構わぬ。皆やってしまえ。」
八藏が下知すると、
「誰もかも腹の空くだけ叩け、叩け。」
又誰かが命令した。
一斉に思い思いの一撃が降りかかるあられのように・・・・・。
「ウム、ウム・・・・・・・。」
長兵衛は意識があるのかないのか、唸りつづけた。
頭の髪は乱れて額がこめかみをきたなく流れ、着物も帯もばらばらに引破られて、泥と砂と水苔がどろどろとしてくっついている。
「おい早く持って来い。簾と縄を。」
年量のが言うと、まだ若いのが、長い竹の簾を担いで来た。
「それだ。それだ。」
「長さん、悦べ。」
「ワハハ・・・・・・」
口口にはしゃぎながら簾の中へ長兵衛を巻込んでしまった。そうして簾が開かぬように、上からも荒縄をもって固く縛った。

簾の中では、苦しい無念そうな長兵衛の声がうめく。
「これが村の若者の血祭りと言うものさ。」
吾一がそう言って端の方をもたげた。
すると又、二三人の者がそれに肩を入れて、よいさと担ぎ上げた。
「ソラ行け?」
簾を担いだ者が駆け出すと、他の者はそれにつかまった。ワイワイと凱歌をあげて・・・。
一町ばかり引返すとそこは急流が渦巻く、岩の突端があった。
「ここから投げよう。」
「ヨーシ。」
「一つ、二つ、三つ。」
十二三人の者が手を掛けて、拍子を揃えて放り込んだ。
=ドブン=
なまぬるい水音があがったが、それは渦を巻いて流れて行く引潮の音にかき消された。

×××××× ××××××

2012年6月18日月曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(7)

第7話 大切なもの

加代が山田の親の家へ帰ると言ってから早十五日が来た。
// あの娘はどうしているかしらん。加代に限って、二三日すれば必ず戻りますわ、と呉々も約束しているのに・・・・・・・・。彼の女が心を替えたとも思われぬし、病気でもして具合が悪いのかしらん。このように何日経っても帰って来ないんだったら、見舞いにか又は様子を聞きに行って見なければなるまい。彼の娘のことだから安心しては待っているのだが・・・・・・・・早く帰って来ないか待ち遠しくて壽命の削られる思いだ・・・・・・・・早く長さんといって、にっこり笑って帰ってくれりゃいいのだがナア・・・・・・・・今日あたり帰っているかもしれないぞ・・・・・・・サア・・・・・・・・早く帰ってみよう・・・・・・//

 彼は正月の用意の為に味野の方面に出掛けて行って、今、宇野の藤井の山の下あたりへ帰りながら、そう一人心でつぶやいて、前よりも足を繁く進んだ。
 日は西の和田の山にとうに隠れて、小豆島あたりから暮れてくる夜が、もう直島の空一面に襲ってきた。島を溶かしたかと思はれる黒いもやが、こちらを指してどんどんと流れてくる。手の届くように鬘島がもう黒い。薄暗くなった沖の海が、僅かな風にも寒そうに震えている。
 長兵衛が、玉から宇野へ越える山道を過ぎて、海岸へ突出している山を廻って、天狗山が真向いに望まれた時、
 海岸と畠の境である、雑草の生い茂った中から、
「長兵衛、一寸待って呉れ。」
 浜(塩田)の八藏が飛出してきた。
 アッ? 悪い者に見つかった、と思ったが、
「八藏さん、用かい。」
 おだやかに訊いた。
「長兵衛、今日は貴様に無理かも知れんが、お願いしたいことがある。」
「俺にお願い?出来ることならやりましょう。」
「實は一つ、是非訊いたり叶えたりして貰いてえものがあるんだ、が。」
 八藏は悪意をたくらんでいる様子を、そろそろとほのめかして、いやに、ニヤニヤ、と笑っている。
「訊ねたいとは?」
 長兵衛は主人のことや責任のこと、加代のことなどが気になって忙しい心であったが、相手の心を慮って落ちついて聞いた。
「おい長兵衛、塩田見張りの加代をどこへ隠しているんだ。白状しろっ。」
「えっ、加代のことぁ俺も知らねぇ。が、この前帰るといって所へ帰ったんだろうよ。」
「何っ、加代の所へ帰った?嘘をぬかせ? 貴様がいい加減なことを、していやがるんだろ。」
「そんなことぁねえ。加代のことを俺がどうすることとか出来るか。塩田の旦那に訊いて見ろ。」
 長兵衛はむっとして、はね返すように言った。
「嘘じゃなかろうナア.」
「嘘や、いつはりを言う俺じゃねぇ。」
「よ――し、そのかばちを覚えておれ。」
 八藏は、ぺっと唾を吐いて腕をぐっとまくった。
「あ、覚えている。が、今日は急ぐから帰る。」
 長兵衛が帰ろうとすると袂を掴んだ。
「まだ用事は済まねえよ。」
「もう、いい加減で放せ? 奉公している者は自由が許されんからナア。」
 振り放して駆け出そうとした。
「まて言ったら待てッ。」
 八藏は前よりも力を入れて握った。
「済まなきゃ早く言ってくれよ。」
 仕方なく立止った長兵衛。
「長兵衛、俺が今日ここで待っていたのは、貴様の大切なものを貰いたいためなんだ。」
「大切な物というと?」
「貴様大切な物が分からねえのか。バカッ・・手前が臍の緒を切ってからこの方持っているものだ。」
「何っ? 俺の命とでもいうのかッ。」
「きまりきったことさ。今分かったか。」
「命を、いいののちを・・・・・。」
 長兵衛は後にはね返る程愕然とした。
「貴様、命は惜しい心があるのかッ。」
 八藏は、人の良い長兵衛の狼狽気味を快さそうに、ニヤニヤと笑いながら見詰めている。
「俺はもう帰る。手前達と関ってはおれん。」
 長兵衛は気味悪くなって駆け出そうとした。
「長兵衛、貴様、今夜はここから帰れと思い帰って見ろ。貴様ももういい加減で観念しろ。この以前の祭の夜にだって往生したかと思や、未だ生きていやがるだナア。」
「八藏さん、俺をここから返さない気だナア。」
「帰しゃしない。」
 八藏の日焼けした赤黒い顔が、夕闇の中に恐ろしく殺気を帯びている。
 八藏と一人一人の喧嘩ならば負けりゃしないけれど、計り知れない大きな危険が身に迫っていることを感じた長兵衛は、
「放せ?」
 といって一散に宇野の方へ走り出した。

2012年6月17日日曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(6)

第6話 縁談

加代が家に帰ると待構えていたように、母が飛び出してきた。
「加代、よく帰ったナア。サア、こちらへ上れ。お前の帰るのばかりを待っていた。」
そう言って母は上機嫌で迎えた。
「母さん、私路にくたびれましたワ。」
日の暮れない中にと急いだので、路は悪いし、彼女はそこにぐったりと、足も体も一緒に投げ出してしまった。
「お前、ゆっくり休すんでおいで。お母さんがとてもお前の悦ぶ相談があるんだから。」
奥の座敷の方から炬燵を引摺ってきながら母は言った。
「お母さん、どんないいお話なの?私、急いで帰った価値があるわ。」
加代は着物を脱いで平生着に替えながら、着て帰った方をそこらへ押やりながら、善良で嬉しそうな母の顔を見つめた。
「実はお前に早く帰って来いと傳言したのも、お母さんやお父さんの方でも突然だったのだが、この向うの庄屋の息子さんの與吉さんを知っているだろう。あの若旦那様だ。とても上男の気前の良い若様だ。あの人がお前を貰いたいと仰るので、あの庄屋の新屋を知っている平左エ門旦那が仲介人になって、もう見合もなんにもしなくていいから、成るべく早く支度して貰い受けたいとのお言葉なんだ。」
母はぞくぞくとする程喜ばしそうな瞳を、加代の顔一面に浴びせかけながら早口に言ってしまった。

彼女は炬燵に手を伸ばして、掛蒲團の襟に頬を埋めたまま、
「おかあさん、そんなことだったの?」
と云って、禄々顔をもたげようともしなかった。
これ程、掘っても捜してもない程いい玉の輿に乗る訳をしているのに、娘はうなだれてしまったりなどして、そんな気分が勝れないのかしらん、と思った母は、
「加代、お母さんが一寸話の口を言ったまでのものだが、まだまだいいことがあるだんよ。お前大そうくたびれているらしい。そのまま、ぐっすり休すんでおおきよ。夕方でもお父さんがお帰りになってから、又三人で色々お話して見ようからナア。」
彼女の心を知らない母は、気も軽々として彼女が物心ついて以来の浮々とした話具合であった。
「おかあさん、私そんなお話が聞けない程疲れてはいません。けど、そんなお話なら私直ぐこのまま宇野へ帰りますわ。」
「え? お前どんな気をして言っているのかい。これ程願い奉っても無いような縁談を聞きたくないことは、お前どうかしているのではないか。あの宇野から帰る途中の後閑あたりの海岸で狐にでもつかれたのじゃないか?」
この話を聞いて娘は悦びと幸福の未来に瞳を輝かして嬉しがるだろうと想っていたのに、しおれ切ったような姿をして、又直ぐ宇野へ帰ろうと言い出したのを見て、母はほんとに驚いてしまった。
「お母さん私あの若様のお嫁にはなりません。幼い時から私虐めつけられたり、あの若様の乱暴には・・・・・。私が宇野へ行く以前などでも恐い程私に付きまとうの。何かお道楽もひどいんだかで、お金の使いにも荒いんだって、私どんないいお家でもすっかり嫌よ。」
予期に反して驚いて眼を見張っている母の顔へ、刻みつけるような反感をもって言ってしまった。
「まあ、お前何時の間にそんな娘になってしまったのかい。勿体ない庄屋様が所望されるのを断るお前の心も知れぬわい。」
単純で少しの思慮もない人が良いといったらそのまま信じ込んでしまうような、善良な母は、娘の心が解せかねて目をしばたたきながら、娘の姿を焼けつくように見つめていた。
加代はふてぶてしげに布団の綴じ糸を前歯で噛みながら、
// 私のお嫁に行くのは長兵衛さん一人なんだ。あの人以外は死んでも行きやしないから//
そう思って面をあげようともしない。
母はやや娘の態度に失望したけれど、平凡で素直にいいと信じ込んでいることは、何の批判もなしに娘のためにも、いいことに違いないと信じ込んでいた。
「加代、お前はあまり好ましくないと思っているかもしれないが、家の様な貧乏人さえ相手にして下さるのだ。それにお庄屋様から婚礼の調度を全部調えて下さるんだよ。こんな有りがたいことがあるものか。向うのお家では、どんなにでもして、お前の体さえ貰えばそれで充分だと仰っているのだよ。」
母は本気になって彼女を口説き始めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
加代は黙ったままそれを聞いていたが、母の心はいじらしいほど同情出来るけれど、嫌な結婚をどんな条件であろうともして、自分の誓い合った恋を諦めることは出来なかった。
それは出来ないことだ。長さんに対して出来ないのだ。
「お前が嫁に行くといっても、家は現今のような有り様では一枚の晴着さえもむずかしいのだからナア・・それにあのお庄屋へ行けば、家の借金も大目に見て幾割も引いてやろうと仰るのだよ。お前も余りに乗り気にならないところを見れば、何か考えがあるのだろうが、母さんの為か父さんの為をも思って見てごらん。」
母は叱るようにすかすように、色々と彼女の同意を得ようと一心である。
「おかあさん。私、家のことならどんな身替りにでもなりますけど、こればかりは出来ませんわ。」
母の切迫した面持ちを盗見るようにして言った。
「お前はお母さんの言うことに気に入らないようだが、どうしてかい。どんなことでもお前の考えを聞かせておくれ・・・。」
「おかあさんあるワ。」
「どんなことがあるのかえ。」
優しく彼女の心を探ろうと思って、母の言葉は静かであった。吾が子のことは無鉄砲なことでも聞き入れてやりたいような、そんな思い遣りのこもった言葉であった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「加代、言っておみよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
彼女は自分の心を打明けて母を失望の渓に落し込むには、あまり単純で慈しみ深い母であるだけ恐ろしかった。
「お前は、幼い時からお母さんにだけは嘘を言わない子だったのだよ。お前の考えを言っておくれ。お母さんは、怒りはしないから。」
母は哀願するように彼女を促した。
「お母さん。私、この月はあるものがなかったの。」
彼女は、耳の付け根あたりから、顔へ首筋へ背中へ手の先までも、真赤な熱いものが突走ったように思はれた。
「ええ? 加代ッ? ほんとかッ?」
差し向いに当たっていた炬燵から飛出して来て、娘の肩に手をかけて真偽を正そうとした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「黙っていては分からないよ。ほんとのことを言っておしまいよ。」
矢張り優しい母である。娘の言葉を聞いても少しも憎しみを浮かべようとはしなかった。
「お母さんにすみません。私、約束した人があるのよ。」
彼女は母にこれ以上気を揉ますことは、良心がゆるさなかった。
「あ、そうだったか。お前も大きくなったナア・・。」
薄暗い天井を見上げて母は、前後に迷ったように両手を?の上に揃えて溜息をついた。
外はもう暮れかけているのか障子の影が煤黒くなってきた。百舌鳥がひっきりになしに鳴いている。さっと木枯しが吹いてきたと思うと二三枚の木の葉が、障子をさらさらとかすめて、ごっそりと落葉の群れの中に混じっていった。
「加代、併し今の中ならお庄屋様の方へも、お前の体の有様を隠しても、どうにかうまく誤魔化せるよ。この月になってもまだ十五日しか経っていないんだからナ。
早いことにしよう。お前の約束もいいだろうが、それはこんないい話のない場合のことで、兎に角お母さんに委しておおき。お母さんがいいと思ったらほんとにいいんだからなあ。」
と暫くして母は言ったが、名聞と財産と地位の前には他のこと一切お構いなしの、単純で質朴な一方向の母には、どう言っていいか判らなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
黙ったままで否定の意を悟らせようとしたが、
// それ程、お母さんの好ましいお庄屋様の、向う見ずの道楽息子に嫁入りが気に入りなら、お母さん、自分でなさったらいいでしょう。私には私のいいと思った人に嫁ぐのが本当だわ。私にはそんなにお母さんが仰らなくっとも、もう長さんと言う人があるんですもの。あの人とは固く固く誓い合っているの。今ではその人の子供まで出来かかっているんですもの。
そんなことを押隠してまでも、他の人の所に縁を結うとは思いません。そんなことはいいことでやありませんもの。私はお庄屋でなくっても乞食でも構いませんわ //
そう言ってしまおうかと思ったが、それではあれほど望んで弾み切っている母に、あまりにも大きな失望を与えることだろう。
彼女はそう思って顔も上げずに、俯向いていた。
そのとき、庭先の方に下駄の音がして父が帰ってきた。
その足音を聞くと母は当惑顔でいたのがさっと立上って、小走りに歩いて行って、暫く何か言っていたが間もなく、
「よし、そう決めよう。」
と父は元気のいい躍り上がるやうな口調で言ったと思うと、又下駄の音を前よりも高く響かせて出て行った。
もう外は暮れて暗いのだろう。遠くの塩田から夕潮を汲み出す水車の音がギイギイと聞えてきた。
×××× ×××××× ××××

2012年6月16日土曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(5)

第5話 別れ

加代は、この児島郡でも名高い山田村の屈指の金持ちの家に生れたのであったが、祖父の代から傾きかけた家運は、父の代になってから到底支えられなくなった。たくさんの不動産は人手に渡ってあまつさえ、子女の養育にもことをかくような状態に立至ったので、父の遠縁に当たる宇野の、塩田見張りの内へ行儀見習という名目の下に、奉公に出しているのであった。
それが数日前から、家の方にちと用事があるので暇を少し貰って帰ってこい、と言う知らせがあったので、忙しい中を旦那に暇を貰って帰ろうとした。
// ちょっと帰ってくることを長さんに知らしておいた方がいいだろう。早くは帰ってくるけれど、一言言っておかないと、あの人がどんなに心を使うかわからない。僅かな暇で会えるのだから、ちょっと会ってこよう //
彼女はそう想って、ずっと西の山裾にある長兵衛の酒屋へやって来た。
門の中をちらと覗いて見たが、長兵衛らしい者がいそうにない。入っていって逢うのも皆に風が悪いし、このまま会わずに帰ってお家の用事はどんなことかしらないけれど、早くやってこようかしらん。長さん、都合よく出て来てくれるといいのにナア。
彼女はそんな思案にくれながら、いらいらとして門の脇から、畑村の方へ通ずる露路をうろうろとしていると、露路の尽きるあたりの酒倉の方から、下駄の音が聞えて来た。
// アラ、あの足音は必ず長さんだ? //
彼女は小声に叫んで足音の音へ小刻みに走って行った。
「あ、加代さんじゃないか。」
パッタリと加代に出会った長兵衛は彼女を擁き寄せた。彼は村の方に用事があって、行って帰る途中であった。右手に帳面を提げて意気な角帯に前掛をかけて、お祭から1ヶ月経った今は、顔の疵も綺麗に治って何時ものように明朗な笑いを浮かべている長兵衛であった。

「長さん、私、二三日帰ってきますワ。」
「どうしたんだ。」
「お母さんから、少し用事があるから帰ってこいと仰るのよ。私もどんなことか見当がつかないけれど、二日か三日かしたら帰ってくるわヨ。」
長兵衛の襟のあたりをいじりながら、加代は泪にうるんだ瞳で長兵衛を見上げた。
「加代さん、そうかい。それで俺を訪ねてきて探していたんだナア。有りがとう。だが、どんな用事か済んだら直ぐ帰ってきてくれよ。俺もお前のことばかり思っているからナア。」
彼はそう云って柔らかくもたれかかっている彼女の体を擁き緊めた。急いだのだろう。お化粧気のない首筋が透通るように白く美しかった。
「私とのことを一言長さんにお伝えしようと思ってやってきたの。もうこれで安心して帰ってこれるワ。」
彼女は、そう言ったけれどそこを立去りたくないように、もじもじとして長兵衛の前掛の端をいじっていた。
「それなら早く出かけないと、この頃の日は短いからちょっとでも早く出た方がいいよ。」
彼はそう言って促して、彼女の抱えている小さな風呂敷包みを持って歩きかけようとした。
「あの長さん、私、少しでも離れているのが寂しいワ。長さんとも少し話していたいワ。」
彼女は凝と立ったまま歩こうとはしなかった。
「そんなことを言ったって、又こんなところを人に見られるとうるさいから、もう二日三日すれば又逢えるじゃないか。」
といってお加代を慰めたものの、彼の心にも何故か離れ難い愛着があった。
「私、何かも一つ長さんにお伝えしたいことがあるのよ。」
彼女は長兵衛の前掛の端をかみながら、睨むように彼の顔を見上げ、意味ありげににっこと微笑した。
「何だい。俺がお土産でもことづけないから催促かもしれん。そうだ。お土産をお前の母さんに送ろう。」
彼は、小走りに酒屋の方へ取って返そうとした。彼の邪気のない心のままに。
「そんなことじゃないのよぅ・・・違うワ。違うワ。ホホホ・・・・・。」
彼女はそれを、手を振って笑いながら措止した。
「どんなことだい一体、早く言って帰らんと日が暮れたら、又困るだろう。」
静かに彼女の肩に手をかけて促して見たが、何を想っているか、それともどんなに言いにくいのか、丸味を帯びた柔らかな肩が小さく波打つように揺れていた。
「あのナ、長さん。私、何だか赤ん坊が出来ているようなの・・・・・・。」
暫くして漸く聞き取れる程度の声で言ったと思うと、彼の前掛で顔を覆った。
そんなことを言い出そうとは予期してなかった彼は、
「ほんとかいッ? 加代さん?」
彼は真偽を確かめようとして、彼女の顔をもたげあうと、脇の下あたりに腕を回して、じっと抱き上げた。
抱かれたまま彼女は、
「嘘なんか言うものですか。」
にっこりと白い歯を出して、彼の鼻の下あたりで微笑した。
「加代さん、それじゃいい赤ちゃんを生んでくれ。俺は何かしらん。ぞくぞくとする程うれしい。」
彼女の手を握って、彼は愉快らしく大きく笑った。
「私、今の月から気がついたの。長さんの赤ん坊よ。」
「勿論俺の子供さ。元気で早く産んでくれよ。楽しみが一つ増えた、というものさ。」
「長さん、ほんとに産んでもいい?」
「産まなくってどうするんだ。俺は手を受けて待っているよ。」
「それじゃ待っていて頂戴ねぇ。」
彼女は一つ大きな息をすーっと吐いて、心の底から何もかも言ってしまった快さを見せて顔を表情いっぱいにして笑った。
「もう帰らなけりゃいけないよ。妊娠している体なんだから無理しないように、気を付けて帰っておいで。」
「それじゃ帰って来ますヮ。左様なら。」
彼女は、長兵衛を振り返って、にっこりと笑ったまま小急ぎに歩きかけようとした。
「加代さん、俺もそこの土橋のところまで見送ろう。」
彼は彼女の後からついてきた。
「いや長さん結構です。私一人でいいですの。」
長兵衛の忙しい体をよく知っている彼女は、それを押し留めようとした。
「いいや、そんなに遠慮しなくってもいい。そこまでだ。」
二人は連れ立って歩きかけた。
家並みの間の細い道を通って大川の土提に出ると、膚に沁みいるような晩秋の風が蕭?として吹いて過ぎた。土提の右側の畠も左側の蘆も冬の来る前の、薄暗い冷たさの中に閉じ込められていた。遠い備讃瀬戸の島々が、手に取るように明瞭に輪廓を浮かべている。もう寒い冬が来るのだ。
二人は隣村の田井越に出る道になる、大川の土橋の上まで来た時、
「俺、ここで別れるからナア。随分気をつけて帰ってくれ。大切な体になっているのだから無理しないで、又早く帰ってきてくれ。」
手に持ってきた風呂敷包みを加代に渡しながら長兵衛は言った。
「ありがとう。ここまで見送っていただいて嬉しかったワ。又直ぐ帰って来るワ。」
彼女は、今一度礼を言って長兵衛を見上げた。
「じゃ、俺も別れよう。」
彼は、二度そう言って橋の上に立って葭の間に次第に見え隠れして、遠ざかって行く加代を見送っていた。
加代がサヨウナラを言っているのであろう。山越に近い林の中で右手をあげているのが小さく見えた。
加代が越して行くであろう山路の頂きあたりの禿山に、午下がりの陽が黄色く写したように照っていた。
×××× ×××× ××××

2012年6月15日金曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(4)

第4話 一番鶏

「寒くはないか。」
「いいえ、ちっとも。」
「ようし、無理もない。ついて来い。」
二人は裏門を出て、細い路を駆けるように歩いた。
祭の夜といっても、もう更けている。暗い淋しい夜がどこまでもどこまでも拡がって、北の方に見える天狗山の饅頭のような姿が馬鹿らしい程落ちついて見える。道端の稲の穂を夜風が寒そうになびかせて過ぎた。
虫の声も衰えかけているのか、こおろぎの声も無量に淋しい。
老松の立ち並ぶ間の段々を五六十登ると社殿の前に出た。
「長兵衛、長・・・」
旦那がどなるように大きな声を立てたが、答えるものは社殿の奥深く響く木霊ばかりである。
「長さん、長さん。」
加代も出来るだけ大きな声を張り上げた。
いぜんとして、松の梢を吹く風の音と、ちちちヽヽと縁の下の方で啼く虫の声よりは聞こえない。
// どこらに彼が倒されているであろうか。//
旦那はつぶやきながら、彼等が酒を飲んだ本殿の前の溜りの方にやってきた。
酒の臭いがプンプンとする。
「加代、ここで彼等が飲んだんだ。」
「旦那様、そうでしょうか。」
真っ暗なのでよく分からないが、手探りに歩いていると暗燈の転がったのや、皿のような物や、鍋や徳利などが足の先にさわった。
// 加代、大分乱暴されたらしいぞ。 //
旦那はそう言いながら、そこらあたりをぞろぞろと捜し回った。
「旦那様、どうして長さんの呻き声も聞えないんでしょう。」
彼女も不安におののきながら、旦那の後からついて探していた。
「長兵衛、長兵衛、居たら返事をしろッ!」
旦那は、びりびりとする程大きな声で呼んだが、何人の返事もない。只、眞暗な闇に薄気味悪い静寂があるばかりであった。
「長さん、長さん、長さんいないの。長さん返事してちょうだいッ?」
彼女も旦那と同じように叫んでみた。けれど何の反応もない。
「加代、こう暗くっては鼻をつままれても分からないよ。灯りを持ってくるとよかったにナア。」
「私これから持って参りましょうか。」
「いや、まあ、も少し探してみよう。」
ぞろぞろと手探りに捜し回ったが、皿や徳利や鍋のようなものや膳などが、ごちごちと手の先にさわるばかり。
「加代、ここら辺りにはいない。少し出口の方を探して見よう。こちらへ来い。」
旦那はそう言うと加代に手を取らせて、出口の方へ連れて行った。
「この辺りを見よう、格子戸の下の方をよく気をつけて見よ。」
「はい。」
彼女がそう返事をし終らぬ中に、
「旦那様、長さんはここに。」
彼女の恐怖と不安の戦慄した叫び声が恐ろしい程、鋭く響いた。

「何、長兵衛が居たかッ。」
旦那は手探りで、いざりながらやって来た。
「長兵衛、元気を出せ。しっかりしろ、こら長兵衛?」
「長さん、長さん気を確かに、確かに。加代ですよ、加代ですよ。長さん・・・・。」
二人は、そこに横たわっている黒い長兵衛の姿の前で根限り叫んだ。
長兵衛は、ちっとも返事がない。
//脈はあるかしらん。//
旦那はそうつぶやいて、長兵衛の手首を握ってみた。
「大丈夫だ。脈はあるッ。」
旦那は思わず大きく叫んだ。
「加代、もう心配すな。そらこれへ手洗鉢から水をしませてきてくれ。早う、早う。」
旦那は、懐中から手拭を取り出して、そこでかたかたと震えている彼女に渡した。
彼女は、間もなく手拭に水をたっぷりと浸してきた。
「長兵衛、しっかりしろ、こらっ長兵衛?」
旦那は、その手拭の水を搾りながら長兵衛の口のあたりへ滴を落した。そうして長兵衛の名を繰り返し繰り返して、彼の耳のそばで叫んだ。
「旦那様、長さんはもういけないのでしょうか。何にも返事が有りませんが。」
加代は恐ろしさと悲しさに、夜半の冷たさが混じって彼女を襲ってきた。旦那の横に坐って長兵衛の胸のあたりを手早く撫でながら、不安そうに真黒い旦那の顔を見上て訊いた。
「大丈夫だ、心配すなッ。脈もあり息もしているのだッ。も少ししたら気が付くから。」
旦那は泣き出しそうな加代に心配させまいとして、語気も鋭く叱るように言った。
長兵衛の頭の髪はザンバラに乱れ、着物も無茶無茶に引裂かれて、帯も羽織も何れに行ったか、暗がりで見てさえも余りにみじめであった。
「ほんとに村の若い奴等は酔った機嫌で、ひどいことをやったナア。不都合な奴だ。こんなことをするんだったら、わしにでも酒屋の旦那にでも言って出たらいいものを。」
「ほんとですワ。旦那様、余りですワ。」
彼女はボロボロと泪を落した。
あたりはひっそりとした暗黒の世界であった。縁の下で啼く虫の声が彼らの胸に痛々しく、響いてきた。
「あれ、旦那様。一番鶏が啼いていますワ。」
「どれ、どれー。」
遠い百姓屋で鳴く鶏の声が旦那の耳に聞こえた。
「あ、もう夜が明けるのも遠くはない。夜の明けるまでこうして動かさぬように寝せていてやろう。」
羽織を脱ぎながら旦那はそう云って、長兵衛の上にパッと掛けてやった。
加代も着ている一枚の寝巻を脱いで掛けようとすると、旦那が
「お前、こんなに風が冷えてきたのに、そんな一枚の着物を脱いでしまって、風邪でも引いたらどうするのだ。長兵衛が治るのが良いなら、わしの言う通りにして着物を着ておれ。」
「はい。」
加代は旦那の言葉に逆らうことは出来なかった。
遠くの方で又鶏の声がきこえた。

2012年6月14日木曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(3)

 第3話 安否


塩田見張りの旦那の家に若い連中が押しかけてきた。
「旦那さん、見張りの旦那さん?」
彼らは口口に叫びながら、よろよろとして杉垣から門をくぐって玄関へやってきた。
「旦那さん、一杯呑みに来ましたよ。若連中が来ましたよ。起きて下さいよ。旦那さん・・・よー」
彼等は玄関のあたりで面白そうに、舌の回り兼ねる調子ではしゃぎ続けた。
「おい若え連中、今頃来たんか。もう夜も更けているじゃないか。もう今日は来ないかと思ってわしも休もうとしていたところだ。が、お前達が来たのならこちらへ上れ。」
旦那は彼等を見渡して優しそうに言った。
「いいえ、旦那さん、俺達ゃこの土間で結構ですよ。ここ・・・んな・・・に・・・酔っているんですからナ。旦那さん、ここ・・・んなに酔って・・い・・ますけ・・・ど・ゆ・・るして下せえ。」
若連中の頭八藏は旦那の前へよろよろと覚束ない足取りでいって、ろれつのまわらぬ舌でそう言ったかと思うと、さげてきた徳利を右手に持って、懐から盃を取り出して、なみなみと注いでぐっと呑み干した。
「お前達、その土間がよけりゃ、むしろでも敷いてやろうか。」
旦那は大きな腹を突出して懐手をしたまま、にこにこと笑い続けている。
「なーに、旦那さーん、心配ござんせんよ。俺達の酔っぱらいに筵も茣蓙もいりゃしませんや。この土間で上等ですよ。」
吾一はそう云って土間にぺったりと尻を据えた。
他の連中もそれを見て、一様にべたべたと土間に大きな胡座をかいた。中にはもういい氣持ちになって玄関の上り框に、いぎたなく寝ころんでいる者もいる。
そうして皆もてんでにさげてきた徳利を傾け始めた。
酔っぱらった他愛のない言葉が、怒るように泣くように叫ぶように、笑うように混じり合って騒々しかった。
こうして祭の夜には、村の若連中は塩田見張りの旦那の中へ、ご馳走をよばれにやって来るのが毎年の慣わしであった。
暫くして八藏が
「あの旦那さん、お加代は今おりますかナァ・・?」
奥へ入ろうとする旦那を呼び止めて言った。
「う・・ん、加代ももう休んでいる頃だが、何か用かい。」
「ち・・・ょっと、・あ・・わして頂きた・・・いの・・・・・で」
彼は旦那を見つめてよろよろと立ち上ろうとした。
「お前らがそんな酔ったざまで加代に会ったって、あの娘が怖れて逃げるさ。」
旦那はそう言いすてて奥へ行こうとした。
「旦・・・那サン・・・ほ・・んとですよ。聞いて下せえよ。ここれだけゃほんとですよ。ぜいぜい。」
割合に酔っていない甚助と吾一が立って旦那に願った。
「お前達の面白半分に加代を合わせられるか。もう少し酔が醒めなきゃ駄目だ。」
旦那はどこまでも冗談にして相手にしない。
「そそ・・・れじゃ、旦那さんにお願いしますよ。あの今まで八幡様で飲んでいましたが、癪に障ってきたから、酒屋の長兵衛の奴を皆して叩き伸ばしてきましたよ。いい気味でサァ。一言、加代に知らせて歓ばしてやりとうてきましたよ。ワハハハハハ・・・・。」
甚助はそこの柱に身を支えて、いじいじと体をくねらした。
「何ッ、長兵衛を伸ばした?殺したと言うのかっ? 冗談言うナッ?」
旦那は鋭く甚助を睨みつけた。
「旦那、嘘じゃごござ・・・んせんよ。ほ・・・んとのことですよ。」
八藏は徳利を持ったまま、どろんとした眼をむいて言った。
「何、ほんとだ!! お前達の酔っぱらいの言うことは真か嘘か分らん。冗談言わずにそこで飲んであかせよ。」
旦那は相手にしないようにしかも半信半疑で彼等を見つめている。
「旦那さん、嘘なら行って見て下さいよ。あの八幡様の社の中で一人ばっかり番をしていますよ。」
吾一は面白げに言うと、からからと笑った。
「旦那さん、俺達に、一番の邪魔者長兵衛に、腹が今夜出ましたよ・・・。ワハハ・・・・・・・。」
皆口を揃えてそう言った。
「こらっ? 手前達にもしそんな乱暴があったらこのわしが承知しないぞ。あんなに人の良い賢い長兵衛を痛めるとは、いいかっ?」
旦那の柔和な面にサッと剣が走った。
「あの、平生から長兵衛と仲の良い加代にも一言知らせて下さいよ、旦那さん。」
船乗り稼業の平助が、変な笑いを浮かべて旦那を見上げた。
「お前たちが口口に言ったので訳が分からん。わしが一寸行って見る。」
旦那はそう言い捨てて奥の間へ駆け込んだ。
先頃から寝ようと思っても、何かしらいじいじとして不安な加代は、漸く寝付かれたと思った頃、彼等がどやどやと騒いで来たので、又眠りを破られてしまった。彼女の寝る女中部屋は奥の方であったが、夜の静まった頃ではあるし、玄関の物声が手に取るように聞こえる。
あの若連中の中には私の長さんも必ずいるであろう。長さん、長さんと叫びたいような心がする。が、平生やさしい長さんのことだから、なんぼお祭だからと言ったって、あんな酔ってはいなさるまい。長さんの声は聞こえないけれど、八藏さんか吾一さんや甚助さんのように、あんな大きなどら声はなさらないのだ・・。
彼女はそう思って眠られない心を、秘かに悦びながら抱いていると。
「長兵衛の奴を叩き伸ばしてやってきた。いい気味だ!!なんていい気味なんだろう?」
その言葉を聞くと、彼女の今までの温い長兵衛を想う心は跳ね飛んでしまって、凝然とした冷たい世界が忽然とひろがってきた。彼女はいたたまれず寝巻のまま玄関の次の間に忍んできて全身戦慄を押さえながら一言も洩らすまいと、全霊の聴覚をもって彼等のどら声を聞いた。
彼等が他愛なく喋る気味良さそうな声も、彼女の身体には全身に針を打たれるように、気も遠くなる程驚いた。
// 長さんがもしかしたら殺されているのかもしれない //
彼女は寝巻の襟をぐっと握り寄せて、口唇をじっと噛んだ。
// 長さんが叩かれて気を失って倒れているのだ //
// 長さんが死んでしまやしないかしらん //
気が転倒しそうになるのを漸くこらえて、下腹に力を入れてみたけれど、恐ろしい不安が大きな胴震いになって、腹の底の方から、食い縛っている奥歯のあたりへ留め度もなく、かたかたかたかたと震わせてきた。
// あ、私はどうしよう。//
長さんも私のために苦労ばかり、村の人はこんなに私と二人の間を裂きたがるのだろう。どうしてだろう・・・・。
どんなにしたって離れるものか。死んだって離れやしないから。見ておいでよ。村の人たち。
// 長さん、死んじゃいけないよ。生きていて下さいよ。加代がこれから参りますから //
// あ、情けないこと // お祭だというのに・・・・

彼女はそのまま裏口の方へ駆けり出ようとすると、そこで旦那にぱったり出くわした。
「あら、旦那様? ご免遊ばせ・・・。」
「加代じゃないか。この夜中にどうしたんだ、取り乱してしまって。」
旦那は加代に何も知らせたくなさそうに、何気なくなだめようとした。
「旦那様、加代は、みんな今のお話を聞いていましたっ。」
泣こうに泣けない程驚いた彼女の心も、旦那の思い遣りの心を聞くと、熱い涙がそろそろと込み上げてきた。悲しまぎれに袂で顔を覆った。
「何、今の話を聞いたッ!!お前は休んでいたらいいのだ。そんな姿で出歩いていると風邪を引くぞ。」
旦那はどこまでも心配させまいとして、優しくそう言って歩き出そうとした。
「旦那様、どうぞ連れて行って下さい。お願いでございます。」
加代は泣きながら、旦那の羽織の袂にすがった。

2012年6月13日水曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(2)

 第2話 祭の夜


「おい皆聞け!!」
 若連中の頭、八藏は盃を左手にして立ち上がった。
 車座になって酒を呑んでいた若連中は、半ば酩酊した眼をどろんとさせて八藏に注目した。
「おい皆の者!!」
 今日この楽しみに、こうしたことを言うのもあながち無用なことじゃなかろう。それが外のことでもねえ。ここに座っている長兵衛のことなんだ!!
 こやつが俺達の宇野へ来やがってから四年になる。よそから来た分才もわきまえやがらず、おのれの色男を鼻にかけやがって、この周りの娘を引っ掛けて回りやあがる、不都合も甚だしい、こやつが宇野へ来やがってからは、どこの娘の家へ遊びに行ったって、二口目にゃ長兵衛の話さ。俺達には肘鉄砲が積の山さ。
 えーッ、こんな馬鹿らしいことがあるかっ。
 よそから来た奴にこの宇野若者の上手を走られてじっとよだれをたらして見ておれるかいっ。
「皆の者、どう思うかっ。」
 彼の塩田で日焼けした顔が、酒の酔でほのかな暗燈の灯りにも赤銅色に光って見えた。その言い終ったと思うと盃を右手に持ちかえてぐっと一息に干して、傍に座っている長兵衛目がけて投げつけた。
 盃は彼の額をかすめてその後の格子戸の敷居に当たって、パツッと破れて散った。
「今度は俺の言う番だっ!!」
 骨格の逞しい吾一が立ち上がった。
「おいッ、今八藏が言ったが実に長兵衛はけしからん。つい先日のこと俺の婆さんの生命が明朝まで持てめえかもしれぬというので、この向うの畑村へ行って帰りの時、丁度子の刻だったよ。それあの中ん所の川の堤を帰っていると、先の方に二つの影がボンヤリと立っているので悟られないようにこっそりと近づくと、ナンダア、長兵衛とお加代じゃないか。見ている俺が恥ずかしい始末、月のあかりで近寄って見ると手に取るように何もかも見える。平生、おとなしそうな面しやがってあのざまだー。」
 吾一はホロ酔の快さで、思うことを喋ってしまった。手を振り足をあげ、着物の裾をパッと端折って威圧的に長兵衛を見下ろしていたが、ポンと足で長兵衛の肩のあたりを蹴った。
よろよろと後に倒れかかった長兵衛。
「おい吾一さん、あまり乱暴じゃないか。」
四面楚歌の中にいる長兵衛は、全身の憤怒をこめた眼で睨みつけた。
「何が乱暴だ。貴様こそ俺たち宇野の若者の風上にも置けねえ奴さ。この間、夜の夜中、草叢の中でお加代と二人ごそごそとやっていたざまは何だ。こん畜生めー。」
二度目の足蹴が脇腹へ飛んで来た。
「吾一っさん、俺がおとなしいかと思ってあんまりだナァー。」
「何ッ、文句があるのかッ。文句がありゃ聞こう。」
吾一は徳利を傾けながら、商人風の意気な長兵衛をぐいと睨みつけた。
暗燈の灯の中に酒の臭いと怒気と緊張と、管を巻く声が騒々しい。
この村の慣しとして輿を担いだ若連中が、八幡様の本殿の前のたまりで夜どおし酒を飲んで楽しむのであった。一年中に一度のお祭りに、こうした若連者の集いは最も愉快なものであった。二十人程の若連中の一人として長兵衛も交っているのであった。
「おい吾一、少し待て。こん度は俺が言ってやろう。」
舟乗り家業の甚助が吾一を制しながら立ち上った。
酒が大分回っているらしい。足下がふらふらとして覚束ない。
「おい長兵衛、俺ゃ舟乗りだが貴様がいるために俺ゃ大きな損のし通しだ。今あすこの塩田の見張りの旦那の中に奉公に来ているお加代かって、俺に一度もいい顔をしたこたあねぇ。児島小町だなんでいわれるお加代の機嫌のいい面も一度は見てえもんだ。―――――
それというのも貴様の居やがるせいなんだ。貴様さえいなきゃ、この宇野の若連中の思いのままになるじゃねえか―――――。おい長兵衛、どうだ。」
彼はポイと尻をはぐって、薄汚れた褌の尻を俯いている長兵衛の頭の上に乗せかけた。
「おい、そこらの若えの、一杯注いでくれ。」
そこにあいた盃を取り上げて、甚助は皆の方に差しだした。
―――オーイ甚助面白いぞ―――やれやれ―――長兵衛の頭を腰掛だ―――。いい気味だ―――ええぞええぞ―――そら注いでやろう。―――
ぐるりと丸く座になっている連中が、わあっと面白がった。気味よさそうに。
「おい甚助さん、貴様は精根があるのか、ねえのか?俺を余り馬鹿にするねえ。」
長兵衛は彼の体をうんと前にのめらして立ちあがった。

足の定まってない甚助、八藏の座っているあたりへ、タタタタとよろけて、どしんと尻餅をついた。
「長兵衛、承知しねえぞ!!」
八藏はすっと立ち上って長兵衛の前に立ちふさがった。
「いや俺はもう帰る。ここへ来たのが間違いだった。」
「何、帰る・・・・・? 帰らすものか・・・・・。」
長兵衛は急いで飛び出して帰ろうとした。
「帰らしゃしないぞ!! 畜生!!」
座っていた連中が全部立ち上って、長兵衛を取り囲んだ。
長兵衛は隙をねらって逃げようとした。
「こりゃ逃がすものか。」
彼の後から誰かがはがい締めにした。その手の力の強いこと。
「打て打て、やってしまえ。」
誰かが命令すると、振り払って逃れようとした長兵衛の頭といわず腰といわず、拳骨と足蹴の雨が降って来た。
「乱暴するなー。」
彼は一心に叫んで頭をじっと両腕で抱いた。もう何も言いたくない。全身をいっぱい憤りがぐんぐんと走る。
半ば酔い、半ば理性を奪われている彼等には、興に乗って面白いがままに長兵衛を打ちつけた。
拳骨ではない棒でもない。徳利のような重たい瀬戸物のようなものが、彼の後頭部にかあんと落ちかかってくるのを感じると、鈍い痛みが脳から体全身にびりびりと響いていって、前後も分からずべったりとそこに打ち倒れた。
暗燈の灯影はたちまわる人々の姿を、影絵のように黒く浮かせていた。
八幡様へ参る氏子の人もない。昼の間に参っているのであろう。
×××××  ×××××

2012年6月12日火曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(1)

今日から、小説「洲巻長兵衛」のスタートである。
原文には、各段のタイトルはついてないが、紹介者であるサッキーが勝手に各段のタイトルをつけ、小説の展開が少しでも盛り上がるようにできればと思う。



第1話 逢引


「長さん、もう七日したらお祭だワ。」
お加代は長兵衛の方へじっとにじり寄っていった。
八幡様の森の上に黄色い月がぽっかりと浮かんでいる。海の方から吹いてくるそよそよとした風が、塩田のあたりから、ずーっと小浦の蘆の泥沼の上を吹いてきた。そよそよと蘆のなびくのが人のいない夜のささやきのように聞こえる。静かな秋の夜であった。
「そうさ、祭りがきた。それで俺の店の方も中々忙しいのさ。」
色男で鳴っている長兵衛の男らしい顔が、にっこりとほほえんだ。そうしてお加代の肩をじっと抱いた。
「それだったら約束があるわ・・・忘れたの?」
「何だったかナア、とんと近頃忙しいので忘れてしまっているよ。」
「まあ、いけないわよ、あれあのことよ。」
「一向に存ぜず。忘れてござる。」
彼は腕の中にある処女の耐えられないような甘美な体臭と髪のこころよい匂いにうっとりとしなから、わざと空呆けて言った。
「長さん意地が悪いー、あんな約束を忘れているなんて・・・・。」
児島小町と言われるお加代の美しい顔が、ちらっと彼の瞳をにらんで蕾のような口唇がニコッと開いた。
「何だったかナア、そんな大きな忘れ物なんかした覚えはないが、そんな忘れ物していたら俺の首を差上げよう。その代わり生命だけはお助けだ。」
彼はからかおうとして口から出まかせのことを言ったが、おかしくなってプっと吹き出した。
「まあ、おかしいわ」
彼女も一緒になっておかしそうに笑った。
「ね、長さんあのこと、私のあアレ。」
「何?お前のあアレ、・・・そんなこと忘れている。」
「もう知らないっ‼」
彼女は如何にも腹立たしげにすねた格好をして、長兵衛の胸に伏した。
美しい抜け出るような襟足が、蒼白い月の光におどろく程魅惑的であった。
「あ、アレか。この前の約束のあの着物のことか。なあんだ、女はそんなことに至極鋭敏だなあ。」
彼はお加代の白い首筋を軽く撫でた。
「そうよ。きまっているわ。お祭りで私、それが一番楽しいんですもの。」
「それだったら、着物もかんざしも同じように注文してあるさ。」
「長さん、ほんと‼」
彼女の白い両の腕がすーっと着物の袖より抜け出して、長兵衛の首に艶めかしくまつわりついた。蒼白い月の光の中にその徳利型の腕の白さ美しさ。お互いの吐く息と吸う息が、ほんのりと温かく感じられる。
「嘘を言ってどうするか。お加代さんのことじゃないか。忘れたりなんてしてたまるかい。」
「うれしいワ。」
「明日朝行くことになっているから、もう貰ってこよう。早いのは間に合うからなあ。」
「私、待っているわ。明日の夕方には帰れるの。うれしいわ。」
「そうだなあ、黄昏頃には帰れるだろうよ。」
月が大分登ってきた。雲のない空に冴えかえるような黄色い月が。遠い高辺の山あたりはぼんやりと霞んで麓の海には蛸をとる舟の漁り火がちらちらと見える。近くの天狗山のふもとの方では狐の鳴き声がする。二人の腰を下ろしている草叢では友を呼ぶ虫の声が哀れっぽい。夜はだんだんと二人の世界を包んで更けていった。
「あれ、月があんなに登った。加代さん、家に帰らなきゃならないんじゃないかい。」
彼女の背中に手を回して、力強く抱きしめた。
彼女の柔らかな乳房のあたりから伝ってくる、魂をとろかすような血潮のときめきに、彼は放そうとはしなかった。
「私ちっとも構わない。さっき来る時裏の戸口からすーっと抜けて来たのよ。誰にも気づかれてはいないわ。」
力強い男の腕の中に、彼女のすべてを委ねていた。
きびきびとした男の筋肉の動きが、彼女の脇の下あたりにじりじりと喰い込んでくる。男の頼もしい腕が・・・・。

「そんなら俺もこうしていて安心出来る。・・・・が、併し加代さん、近頃、村の若い連中が俺とお前に対して甚だひどい仕打ちをするなあ・・・・・。」
「ええ、ほんとにねぇ。私にかってどんな悪戯や乱暴するかしれやしないわ。ついこの間のことよ。旦那様が讃岐へお出でになったので、もうお帰りの時分と思って池の浦の浜へお迎えに行きかけたらねぇ、あの浜の突先を回るところで、向うの塩田の八藏さんが追いつけて来て、散々悪口やら変なことばかり言うの。そうして着物の袂や髪を引っ張って歩かさないの。夕暮れ頃ではあるしどうしようかしらんと思って困ってしまっていると、又、山の畑から戻って来る吾一さんに出くわして、私生きた心地はなかったわ。」
彼女の声と瞳が涙にうるんで、長兵衛を見上げた。
「何故、そんなことがあったのに俺に知らさなかったのだ?」
「だって、口を揃えて長さんの悪口ばかり・・・。」
彼女の声が次第に鼻にかかって来る。
「そうだったのか。しかし、俺達がどんな悪口を言われたって二人の世界なんだ。愛し合っている者を離そうとしたて離れるものか。そうだろう、加代さん。」
柔らかいお加代の体を又、じっと抱きすくめた。
「ホントよ。私殺されたって離れやしないわ。長さん永久に変わらないでねぇ。お加代のためによ。」
お加代は、長兵衛の腕で泣いた。我慢していた迫害の悲しみが一時に堰を切り、愛しい男の胸に流れ込むときの、甘えたいような悲しいような、愛しい男の胸の中に融け込んでしまいたいような、泣けるだけ泣いて涙をしぼりたい。そんなすすり泣きであった。
「加代さん、そんな悪戯や悪辣な手段は俺にも毎日のように加えられている。昨日もやって来たよ。あの八藏が、吾一と二人連れだって俺の主人の傍にやって来て、俺のあることないこと色々並べたてて揚句がこの酒屋から追出してしまえ、といって主人に頼み込んでいた。俺は酒藏の出口のところでその話を聞いていたが、癪に障ってならない。飛び出して行って一つ談判してやろうと思ってかっとなったが、主人も賢い人なんだからいい加減にあしらっていたので、俺も出るところじゃないと思ってこらえていたよ。」
彼の瞳に涙がうるんできた。月の光がその白い露にちらちらとゆれた。
「長さん、私、これからどんなことがあっても耐えるわ。あなたの女房に晴れてなれるまでは・。」
「加代さんありがとう。俺が来年のこの頃は一人前になれる。そうしたら一人前の杜氏となってでも酒屋になってでも、結構独立出来るんだから、楽しんでいて呉れよ。」
彼女の顔をぐいと引寄せようした。
「長さん、あなたの独立を待っているわ。」
彼女は長兵衛のなすがままに快く体を委せていた。
「加代さん、赤ん坊は欲しくないかい。」
「ええ、赤ちゃん、可愛いワ。」
加代さんがお母さんになるんだよ。」
「マア、長さんがお父さんに、ホホホ・・・・。」
草叢で哀れっぽい虫の声が、澄み切った月への伴奏のように鳴き続けている。
露のおりた草の葉に月の光が宿って、風の吹くたびにきらきらと光って揺れた。
×××××  ×××××

2012年6月11日月曜日

簀巻きの長兵衛物語の紹介

6月11日

玉野の歴史を語るとき、玉野市宇野にある獺越(うそごえ)の浜に、簀巻きにされた長兵衛という美男子が投げ込まれ、その祟りがあったという話を聞くことがある。粗筋はこうだ。

今から160年ほど前、備後の国から宇野に移ってきた長兵衛という若者は、好男子で地区の女性に大もて。気に入らない土地の青年どもは、好き勝手をするこの若者を袋叩き、簀巻きにして獺越の海に放り投げた。その後、宇野に奇病が流行ったことから長兵衛の祟りということになり、お地蔵さんを作り、旧7月23日の夜、盆踊りをして供養、今も続けられている。

宇野3丁目の中山トンネルを抜け玉野浄化センターの南端の辺りがかつて獺越鼻と呼ばれていた所で、流れが早い所であった。今では絶滅したとされるニホンカワウソがこの辺りに生息していたと思われる。以前三井造船の進水式では、フェリーが獺越を通過したら、進水作業のゴーサインを出していた。支綱切断の時間になる頃、フェリーが丁度三井造船の沖合を通過する、その辺りである。




さて、今日から暫く、昭和10年にこの土地の宮田熊夫さんという方が書かれた小説『宇野情話 洲巻長兵衛』を紹介する。書かれてから既に77年が経過しており、公に発表もされていないようなので、著作権などの問題もないだろうと勝手に思って紹介する。
元は、3年前、宮田さんの家族の方が玉野の歴史研究家・榧先生の所に持って来られたものを、「デジタル化してもらえないか」と私に紹介を兼ねて依頼されたものである。この年「宇野港100年物語展」を行うこととしていたので、その展覧会にも展示した逸品である。歴史書としての値打ちはともかく、恋愛小説として楽しんでいただければと思う。
もう一つ、この小説には挿絵が描かれていて、この挿絵が何とも微妙なタッチであり、これらも紹介しながら進めてゆきたい。
初回の今日は、宮田熊夫さんの「はしがき」から。



   宇 野 情 話
        州 巻 長 兵 衛

作 宮田熊夫

=表紙は宇野の塩田の一部=


はしがき


 僕が「州巻長兵衛」を書こうと思ってから、早や三年になる。
 僕が州巻長兵衛の話を聞いたのは、もうずっと前のことであった。その話というのも、昔、宇野の酒屋の長兵衛という若い男が奉公しておった。その長兵衛の男振りと気前の良いのに、村の娘達が慕っておった。それを快く思わなかった、村の若い者連中がある夜のこと、彼を簾に巻いて、藤井の海から投げ込んで殺してしまった。
 それだけの話を聞いて、それよりもっと詳しく聞かせてもらおうと思ったが、誰もそれ以上に詳しくは知らない。
 だからここに書いた物語りも、殆ど全部といってもいい程、僕の空想の産物なんです。いいか悪いかそんなことは頓着なくて、始めて一つの小説を纏めた、と思う歓びを感じています。
 書いている途中、弟の死に遭ったり、色々のゴタゴタやおまけに僕が風邪になど罹って思うように書けなかった。
 それから二三枚挿絵を入れておいた。一寸思いついて書いたが、不細工な絵だ。無いよりもいいかしれない。或いは無い方がましかも分からない。

                       昭和拾年十一月十三日
                           宮田 熊夫

2012年5月4日金曜日

MMK広報-第2号-

4月25日

MMKとは、うのずくり実行委員会の活動を支援する「特定非営利活動法人みなと・まちづくり機構たまの」の略称である。MMKは、昨年12月1日に設立した。

MMKから経産省に提出していた、「平成24年度戦略的中心市街地商業等活性化支援事業」に対する補助金交付申請が、4月9日に採択されたという嬉しいニュースが飛び込んだ。
以下、申請した事業の概要と今後のスケジュールについて紹介する。

先ず、この事業の狙いと計画の必要性

この事業は、中心市街地に若いクリエーターが集い、
各分野で街と関わりを持つことによって、魅力的な街づくりを行うことを
狙いとして計画した。つまり、カルチャー・クリエイティブ的なまちづくりだ。
街に潜む様々な課題を新たな発想で解決し、
「確かにこの街は面白い」「私も参画して街を良くしたい」と
積極的に選択される街になることが、街の活性化には不可欠である。
私どもは、アイデアと行動力に溢れたクリエイティブな若者と地元住民との交流を促し、
街と産業にイノベーションと活力を生み出すための地域コミュニティ拠点が必要と考えた。
コミュニティとカルチャー・クリエイティブ(新しい文化を創る人々)の交流拠点だ。
街には、数年前から若手クリエーターが住み始めている。
住民の意識変化も芽吹きつつある。今まさにこの事業を始めるときだ。
拠点の完成と拠点を生かした活動に、是非ともご期待いただきたい。

活動拠点整備の基本コンセプトは、『WHITE OUT』

宇野港は、白く白い霧に包まれる。 建物も、道路も、人々の営みも、全て真っ白に消失する。
繁栄と衰退、喜びと哀しみ、、、 霧はあらゆる物から色を奪い、私たちはゼロの世界に包まれる。
私たちはゼロの世界に心を洗われて 再び、私たちは色の世界を取り戻す。
色はあなたがつければいい。 色は自由であるが、色は、あなた自身でなければならない。
そうやって、さまざまな人が 宇野港の街に嘘のない色をつけてゆく。
迷っても、躓いても、立ち止まってもいい。 ゼロの世界は、必ずまたやってくるから。
何度でも、何度でも、 あなたの色を見つけて あなたの色をつければいい。

拠点の使い方は、概ね以下のようなことを考えている。
・地域住民、クリエーター、移住希望者が楽しく集える交流サロンとして
・移住促進に関する、情報収集・情報整理・情報発信を行う拠点として
・企画展、個展等ができるギャラリースペースとして
・アート、クラフト等の作品販売ショップとして
・イベントスペース、ワークショップ会場、日替わりカフェスペースとして

スケジュール概要は、下記の通りです。完成は今年8月初めを予定。
4~5月:方針決定、実施設計、業者選定
6~7月:解体工事、内装、設備、外装工事
8月上旬:清掃・美装、オープニング











ここで、2~3月のうのずくり実行委員会の活動を紹介する。

「第1回ずくりワークショップ」開催、仏生山温泉の岡昇平さんと学ぶ!
3月2日(金)18:30~21:00、玉野市文化会館1階ホールにおいて、
仏生山温泉・岡昇平氏を迎えて、「温泉を中心としたとき、湧き出るコンテンツ」と題した講演とワークショップを開催。玉野・高松・倉敷・岡山・赤磐市の20歳~70歳代までの44名の方が参加された。
導入の講演では、分かりやすい話の中で、まちづくりには色々な手法やアイデアがあること、無理せず自然なスタイルで取り組むことが長続きの秘訣かなというようなことなどを学んだ。
ワークショップでは、殆どの人が初めての経験「ワールド・カフェ形式」によるグループ討議を行い、初対面同士のコミュニケーションや創造性に富んだ会話を楽しむことができ、大いに盛り上がった。



「うのずくり」ニュースフラッシュ!
「朝市ごはん会」で盛り上がり!
今年2月12日(日)からシーサイドマートで朝市ごはん会が始まった。毎月第2日曜の午前10時から開かれている。当初は、知名度も低く例年にない寒波のせいもあってかやや出足不調だったが、4月8日には12名が参加、美味しい瀬戸内の魚に舌鼓を鳴らしながら、楽しい話に盛り上がりを見せた。

「ずくりランチ会」で、おもてなしの修行!
料理が好きな方やおもてなしの好きな方、人の交流できる場をつくりたい方等が、ギャラリー・サンコアのスペースを一定時間利用し宇野に食事空間を開く計画の第1歩。
秋山恵さん(東京都出身のフード・コーディネーター)は、これをきっかけに今年9月、ギャラリー・サンコアでのイベントが決定。参加者の石川さんもそういった空間をつくりたい方の一人で、これからうのずくりとしてお手伝いしたいと言われている。



◎福武教育文化振興財団から、3ヶ年連続助成を受ける!
1月末に申請書を提出していた財団法人福武教育文化振興財団から、「うのずくり」の活動を応援したいということで、3ヶ年連続助成認定という名誉ある内定をいただき、3ヶ年の活動計画書を3月末に提出した。24年度は「ずくりワークショップ」、25年度は「クリエイティブ・マーケット」、26年度は「うのきゃん」を軸に計画した。

◎来訪者さまざま!
・3/6、元サッカー選手・高瀬敦之さん、東山ビルに興味
高瀬さんは、子供達にサッカーを指導するほか、ヨーロッパ・アジア等、海外に支援の仕事や講演会の企画、交流の場を作るアクティベーター。岡山ビブレ裏にて BARYUNPYO を営んでいる奥さんの実家が田井にあるそうだ。
・3/6、玉野市内在住の方に空物件「喜楽」「和気さん宅倉庫」をご案内
飲食店の店舗物件として下見をされたOさんには、自分の希望する条件とは異なっていたようで断念された。
・3/7、読売 Life 中国版の取材を受ける
うのずくりの活動や森委員長のガラス制作&作品(展覧会)が、移住者の西野さん、満田さんのプロフィールと共に中国4県(岡山・広島・島根・鳥取)の読売新聞社読者に配られる小冊子(5月号)で紹介される予定である。
・3/8、新庄村起業雇用創造協議会の取材を受ける
岡山県と鳥取県との県境に位置する人口1,000人の新庄村(岡山県に残る2つの村の内の1つ)では、定住人口の促進プロジェクト(新庄村雇用創造協議会)が立ち上がっている。その担当の方が、3月8日の山陽新聞(全県版)に掲載された西野さんの記事を見て「うのずくり」の存在を知り、取材に来られた。
http://www.shinjo-murazemi.net/knowledge/2012/03/post-2.php
・3/23、「KSB瀬戸内海放送」のテレビ取材を受ける
うのずくりの活動とそれに関係している作家の活動を取材させて欲しいと、KSB瀬戸内海放送から連絡があり、テレビ取材を受けた。満田さん、西野さん、それに森の作家活動と、築港商店街、宇野の街も取材された。放送は、3月26日(月)18:15~「KSBスーパーJチャンネル」だった。


<2012年の予定>
ずくりワークショップ(第2回&その後)
①第2回開催予定…5/12(土)10:30~13:00、於玉野市文化会館1Fホール
第Ⅰ部:トークテーマ「東京仕事百科と、仕事と人と、これからと」、
講師:中村健太さん(東京仕事百科代表)
 第Ⅱ部:ワークショップテーマ「宇野港界隈で 勝手に 新事業企画会議」
②第3回予定…7/8(日)13:00~、講師:今村ひろゆきさん(MaGaRi運営/まちづくり会社ドラマチック代表)
③第4回以降…2ヶ月に1回のペースで開催。講師の先生は、現在交渉又は人選中。

うのきゃん2012
①うのの散策…うのずくりの活動を知ってもらいながら宇野の街を散策、今後活用したい場所や方法を考える。
②まちづくりシンポジウム…各参加者同士がまちづくり活動の体験や課題を共有し、今後夫々に活かしていただく。
③うのキャンプ…互いに親睦を深め、コミュニケーションと絆を強める。

岡山芸術回廊
①概要…後楽園を中心とした岡山芸術回廊の、サテライト会場としての玉野開催をうのずくりが主催。
②内容…宇野港を一望できる東山ビルに、作品(商品)を展示販売する特設ショップを作る。
③特長…アートかどうかと言う前に、シッカリとした技術力で作り込みに拘わった作家の作品を集める。
④期間…今年11~12月の約1ヶ月


最後に、MMKの平成23年度活動実績と24年度活動方針案を紹介する。

◎平成23年度活動実績概要
 23/08/04 MMK設立総会(22名出席、提出議案10件を全員異議なく承認)
 23/08/08 MMK設立認証申請書提出、受理
 23/08/14~15 「うのきゃん2011」開催
 23/10/08 ジュエリーデザイナー/西野さん一家、田井の古民家に移住、工房兼店舗に改装
 23/10/26 第1回理事会(8名出席、議案4件〈会員増強、事務所、備品、収益構想〉)
 23/11/04 鞄作家/満田さん一家、宇野に移住、駅東創庫で工房兼店舗を開業
 23/11/17 県の第605号特定非営利活動法人の認証
 23/12/01 法人登記(=法人成立の日)
 23/12/23 「宇野の大掃除」実施
 24/01/10 第2回理事会(10名出席、議案7件〈助成応募、契約関係、会員増強、規程関係〉)
 24/01/15 「MMK広報-第1号-」発行
 24/02/01 うのずくり実行委員長との業務委託契約締結
 24/02/12 「うのずくり朝市ごはん会(第1回)」開催
 24/03/02 「ずくりワークショップ(第1回)」開催(41名参加、仏生山温泉/岡昇平氏を招聘)
 24/03/09 「中国ろうきんNPO助成金制度」の2次審査プレゼン、結果は不採用
 24/03/11 「うのずくり朝市ごはん会(第2回)」開催
 24/03/21 「経産省戦略的補助金申請」の審査プレゼン
 24/03/29 玉野市中心市街地活性化基本計画申請認可
(平成24年度、これまでの活動実績)
 24/04/09 「経産省戦略的補助金申請」採択の通知
 24/04/08 「うのずくり朝市ごはん会(第3回)」開催
 24/04/09 「クリエーター交流拠点・運営事業」戦略的補助金申請の採択通知
 24/04/12 第3回理事会(10名出席、議案3件〈活動方針、総会日程、年会費〉)

◎平成24年度活動方針案
 (今年度基本方針) 組織を固め、確実な運営&フォローアップを実現しよう!
・活動目標(年度末までの数値目標)
(1)移住者の確保目標:3組6人(累計5組10人)の移住者確保
(2)ずくり訪問者の確保目標:20組以上
(3)移住者用住居の確保目標:10件確保(現在8件)

・うのずくり支援の組織体制確立強化
(1)支援者となる会員の増強:個人賛助会員、法人正会員&賛助会員の加入促進
(2)うのずくり支援の財政基盤確立:戦略的中活支援事業の自己資金と実行委員長給与の確保
(3)うのずくり実行委員会組織の強化:新入会員確保、既移住者との連携

・戦略的中活支援事業(交流拠点の設置運営)の円滑な推進
(1)交流拠点の建設計画:基本コンセプト→運用計画→建築&設備仕様(別添概案参照)
(2)交流拠点の運営方針:交流拠点機能、魅力ある空間、リピート欲求

・目標達成のための情報伝達と広報強化
(1)うのずくりHPの改善充実
(2)MMK HPの制作
(3)FB等SNSの有効活用
(4)MMK広報誌の継続発行

この写真は、上記方針を議論した、4/12(木)開催の理事会後に行った懇親会の風景である。因みに会場は、「よし将」改め「どてきりや」の3階「梅の間」です。

2012年2月17日金曜日

「玉野みなと芸術フェスタ2012企画検討会」(第2回)

2月8日

今回から、新たなメンバーとして小坂さんに参加いただくこととなった。
これまでも、狂言の宇野公演を行ったときの司会などでご活躍いただいた方だが、アイディア豊かな方なので、企画段階から参加いただけると、芸フェスの内容がよりレベルアップすることだろう。
議論の概要を以下に報告する。

1.報告事項
(1) ずくりワークショップ
 a. 趣旨:新しい文化を地域に根付かせている方々をお招きし、夫々の先達の経験を手本としてこの地域内に共有すること。さらにその方々及び参加者同士の横断的交流を図ること。
 b. 手段・目標:講演会ではなくワークショップを行うことで、カルチャークリエイティブな事例を知りそこでの問題に向き合い、繰り返し体験することで柔軟な思考を手に入れこの地域に反映すること。
 c. 開催:2カ月おきに年6回、第1回を3/2(金)18:30~21:00、仏生山温泉/岡昇平氏(1,500円)。
2回目以降も、魅力的な先達を招聘予定。

(2) 北川フラム氏打合せ
 a. 日程:2/2(木)、市と北川氏の会議に森&清水が参加。
 b. 打合せ概要:
 (a) 主たる打合せ内容は、瀬戸内国際芸術祭2013に対する玉野市の体制について。
 (b) 北川氏の狙い:作品展示より、地域がどう変わるか、どう交流できるかに重きを置くこと。
 (c) 芸フェスの取組説明と反応:北川氏は、芸フェスの話より狂言の話に食いついてきた。国際芸術祭にとっては地元作家の展覧会より狂言の方が効果的か。

(3) 近く開催予定のイベント紹介
 a. 野﨑家のお雛様展:1/31~4/1於野﨑家旧宅(500円)
 b. 野﨑家コレクション:2/24~4/8於岡山県立美術館(無料)
 c. 香川県文化芸術新人賞受賞作家展:2/18~3/4於香川県立ミュージアム(無料)
 d. 講演会「不幸になるものの考え方」:3/3(土)13:30~於玉野産業会館3F(講師/土屋賢二)(無料)
 e. 第3回瀬戸内海フォーラム:3/3(土)13:00~15:00(講師/国交省港湾局長・山縣宣彦氏、瀬戸芸総合ディレクター・北川フラム氏)、事前の参加申込必要(無料)。

(4) 芸フェス2011参加者概数(資料配付)
 a. イベント参加者数:1,040、スタッフ数:828人、合計:1,868人

2.助成申請&年間スケジュール
(1) AAF応募:
 a. 応募概要:主催「玉野しおさい狂言会(旧狂言講座)」、企画名「塩の里の狂言風土記」で応募。
共催/芸フェス実行委&田賀屋狂言会、後援/スマイルネット玉情協ほか。
 b. 開催場所:
   会場1/牛窓を第1候補として「塩」をキーワードとした狂言公演を開催。
   会場2/山田専売局庁舎にて狂言ワークショップを実施で計画の方向。
 c. 日程:AAF開催期間6/16~10/14の間で開催。第1候補9/29~30とする。
 d. 検討事項:候補となる場所での実現性について、3月頃までにリサーチを行う。

(2) 福武教育文化振興財団(資料配付):
 a. 応募概要:地域文化創造部門として、アート/アーティスト交流プログラム「南北楽観主義-せとうち-」をテーマに、南北合同作品展、シンポジウム、瀬戸内文化の調査、瀬戸内楽観クルーズを実施し、南北相互の交流の活発化と活動のレベルアップを期待することとして応募。
 b. 開催時期&内容に対する意見:
 (a) 開催時期:原案11月上旬に対するコメントは下記。
 ・ 問題点:「岡山芸術回廊」(※)の会期が11/3~12/2であり、南北楽観主義を11/上に開催するのは困難。又、10月以前はAAFがあり、これも難しい。
 (※)「岡山芸術回廊」・・・県主催の芸術イベントで主会場は後楽園。サテライト会場として玉野地区で開催。玉野地区会場の計画をうのずくり実行委員会が行い、窓口を山田が担当している。
 ・ 解決策:年明け開催で計画する。⇒宇野展1/12~20、高松展1/26~2/3で調整する。
 (b) アーティスト・イン・レジデンス:
 ・ 上記芸術回廊の一環として、アーティスト・イン・レジデンス(ドイツ作家の滞在制作)が10/中~12/3の期間で計画されている。⇒制作場所として文化会館会議室を候補の一つとしたい意向。
 ・ 上記開催の詳細については、今後要調整。
 (c) 瀬戸内楽観クルーズ:
 ・ アートを対象としたクルーズでは、乗船客を見込めないのではないか。昨年のクルーズは、進水式と言う目玉があって乗船客を確保できたと思う。⇒昨年実施の「たまの西海道」を検討する。
 ・ 高松に向かうクルーズは、昨年実施したフェリーを使ったアートツアー方式がいいのではないか。
  ⇒クルーズ又はアートツアーの実施内容について再検討する。
 (d) その他のイベント
 ・ 子どもを対象にしたもの、参加して面白いと感じられるものなどを検討したい。
 ・ 次回、議論のテーマとする。

(3) 年間スケジュール:(資料配付)
 a. 年間スケジュール:狂言公演9月末、南北楽観主義1月中~2月初め。
 b. イベントカレンダー:観光協会のマリンフェスティバル・イン・たまの2012に、締切り2/10までに情報提供。
  ⇒上記スケジュール案で通知する。

3.今後の予定
 2/19(日)14:00~ 映画会「ひかりのおと」(文化会館1F)
 2/22(水)13:30~ 中活運営会議(商工会館4F)
 2/26(日)14:00~ 狂言講座(文化会館3F)
 3/ 2(金)18:00~ うのずくりワークショップ(文化会館1F)
 3/ 3(土)13:00~ 第3回瀬戸内フォーラム(山形宣彦氏、北川フラム氏)(マリンホテル2F)
 3/ 3(土)13:30~ 土屋賢二氏講演会「不幸になるものの考え方」(産業会館3F)
 3/11(日)14:00~ 狂言講座(文化会館3F)
 3/14(水)18:30~ 第3回企画検討会(文化会館2F)

以下、既に始まった或いはこれから始まるイベントチラシを紹介する。

2012年2月16日木曜日

ずくりワークショップの開催(ご案内)

2月16日

うのずくり実行委員会では、今年3月から1年間に亘り、隔月に 6回連続の「ずくりワークショップ」を開催する運びとなった。
このワークショップは、岡山、香川、大阪、東京等で様々な「作り」活動を 実践されている方々をお招きして、その方々の経験やノウハウを学び、 情報を共有し、コミュニケーションを深めることにより、多面的で柔軟な 思考を手に入れ、これまで見えなかった問題に気付き、新たな町づくり に資することを目的としている。
第1回は、高松仏生山温泉(http://busshozan.com/ )いる岡昇平さんを講師に招いている。
第2回目は、東京仕事百貨(http://shigoto100.com/ )中村健太さんに来ていただくことになっている。
第3回目以降も、その道の達人に来ていただけるよう、交渉中である。

何れも、カルチャークリエイティブな「作り」を実践されている方々である。 必ず楽しいワークショップとなり、今後の宇野の町づくりに有益な体験 となることだろう。特に日頃、町づくりを実践している或いは興味をお持ちの方々には、 是非とも参加されることをお勧めする。

開催日程は、下記の通り。
1.日 時:3月2日(金)18:30~21:00(第2回は5/12(土) の予定)
2.場 所:玉野市文化会館1Fホール
3.定 員:30名(先着順)
4.参加費:(前売券)1,500円、(当日券)2,000円
  (お得な6回通し券)7,000円
5.申込先:うのずくり実行委員長/森さん TEL:0863-31-1388
  Eメール:unozukuri@gmail.com
  URL:www.unozukuri.com

詳しくは、下記広報チラシを参照されたい。

ここでちょっと、仏生山温泉について紹介したい。
このワークショップを計画するために、1月19日、うのずくり実行委員長の森さんを中心に5名のメンバーが仏生山温泉を訪ねた。
この温泉は、内湯と露天風呂(ヒノキ、ヒバ)があり、すべての浴槽が源泉かけ流しである。泉質は、ナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉(療養泉)であり、旧温泉名での泉質は美人の湯といわれている重曹泉である。つるつるとした感触が肌に心地いい。入浴料は600円と安いし、浸かりに行って良かったと思える温泉だ。
この温泉は、岡さんの親父さんが10年程前に個人で掘り始め、見事掘り当てられたそうだ。
東京の設計事務所みかんぐみに勤務していた岡さんは、地元・高松に戻り、この温泉を設計し、今は番台に立ちながら、仏生山まちぐるみ旅館を作るプロジェクトの代表として頑張っておられる。
仏生山には、法然寺という大きな寺院がある。昨年大きな五重塔も建ち、凄い立派な寺だった。

2012年2月15日水曜日

「玉野みなと芸術フェスタ2012」企画検討会(第1回)

1月11日

今年10年目を迎える芸術フェスタの企画検討会がこの日に行われた。
今回から狂言講座の成山さんなど新しいメンバーが入り、10名の参加者があった。この日は、新年ということもあり「玉野みなと芸術フェスタ2012」の基本方針について議論した。特に応募しようとしている助成金の申請が1月末と言うこともあって、その内容について多くの時間を割いた。
一つはアサヒ・アート・フェスティバルであり、もう一つは福武教育文化振興財団である。
以下、その議論の概要を、やや遅ればせながらこのBLOGでも報告する。

1.アサヒ・アート・フェスティバル(以下AAF)応募:
a. AAF募集要項(抜粋)
 11回目を迎える「AAF2012」では、このフェスティバルを一緒に作りあげていく企画を募集している。
AAF は、各地のアートプロジェクトの発展をサポートし、加速させるような「触媒」、又AAF自体もその成長や発見を通して変化する「運動体」を目指す。AAF2012でも、参加プロジェクト間にネットワークを構築し、情報共有やアイディアやノウハウの交換、交流の場を作り出す。全国各地で新たなアートプロジェクトを企画している市民グループやアートNPOの応募を期待している。

(a) 対象となる企画(アートプロジェクト)
・ 地域資源(自然環境/建物・町並み/歴史など)を再発見し、その魅力を引き出すとともに、新たな価値を創造し付与するもの。
・ 参加者間のコミュニケーションを促すなど、創造のプロセスを重視し、社会におけるアートの存在を革新するもの。
・ 独創的で先駆的なプロジェクトで、音楽/美術/演劇/ダンス/映像などのジャンルを問わず、新しい表現や手法、参加のあり方を創り出すもの。及び従来の芸術ジャンルを横断し、超えようとするもの。
・ 各地のアートプロジェクトと積極的に交流することで、自らのプロジェクトをさらに豊かにし、世界的な視野をもってアジアを含むAAFネットワークをともに創り上げていこうとするもの 。

(b) 応募資格:市民グループ、アートNPO又はこれに準ずる任意団体
・ 営利を目的としない芸術文化活動を行っている組織であれば、法人格の有無は問わない。
・ 何らかのアート活動を目的に組織される実行委員会や、芸術文化を含め地域で活動している市民グループなど
・ 複数の団体が連携して、一つの企画をご応募いただくこともできる。
 ※ この公募は、たんなる助成金プログラムではない。
 ※ AAFの推進する市民グループ、アートNPOなどの全国ネットワークに主体的に参加してくれる企画を歓迎する。

b. 応募内容案:
(a) 企画案概要
・ 基本コンセプト:コミュニティ活動との連携が重要であることから、山田地区で始まった「塩」の新作狂言に焦点を絞る。
・ 企画の目的、趣旨:「塩」をキーワードに各都市で狂言の公演を行い、新たなコミュニティの構築の過程を追求、価値創出の可能性を探る。各地域で得られる経験や新たな価値を地元に還元する。
・ 基本スケジュール:AAF活動期間の6~10月を基本に計画する。
・ 確認事項:昨年まで開催してきた「たまの東街道」のイベントは、原則として今年は実施しない。

(b) 意見
・ 主催・共催:「玉野狂言講座」を主催、「芸術フェスタ実行委」を共催として応募してはどうか。
・ 主催者:「・・・講座」という名称は団体名としてはどうか?「・・・狂言会」というような名称が望ましい。
⇒ 名称案:「玉野しおさい狂言会」はどうか?⇒提案として採用する。
⇒ 採用理由:「しおさい」は、専売局庁舎の現名称にもなっており、狂言講座発祥の山田地区を連想させる。「しお」が入っているので「塩」を扱う団体名として相応しい。市外&県外にも情報発信することを意識するなら「玉野」は外せない。
⇒ 名称決定:「玉野狂言講座」に最終決定してもらうべく、この会議では提案とする。
 ※ その後、1月22日に開催した狂言講座で、この名称「玉野しおさい狂言会」が承認された。
・ 狂言の台本:「野﨑武左衛門」や「玉野の歴史物」に拘らず、今後は「塩」や「浜子」等、塩田・製塩・労働者などに纏わる創作狂言を、新たに加えてゆくようにする。
・ 応募書類作成・提出:提出された企画案を元に、田賀屋狂言会とも相談して作成し、期限の1月末までに提出する。

2. 南北楽観主義-せとうち-」
a. 基本方針:宇野地区でのアート活動として、昨年に続き「南北楽観主義」を開催する。

b. 開催の意義に対する意見:
(a) 南北関係の経緯と反省:
・ 一昨年の瀬戸内国際芸術祭(以下「瀬戸芸」)では、岡山と香川両県の断絶が甚だしかった。
・ 昨年、芸フェス初の企画として、宇野-高松の交流アート展「南北楽観主義-せとうち-」を開催、反省すべき点もあったが、全体としては比較的評価も高かったし、成功を収めた。
・ 昨年、県北の勝山地区で今後の南北楽観主義を意識して出展したが、勝山では地区のまちおこしが主たる目的であり、南北の交流を意識していないように思われる。
⇒ 今年も、-せとうち-を中心とした宇野-高松で開催すべきである。
・ 今年から、玉野市も「瀬戸芸」実行委員会に加わって一員になっている。
⇒ 高松との交流を行うなら、瀬戸芸を意識すべきである。

(b) せとうちを挟む両地区の関わり:
・ 「瀬戸芸」があることが大きな要因であり、「瀬戸芸」と何らかの形で連携を図るようにすべき。
・ 歩調を合わせるのはいいが、「瀬戸芸」ありきでいいのか。独自の活動としてもいいのではないか。
・ 昨年「南北楽観主義」開催の結果、あきやましんご氏がサンコアで2月に展覧会を開催するようになったのは一つの成果。

(c)今年のテーマ/開催内容
・ 具体案:展覧会/屋内又は屋外、ガイドマップ作成/アート展の告知、シンポジウム開催/交流重視等の意見が出たが、決定には至らなかった。
・今後の検討:1/27(金)18:00~、高松の千葉さん宅で高松メンバー(高松市美学芸員にも参加要請中)との交流検討会を行う。⇒参加希望者はナビゲーターに申し出る。

(d)福武財団への助成申請
・ 「南北楽観主義」を主としたテーマで申請する。提出期限1月末

3. 活動方針&年間スケジュール:
a. 活動方針:提案された基本方針案(下記)に沿って具体計画を立案する。
b. 年間スケジュール:AAF助成を頂いた前提のスケジュールであるが、基本的には提出案に従って進める。

芸フェス2012開催基本方針
<基本方針>
1.企画の内容をより充実したものとするために、今年度のイベントは、「南北楽観主義」展、新作狂言の公演、タマノクルーズの3つに絞って開催する。
2.「南北楽観主義」展は、より広範な地域との交流展を企画する。
3.新作狂言の公演は、アサヒ・アート・フェスティバルの企画コンセプト及びスケジュールに従った展開を行う。
4.タマノクルーズは、昨年に続き、西部方面へのクルーズを企画する。
5.助成金申請は、できるだけ多くの可能性を探る。
<イベント開催方針>
1.人が呼べる、人が来て楽しめる内容及びスケジュールとする。
2.メディアを最大限活用する。
3.WEB発信を行う。
4.街全体を巻き込む工夫を行う。
5.子どもたちの参加も促す。そのためにワークショップなどを企画する。

2012年1月4日水曜日

「東街道十三次探訪ラリー」の紹介人物

1月4日

昨年11月12&13日に開催した「東街道十三次探訪ラリー」で採り上げた13人のプロフィールを紹介する。ラリーの拠点となった13ヶ所に設置した看板の原稿である。
夫々の人たちは、各時代にこの地区に影響を残されたが、共通しているのは、みなよく勉強され周りの人たちにそれを教導されているということだ。
教導などということは中々できない業だが、勉強だけなら誰でもできる。今年は、より以上に勉強の年にしたいものだ。

増吽僧正(ぞううん そうじょう)
室町時代の僧侶。貞治5年(1366)に讃岐国大川郡与田村に生まれ、幼時から神童の誉が高かった。
与田寺で研鑽を重ね法印の位を得た後、高野山に上って真言の秘奥を極めた。その後、僧正の位に進んだが、後年その地位や名誉を捨て諸国の寺院の復興に尽力した。由加の蓮台寺、八浜の金剛寺、日比の観音院などを復興しては弟子に任せ、最後に山田の無動院の復興に尽くしていたが、遂に死期を予期して入定したといわれ、その入定の石棺が無動院に残されている。東児地方に於ける真言宗寺院が輪番で毎年一回開く聴聞などもこの増吽の創始にかかるものである。

高心(こうしん)
南朝の武将。高心は南北朝の時期の南朝の武将。
楠木正儀(マサナリ)に仕えたが、直島に隠棲した後西湖寺に転居、風月を友として余生を楽しむ傍ら、近在の人々を教化しこの地で没したとされる。墓は砂岩製で高さ2.4m、珍しい形式の笠塔婆として注目される。又、高心の没年の至徳は北朝の年号である。これについては諸説あるが、南北朝末期北朝の世になり南朝の人間であることを隠したためであるとか、主君の楠木正儀が北朝に帰順したことがあるためとも言われている。高心の墓は、昭和34年(1959)3月、岡山県指定重要文化財に指定された。

石川 善右衛門(いしかわ ぜんえもん)
慶長12年(1607)~寛文年(1669)。岡山藩の郡奉行・普請奉行。
父は慶長8年(1603)備前で池田利隆に召し出されて仕えたが、その後国替えで因州鳥取へ移る。備前国で生まれた善右衛門は、寛永9年(1632)再び備前岡山に帰る。寛永19年(1642)に児島郡の郡奉行になり、幕府に差し出す絵図の作成に携わる。その後普請奉行となり、明暦2年(1656)在来の池を拡張して木見の森池を造る他、長尾の天王池等、郡内の多くの溜池を築造、改修した。山田の牛石池、二子池を造り、寛文4年(1664)には大池の拡張工事を行う。文化3年(1806)瑜伽大権現の境内に頌徳碑が建つ。
 
野﨑 武左衛門(のざき ぶざえもん)
寛政1年(1789)~元治1年(1864)。倉敷市児島味野の人。塩田・新田開発者。塩田王と呼ばれる。
文政9年(1826)頃、塩田開発を決意、文政11年(1828)味野村と赤崎村に約48haの元野﨑浜を完成。続いて日比地区に11ha余の亀浜塩田を完成。その後、東児島の海浜に着目、天保12年(1841)73ha余の東野﨑浜を完成した。嘉永4年(1851)には、藩命による703ha余の福田新田開発に成功、福田新田5ケ村大庄屋役を拝命した。武左衛門の塩田経営で特筆すべきは、当作歩方制を採用し、全塩田を直営化して経営の効率を上げ、安定した塩田・耕地経営を行ったことである。元治元年(1864)死去に際して遺した「申置」7ヵ条は、家産管理と運営、地域との共生等について公利優先・衆議尊重等の指針を示した。

西井 多吉(にしい たきち)
文化12年(1815)~明治32年(1899)。倉敷市の人。児島、野﨑家家僕。
15歳から児島郡味野村の塩田王野﨑武左衛門・武吉郎の二代に67年間にわたって仕え、福田新田の開発や塩田の開発、塩田経営や小作地管理に手腕をふるい、野﨑家を西日本随一の塩田地主・耕地地主に飛躍させた。明治26年(1893)その功により緑綬褒章が下賜された。

荻野 独園(おぎの どくおん)
文政2年(1819)~明治28年(1895)。玉野市下山坂出身。
幕末~明治時代の臨済宗の高僧・京都相国寺住職。文政9年(1826)8歳にして児島郡郡村の叔父掌善寺鎮州の弟子となり、13歳の時、出家。元規と称した。天保7年(1836)18歳のとき儒学を学ぶ。同12年(1841)臨済禅を学び、安政3年(1856)心華院住職、明治2年(1869)相国寺住職に就任。明治5年(1872)、教部省が置かれ神仏合併大教院設置の折、教導職に就任。さらに大教院長、又臨済・曽洞・黄檗3宗の総管長に任じられた。明治23年(1890)72歳の時『近世禅林僧宝伝』を上梓。明治27年(1894)退いて京都東山銀閣寺に自適。昭和54年(1979)、出身地の玉野市上山坂に顕彰碑が建立された。

伊藤 立斎(いとう りっさい)
文政5年(1822)~明治18年(1855)。倉敷市玉島勇崎出身。
医者となって名声をあげた。明治初年、児島郡山田村有志の要請を受け、家を長男に譲って同村に移住、歓迎された。医業の傍ら、地元子弟に四書五経或いは習字などを教えた。明治6年(1873)、山田小学校の雇助教に任ぜられたが、翌年5月職を辞し、以後もっぱら医業に従った。「医は仁術なり」との姿勢で、村人の尊崇を受けた。墓石銘が白石宝殿場にある。

三宅 三郎(みやけ さぶろう)
天保13年(1842)~明治19年(1886)。玉野市山田出身。岡山藩の勤王家。
安政4年(1857)から山田村名主代勤となり、文久3年(1863)まで勤めた。この間、醬油醸造や穀物商、塩田経営を行った。その一方、尊皇の志が厚く、岡山藩の尊攘派指導者牧野権六郎らと交わり、慶応3年(1867)には、牧野とともに上京して大政奉還を実現する活動に協力して働いた。11月に帰藩、休養していたとき、村民による東野﨑塩田益米の増額要求が起こり、野﨑家と地元の仲介役を引き受けたりしたが、その後、岡山県の警察関係の官吏に採用され山田村を去った。墓石銘が白石宝殿場にある。                             

東 作平(ひがし さくへい)
弘化4(1847)~昭和4年(1929)。玉野市後閑の人。
東氏9代作平は、16歳で大薮・後閑の名主となり、明治維新とともに戸長となった。明治10年(1867)には鉾立・山田・胸上・波知等14ケ村の戸長を勤める。教育熱心で明治7年後閑小学校を創立、同12~20年、名誉校長として子弟の訓導に当たる。町村制施行後、郡会議員・村会議員等を勤め、又所得税調査委員・徴兵参事官・済世顧問等、政治に携わること50年、この間至誠を以て貫いた。号を西湖と称し、書画を嗜み、謡曲に堪能だった。又、若くして剣を学び、その技は近郷に聞こえていた。鳥打峠の出崎入口の所に、開鑿記念として大正5年(1916)に作平氏が建てた石標がある。

岡 武三郎(おか たけさぶろう)
安政5年(1858)~明治37年(1904)。岡山市出身。教育者。
読書を好み温知学校(岡山県師範学校の前身)を卒業して、明治8年(1875)、山田村の四十九番小学校に赴任、同13年(1880)無動院山に校舎が新築され養才小学校と改称された。同34年(1901)には同尋常小学校の校長に就任。翌年、校舎が現在の山田小学校に移転されたが、明治37年(1904)現職のまま46歳で病死した。教師在任中、山田、胸上に青年夜学会を設け、20余年毎宵出掛けた。明治45年(1912)教え子たちは、元の小学校のあった無動院山に石碑を建て、その遺徳を偲んだ。

春藤 武平(しゅんどう ぶへい)
明治17年(1884)~昭和43年(1968)。玉野市八浜出身。塩業家。
明治32年(1899)、東児高等小学校卒業後15歳で東野﨑支店に入り、製塩技術の改良に取り組む。大正7年(1918)、34歳のとき野﨑台湾塩行で天日製塩法を実地研究。昭和元年(1926)東野﨑浜に枝条架濃縮設備を設置、改良。昭和9年(1934)には独特の枝条架式濃縮装置を考案、これを入浜式塩田の周囲に構築した。昭和19年(1944)、枝条架と斜層貫流を結合した流下式試験塩田を鉾立村番田に設け、企業化に成功。昭和33年(1958)には全国の塩田が流下式に転換、過酷な重労働の軽減と生産力の飛躍を達成した。昭和23~41年、内海塩業㈱取締役社長に就任。昭和40年勲五等双光旭日章を受賞。

北畠 謙三(きたばたけ けんぞう)
明治19年(1886)~昭和43年(1968)。玉野市山田の人。
幼にして漢学を学び、一生を通じ漢詩を愛読し自らもよく作詩を楽しんだ。明治40年(1907)、岡山師範学校を卒業、大正4年(1915)から山田小学校長に赴任。日夜勤務を続け、村をあげての教育に専念した。その後、村民より推されて村長の椅子に就く。在職11年の間、村財政の確立、交通運輸の改良、教育の充実に力を注いだ。著書に『岡山県古建築図録』、『山田村誌』、『東児社寺物語』、『玉野史跡社寺案内』等がある。太田地蔵堂北側に謙三氏が揮毫の動植物の霊を祀る有情供養塚がある。

野嶋 島叟(のじま とうそう)
明治21年(1889)~昭和49年(1974)。山田の人。書家・俳人。書道の号を島叟、俳号を島人と号す。
岡山中学校を卒業後、明治42年(1909)上海の東亜同文書院に学ぶ。卒業後、満州鉄道に勤務。佐藤助骨の影響で俳句を志し、大正13年(1924)渡辺水巴に入門。書は小学校時代から村田海石に学び、同文書院時代は初唐の書家・欧陽詢、北宋の書家・米芾らの書を学ぶ。拓本の収集に努め、六朝の造像記や摩崖碑によって開眼、多くの中国の文人と交流、清朝の遺臣・書家・鄭孝胥の健筆に刺激され書作に励み、独自の書風を作った。句集に『羽族』、『霧雨』などがある。

※本資料は、2010年山田まちづくり講座が作った資料「山田・東児地区ゆかりの歴史人物」を元に、たまの東街道イベント「東街道十三次探訪ラリー」の看板用として、編集したものである。

写真は、各人物に纏わる拠点の石標や建物である。