2012年6月19日火曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(8)

第8話 血祭り

影が近づいたと見れば吾一である。
「長兵衛ッ、貴様、仲々寿命に未練のある奴だナア。村の祭りの時もいい具合に伸ばしてやったが、未だいじいじしていやがったナア。」
舟乗りの甚助が近づいて、彼の肩先をゴンと突いた。
長兵衛が恐々に自分の周りを見廻すと、何時の間にか十二、三人の顔見知りの若連中が取り囲んで、冷たく無言で彼を見詰めている。
彼は全身の神経を奪われたように、腰から下が他愛もなく震える。
// 逃れないのだろうか //
そんな考えがサッと走った。
// どうしてでも遁れなければならぬ //
そんな考えもサッと胸をかすめた。
「皆さん、どうか帰らして下さい。」
哀願しながら押え切れない心の焦操を、体に波打たせながら、皆の面を拝むように見渡した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
誰も一言も発しない。
言葉を発しないほど深い陰謀が隠されているのだ。
「皆さん、俺は悪いことはしてやしないんだ。早く帰して下さい。」
「喧しいッ。」
誰かが彼の腰のあたりをしたたか蹴りつけた。
恐しさと逃れること以外思っていない彼は、そこによろよろとよろめいてつまずいた。
皆の憎悪にやけるような視線が、彼の体一面にびりびりと射されるように感じる。
「こら長兵衛、いらぬ事は長く言いたくねえが、冥土の行き土産に一言知らしてやろう。実は今朝からこの若い者が全部寄り集って、貴様の大切なものを貰うことに決めたんだ。重ねて聞かしてやるが、貴様も村祭の折りくたばっていやがったらいいものを、塩田見張り旦那などの取りなしで、又痩せ命を継いでいやがるんだ。貴様がいちゃ俺達宇野の娘等に顔を向けられねえよ。これからナア、いいところへやってやるから安心しろ。」
沈黙の中で八藏が口を切った。
「八藏さん、許してくれ。俺は酒屋へ奉公のために来て、年期の間勤めようと一心になっているんだ。年期の奉公が済んだらどこへでも去ぬるから、否、今の今からでも俺は国の方へ帰るから許してくれ。」
長兵衛はひざまずいたまま八藏を見上げて心から言った。
「長兵衛、もう遅い。その心で往生の土産にしろッ。」
脛をまくると、ポイ、と八藏は長兵衛の肩先を蹴上げた。
「八藏さん、ひどいナア。」
後へぐらりと転げながら八藏を睨みつけて、ぐっと立上ると、そこの人垣の間を素早く逃れ出た。
不意を打たれて一同の者は、逃がすものかと長兵衛を追った。
// もう彼等につかまっては最後だ。どうしても逃げよう。ここから海岸伝いに池の方へ出て、そこから旦那さんに助けて頂こう!
// どうしてもつかまってはならぬ //
長兵衛はそう僅かに理性で感じたが、心は無二無散、火をかけられた鼠のように、海岸の磯慣松の間をどんどんと走りつづけた。
黒い影が十二、三、又それに劣らぬ速さで追って行く。
 
夜はすっかり拡がってしまって、西の方に遠く玉の塩田の灯がぼんやりと浮かんで見える。思い出したように吹く磯風が松の梢をザーザーと騒がせた。
一言に物を言わぬ十二、三の黒い影、緊張した空気が松の間から砂山へ、砂山から更に松原へ、松原から渚へ、渚から又砂山へ、長い長い遠浅の砂山を追う者と追われる者の影が点々として、夜目にもほの白い砂の上を走って行く。
海も暗い、島も暗い。左手は垂れ下った絶壁の崖。行く手の白い砂の浜に行く路はないのだ。
長兵衛は下駄も脱ぎ羽織も捨て、懸命に走ったが、後から追ってくる者の足も速い。この崖の突っ端を廻ると池の浦あたりになろう、と思った時、
「こらっ、長兵衛っ。」
一言息せき切って怒鳴ったと思うと、誰か跳び付いてきた。
「何をっ。」
跳びついた勢を利用して長兵衛が腰を上げて肩をかがめると、その男は前へスッテンと転んだ。
がくがくと足の胛のあたりまで喰い込む砂浜は、度々彼も転げそうであった。
//早くあの突っ端を廻って池の浦から本村へ、そうして主人の家に助けていただかなくちゃ//
浜も砂から石ころに変わって来た。
ころころとした石ころの渚は、砂よりもまだ走り難い。
後の間近でも走る者の足音が聞える。
もっと速く、速く速く、心はもう旦那の顔が見えるけれど、体はまだまだ長い浜辺を走っている。
目ざす突っ端の山崩れで、渚に岩のころがっている下まで来た時、
「あつっ?」
そこに転げていた水苔の附いた、小さな岩にけつまずいて、ころころと彼の体は波打際へ。
「しまったっ!」
立上ろうとした時は、後から来た者のために身動き出来ぬ程押しつけられていた。
「よくも長兵衛、逃げやがったナア」
「もう容赦はないぞ!」
「ええ、一思いに参らせ、参らせ!」
「長兵衛、貴様性根の太い奴だナア。」
拳骨と足蹴と罵りが雨のように彼の頭に降りかかった。
誰も彼も呼吸がととのわぬ程に乱れている。誰しもが根限り走り続けたのだ。
// もう駄目だ。//
彼は、抵抗しようにも起き上った時は、手も足も荒縄をもって縛りあげられていた。
「この野郎。」
「この野郎!」
拳骨や棒切れが飛んでくる度に、神経が痛烈な悲鳴をあげた。
頭といわず、顔といわず、胸のあたり腰脚、所構わず憎悪の一撃一撃が加ってくる。
長兵衛は、ぐったりとそこへ崩れた。
鼻からは血が抜けて口の中へどろどろと流れ込んだ。眼尻からも額からもみみず腫れや切れ口から、滲み出した血糊が顔一面を染めて、暗い中でもぞっと身震いする程気味悪かった。
「おい村の若連中、よくも俺をむごい目に遭わしたナ。俺は何にも言わねえけど、よく覚えておれ。長兵衛がこの眼を覚えておけッ‼」
彼はそこに立って、てんでに棒切れや縄切れをもって立っている一同を睨みつけた。
血走った白目、悪鬼の如き形相、一同はじりじりと後退りした。
「構わぬ。皆やってしまえ。」
八藏が下知すると、
「誰もかも腹の空くだけ叩け、叩け。」
又誰かが命令した。
一斉に思い思いの一撃が降りかかるあられのように・・・・・。
「ウム、ウム・・・・・・・。」
長兵衛は意識があるのかないのか、唸りつづけた。
頭の髪は乱れて額がこめかみをきたなく流れ、着物も帯もばらばらに引破られて、泥と砂と水苔がどろどろとしてくっついている。
「おい早く持って来い。簾と縄を。」
年量のが言うと、まだ若いのが、長い竹の簾を担いで来た。
「それだ。それだ。」
「長さん、悦べ。」
「ワハハ・・・・・・」
口口にはしゃぎながら簾の中へ長兵衛を巻込んでしまった。そうして簾が開かぬように、上からも荒縄をもって固く縛った。

簾の中では、苦しい無念そうな長兵衛の声がうめく。
「これが村の若者の血祭りと言うものさ。」
吾一がそう言って端の方をもたげた。
すると又、二三人の者がそれに肩を入れて、よいさと担ぎ上げた。
「ソラ行け?」
簾を担いだ者が駆け出すと、他の者はそれにつかまった。ワイワイと凱歌をあげて・・・。
一町ばかり引返すとそこは急流が渦巻く、岩の突端があった。
「ここから投げよう。」
「ヨーシ。」
「一つ、二つ、三つ。」
十二三人の者が手を掛けて、拍子を揃えて放り込んだ。
=ドブン=
なまぬるい水音があがったが、それは渦を巻いて流れて行く引潮の音にかき消された。

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