2012年6月14日木曜日

宇野情話 洲巻長兵衛(3)

 第3話 安否


塩田見張りの旦那の家に若い連中が押しかけてきた。
「旦那さん、見張りの旦那さん?」
彼らは口口に叫びながら、よろよろとして杉垣から門をくぐって玄関へやってきた。
「旦那さん、一杯呑みに来ましたよ。若連中が来ましたよ。起きて下さいよ。旦那さん・・・よー」
彼等は玄関のあたりで面白そうに、舌の回り兼ねる調子ではしゃぎ続けた。
「おい若え連中、今頃来たんか。もう夜も更けているじゃないか。もう今日は来ないかと思ってわしも休もうとしていたところだ。が、お前達が来たのならこちらへ上れ。」
旦那は彼等を見渡して優しそうに言った。
「いいえ、旦那さん、俺達ゃこの土間で結構ですよ。ここ・・・んな・・・に・・・酔っているんですからナ。旦那さん、ここ・・・んなに酔って・・い・・ますけ・・・ど・ゆ・・るして下せえ。」
若連中の頭八藏は旦那の前へよろよろと覚束ない足取りでいって、ろれつのまわらぬ舌でそう言ったかと思うと、さげてきた徳利を右手に持って、懐から盃を取り出して、なみなみと注いでぐっと呑み干した。
「お前達、その土間がよけりゃ、むしろでも敷いてやろうか。」
旦那は大きな腹を突出して懐手をしたまま、にこにこと笑い続けている。
「なーに、旦那さーん、心配ござんせんよ。俺達の酔っぱらいに筵も茣蓙もいりゃしませんや。この土間で上等ですよ。」
吾一はそう云って土間にぺったりと尻を据えた。
他の連中もそれを見て、一様にべたべたと土間に大きな胡座をかいた。中にはもういい氣持ちになって玄関の上り框に、いぎたなく寝ころんでいる者もいる。
そうして皆もてんでにさげてきた徳利を傾け始めた。
酔っぱらった他愛のない言葉が、怒るように泣くように叫ぶように、笑うように混じり合って騒々しかった。
こうして祭の夜には、村の若連中は塩田見張りの旦那の中へ、ご馳走をよばれにやって来るのが毎年の慣わしであった。
暫くして八藏が
「あの旦那さん、お加代は今おりますかナァ・・?」
奥へ入ろうとする旦那を呼び止めて言った。
「う・・ん、加代ももう休んでいる頃だが、何か用かい。」
「ち・・・ょっと、・あ・・わして頂きた・・・いの・・・・・で」
彼は旦那を見つめてよろよろと立ち上ろうとした。
「お前らがそんな酔ったざまで加代に会ったって、あの娘が怖れて逃げるさ。」
旦那はそう言いすてて奥へ行こうとした。
「旦・・・那サン・・・ほ・・んとですよ。聞いて下せえよ。ここれだけゃほんとですよ。ぜいぜい。」
割合に酔っていない甚助と吾一が立って旦那に願った。
「お前達の面白半分に加代を合わせられるか。もう少し酔が醒めなきゃ駄目だ。」
旦那はどこまでも冗談にして相手にしない。
「そそ・・・れじゃ、旦那さんにお願いしますよ。あの今まで八幡様で飲んでいましたが、癪に障ってきたから、酒屋の長兵衛の奴を皆して叩き伸ばしてきましたよ。いい気味でサァ。一言、加代に知らせて歓ばしてやりとうてきましたよ。ワハハハハハ・・・・。」
甚助はそこの柱に身を支えて、いじいじと体をくねらした。
「何ッ、長兵衛を伸ばした?殺したと言うのかっ? 冗談言うナッ?」
旦那は鋭く甚助を睨みつけた。
「旦那、嘘じゃごござ・・・んせんよ。ほ・・・んとのことですよ。」
八藏は徳利を持ったまま、どろんとした眼をむいて言った。
「何、ほんとだ!! お前達の酔っぱらいの言うことは真か嘘か分らん。冗談言わずにそこで飲んであかせよ。」
旦那は相手にしないようにしかも半信半疑で彼等を見つめている。
「旦那さん、嘘なら行って見て下さいよ。あの八幡様の社の中で一人ばっかり番をしていますよ。」
吾一は面白げに言うと、からからと笑った。
「旦那さん、俺達に、一番の邪魔者長兵衛に、腹が今夜出ましたよ・・・。ワハハ・・・・・・・。」
皆口を揃えてそう言った。
「こらっ? 手前達にもしそんな乱暴があったらこのわしが承知しないぞ。あんなに人の良い賢い長兵衛を痛めるとは、いいかっ?」
旦那の柔和な面にサッと剣が走った。
「あの、平生から長兵衛と仲の良い加代にも一言知らせて下さいよ、旦那さん。」
船乗り稼業の平助が、変な笑いを浮かべて旦那を見上げた。
「お前たちが口口に言ったので訳が分からん。わしが一寸行って見る。」
旦那はそう言い捨てて奥の間へ駆け込んだ。
先頃から寝ようと思っても、何かしらいじいじとして不安な加代は、漸く寝付かれたと思った頃、彼等がどやどやと騒いで来たので、又眠りを破られてしまった。彼女の寝る女中部屋は奥の方であったが、夜の静まった頃ではあるし、玄関の物声が手に取るように聞こえる。
あの若連中の中には私の長さんも必ずいるであろう。長さん、長さんと叫びたいような心がする。が、平生やさしい長さんのことだから、なんぼお祭だからと言ったって、あんな酔ってはいなさるまい。長さんの声は聞こえないけれど、八藏さんか吾一さんや甚助さんのように、あんな大きなどら声はなさらないのだ・・。
彼女はそう思って眠られない心を、秘かに悦びながら抱いていると。
「長兵衛の奴を叩き伸ばしてやってきた。いい気味だ!!なんていい気味なんだろう?」
その言葉を聞くと、彼女の今までの温い長兵衛を想う心は跳ね飛んでしまって、凝然とした冷たい世界が忽然とひろがってきた。彼女はいたたまれず寝巻のまま玄関の次の間に忍んできて全身戦慄を押さえながら一言も洩らすまいと、全霊の聴覚をもって彼等のどら声を聞いた。
彼等が他愛なく喋る気味良さそうな声も、彼女の身体には全身に針を打たれるように、気も遠くなる程驚いた。
// 長さんがもしかしたら殺されているのかもしれない //
彼女は寝巻の襟をぐっと握り寄せて、口唇をじっと噛んだ。
// 長さんが叩かれて気を失って倒れているのだ //
// 長さんが死んでしまやしないかしらん //
気が転倒しそうになるのを漸くこらえて、下腹に力を入れてみたけれど、恐ろしい不安が大きな胴震いになって、腹の底の方から、食い縛っている奥歯のあたりへ留め度もなく、かたかたかたかたと震わせてきた。
// あ、私はどうしよう。//
長さんも私のために苦労ばかり、村の人はこんなに私と二人の間を裂きたがるのだろう。どうしてだろう・・・・。
どんなにしたって離れるものか。死んだって離れやしないから。見ておいでよ。村の人たち。
// 長さん、死んじゃいけないよ。生きていて下さいよ。加代がこれから参りますから //
// あ、情けないこと // お祭だというのに・・・・

彼女はそのまま裏口の方へ駆けり出ようとすると、そこで旦那にぱったり出くわした。
「あら、旦那様? ご免遊ばせ・・・。」
「加代じゃないか。この夜中にどうしたんだ、取り乱してしまって。」
旦那は加代に何も知らせたくなさそうに、何気なくなだめようとした。
「旦那様、加代は、みんな今のお話を聞いていましたっ。」
泣こうに泣けない程驚いた彼女の心も、旦那の思い遣りの心を聞くと、熱い涙がそろそろと込み上げてきた。悲しまぎれに袂で顔を覆った。
「何、今の話を聞いたッ!!お前は休んでいたらいいのだ。そんな姿で出歩いていると風邪を引くぞ。」
旦那はどこまでも心配させまいとして、優しくそう言って歩き出そうとした。
「旦那様、どうぞ連れて行って下さい。お願いでございます。」
加代は泣きながら、旦那の羽織の袂にすがった。

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