2010年4月25日日曜日

サッキータイム ~「一つが一つのはた」テストWS~

4月25日(土)

今年の宇野・築港まちづくり講座は、ワークショップを主体として取り組んでいる。3月までは、今年の芸術フェスタで取り組もうとしている「まちなかアート展」の適当な展示場所の探索WSだった。
今日は、イラストレータのアオイアツシ君が取り組もうとしている「はたプロジェクト」の実験的WSだ。

「これからはたを作ります。」と挨拶をするアオイ君。初々しいが、子どもがほんとに興味を持ってくれるのかどうか。ともかく、始まった。

袋の中にあった背広を取り出した。まだ着れるが、「要らないので切ってもらっていい」という。何だか出来上がった品物を切ってしまうということに、非常な罪悪感を感じた。暫く逡巡していたが、意を決して背広の袖から切り落としていった。肩台という所は、分厚い布が重ねてある。背広も切り刻んで中をよく観察すると、色んな工程で作られていることがよく分かる。
後ろ身頃の中心線を、台紙になっている新聞紙の中央部分にくるように、ボンドやホチキスを使って貼り付けた。前身頃のポケット部分が新聞紙の端の方に来ている。旗の土台ができたところで、水性のポスターカラーで色を着け、景色を描いた。先ずは明るい玉野をイメージしようと真っ赤な太陽を象った。次に玉野は緑豊かな山と青い海が必要とばかり色を着けたが、どこにもありそうな子供の絵になってしまった。
そこでポケットの蓋部分を赤く縁取り、「ゆめまど」と書いた。「右のポッケにゃチュウインガム、左のポッケにゃ夢がある~♪」とひばりが歌ったのは、はるか昔のことだけど・・・
他のメンバーの作品も出来上がったところで、それらを並べてみた。
テーマの「一つが一つのはた」とは、夫々に作った「一つ一つのはた」をつなぎ合わせて、大きな「一つのはた」にするというコンセプトだが、「う~~ん」と唸るばかりだ。寧ろ万国旗にした方がいいんではないかという声が強かったようだが、果たして提案者のアオイ君はどう考えるのか?


因みに、アオイ君が考えたこのプロジェクトの趣旨などについて紹介しよう。若干長いけど・・・

プロジェクト企画書
タイトル:『一つが一つのはた』プロジェクト

「一つが一つのはた」について
子どもたちの作ったそれぞれ一つ一つの「はた」たちが、一はた、二はた、三はたとたくさんたくさん寄り集まって、大きな大きな『一つのはた』になる。そんな光景を思い描いてみてください。でっかいはたが見えるでしょう。
もちろん、子どもたち一人一人の目指すものは違うでしょうが、それら一つ一つの「はた」たちが、『一つなぎ』、『一まとめ』、『一かたまり』となって、これからの玉野を、日本を、そして世界を、「一つの心」につなぎ合うように作っていって欲しいなー。そんな願いを込めて、このプロジェクトを進めることとしました。
◆プロジェクトの概要
子どもたちに、思い思いの自分の「はた」を創ってもらいます。
創られたそれぞれの「はた」をつなぎ合わせ、バウハウスの大空間に『一つが一つのはた』を掲げます。
持ち寄った素材を使い、切って、貼って、塗って、自分の思いを「一つのはた」にしてみましょう。
◆プロジェクトの趣旨
子どもたちは、
「ぼくの旗を創ってみよう!」
と呼びかけるだけで、おそらくというよりもきっと個々に個性のある全く違ったものを創ってきます。
子どもたちは、メッセージ性の強い“自分自身”を持っています。
わたしたちは、そんな子どもたちにちょっとしたお手伝いができれば、と思っています。
旗は、所属するグループや自分自身を表現し、想いを伝える手段でもあります。
創り出される旗がどんなものになるのか想像もつきません。しかし、
「ぼくはここにいるよ!」
「わたしは、こんなわたしなんだよ!」
と、子どもたちは旗によって強く私たちに呼びかけてくるはずです。
そして、そういう自分たちの旗を子どもたちが創るためには、旗のサイズや形などの細かい制約をできるだけ無くすことがとても大事ではないかと考えました。それは、作品の形状が四角になったり、丸になったり。巨大だったり、小さかったりすることでも個々の子どもたちを表現しやすいと考えたからです。
そのため、今回の「一つが一つのはた」プロジェクトでは、子どもたちが持ち寄った素材で、下地から作っていってもらうこととします。
そんな子どもたちの個性がいっぱいつまった一つ一つの「はた」、それぞれに全く違った個性を持つたくさんの「一つのはた」たちを、7m×10mサイズの井桁状に結んだロープに、大きな「ひとつのはた」として繋ぎ合わせ、バウハウスの大空間に掲げます。
子どもたちの作ったそれぞれの「一つのはた」は、それぞれの個性を持っていたとしても、大きくなった『一つが一つのはた』は、まるでみんなの気持を一つにしたかのようにバウハウスの空間を覆ってくれるはずです。
子どもたちを「未来」と考えるならば、創り出す『一つが一つのはた』は、きっと『みらいの旗』となることでしょう。
『一つが一つのはた』のサイズは、市制70周年を意識して、7m×10mとしました。
私たちは、子どもたちの発想が未来の玉野を支えて行ってくれることを願い、このプロジェクトを企画します。
◆『旗』というツールを使うことの狙いと意義
1 旗には、情報の伝達手段、表彰のための手段(優勝旗など)、所属する集団の識別、集団のアイデンティティの拠りどころ(部隊旗など)、慶弔の意の表明(祝日国旗掲揚、半旗など)、目印、装飾などの機能があります。つまり、旗とは、自分自身の意思の表明が可能なものということができます。
そこで、私たちは「一つが一つのはた」を作ることによって、子どもたちが支える玉野の「未来」を表現したいと考えました。
2 旗は、「海」や「港」、「船」などとの関連も深く、玉野のイメージと繋がりやすいツールになるのではないかとも考えました。
3 又、未来を担う子どもたちに『みらいの旗』を創ってもらうことは、市制70周年を迎えた玉野市のイベントとしても、未来に向けて意義あることと考えます。
◆それぞれの旗の作品形態
1 家にある着なくなった古着、靴下、Tシャツなどを、各自自由に持ちより、切ったり、貼ったり、塗ったりして、思い思いに旗を創ってもらいます。(作品の形態の幅が広がるよう、布以外の材料もこちらで用意します。)
2 大きいものになる子、小さい方が好きな子。カラフル、モノトーン。又、旗とは思えないようなものになる子もいるかもしれません。できるだけ主催者側の考える制約を当てはめることなく、自分たちの「はた」を完成させて欲しいと願っています。

2010年4月21日水曜日

サッキータイム ~災害時に居場所を知る~

4月21日

「ちずらぼのちずらぶ」という楽天ブログに、昨年の読売新聞の記事とそれに対するコメントが有るのを、偶然に発見した。
http://plaza.rakuten.co.jp/chizulove/

1昨年の自治会活動で実施したことが、全く別の所で取り上げられ評価されていることが嬉しかった。中には、「やっちもねー」(岡山弁で、「どうでもいい。大したことない。」という意味)という人もいてがっかりすることもあるが、きっとイザというとき役立つとサッキーは信じている。
以下は、そのブログの引用である。
http://plaza.rakuten.co.jp/chizulove/diary/200906090000/

(引用はここから)
地震などの災害発生時に、自分の居場所が分かるようにと、玉野市の御崎シーサイド地区の住民が、地区内の生活道路に付けた名称を、道路脇の側溝のふたにカラースプレーで記している。
2004年に台風で住宅が浸水被害に遭うなどした経験がある住民たちの発案。
県内では例がないといい、独立行政法人「防災科学技術研究所」は「避難するにも、救助を頼むのにも居場所を知る必要があり、意義深い」としている。

御崎シーサイド地区は市南端の日比港に面し、碁盤の目状に約460戸が並ぶ。
同市では04年、台風で土砂崩れによって5人が死亡、地区内でも計17戸が浸水被害に遭った。
これを受け、05年に自主防災会が結成された。
当時の防災会長で自治会長も務めていた斉藤章夫さん(66)が、生活道に名称を付ければ、自分の居場所がすぐに分かると住民に提案し、06年4月に両会の総会で決まった。

地区の中央を南北に走る道を「御崎公園通り」、東西の道を「シーサイド中央通り」と名付け、ほかは方角や数字を組み合わせて「東1通り」「南2通り」などと表した。
自主防災会で通りの名称を書いた地図を作り、各戸に配布した。

だが、住民全体には定着せず、日頃歩いている道路に直接、名称を書き込むことにした。
市の了承を得て、08年6月から4か月かけ、住民が各道路の側溝のふたに約300か所、約30メートルおきに名称を記した。

今年3月には、地震発生を想定した避難訓練を行い、「北3通りから御崎公園通りを使って集会所へ」というルートを側溝のふたを見ながら移動した。
斉藤さんは「地図を持っていなくても避難でき、いざというときに適している。事故などが起きた際にも居場所を伝えやすく、便利なはず」と話している。

(読売新聞より)
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平時の災害学習にはハザードマップを見ておくことが重要だが、外出先で災害に見舞われた場合、場所の特定が避難にも救助にも有効であることは言うまでもない。

さらに、岩手宮城内陸地震の際にも問題になった「住民でない被災者」の存在も注目されている昨今、場所の特定は重要課題の一つである。

今回の取り組みは、住民であるないに関わらず、災害時に自分の居場所を知る上で非常に重要な手掛かりを提供してくれることになる。
こうした地名サインがハザードマップとうまく連携すればさらに効果は倍増するだろう。

地味ながらも有効な取組であり、今後広がっていくことに期待したい。
そしてこうした動きが住民サイドから出てきたことを大いに評価するべきではないか。
(引用はここまで)

写真は、2008年7月の暑いさなか、側溝の蓋に通り名称を塗装する地域住民たちと、塗装された名称の一部である。

2010年4月19日月曜日

サッキータイム ~MM会議一段落~

4月19日

昨年3~4月、MM会議における資料分類作業の進め方を検討し、5月11日(月)から実作業を始め丁度1年が経過した。毎週月曜日に8名のメンバーが集まり、約3時間ずつ3工数×50日=150工数をかけ、数百冊のアルバム、キャビネット一杯の文書、数万枚の絵葉書の分類・整理を行い、本日とりあえず一段落することができた。この後、ビデオ、絵画などまだまだ時間の掛かる仕事が残っており、これは凄いとうなるようなお宝も出てくることだろう。
このプロジェクトを推進してきてくれていた総務部/仲田部長が、4月末をもって三井造船から、マレーシャの新エネルギー(バイオエタノール)開発プロジェクトの合弁会社設立のために、クアラルンプール勤務に栄転されることとなった。今日は、そのための送別会が開かれ、この1年間の労をねぎらう会合ともなった。

写真上のダンボールは、整理を終えて余った絵葉書である。記念館を訪れた人へのお持ち帰りの品にするなど有効な使い方を考えるべきだろう。棚にあるのは、昨年秋に整理を終えたアルバムである。
2段目の写真は、作業を終えてやれやれと寛ぐ仲間たち。
3段目の石の写真は、南極昭和基地から採取された石とか。南極観測船「しらせ」のメインエンジンが三井造船製で、D/E保証技師が採取したものらしい。
最下段の写真は、総務担当とMMメンバーとの懇親送別会の風景だ。1年前はお互い若干の遠慮もあったが、一緒に作業をするうち、今では何でも言い合える仲間になった。

2010年4月17日土曜日

サッキータイム ~「アート部会」キックオフ会議~

4月16日(金)

この日17時半から、産業振興ビル3階の会議室に16人の参加者が集まり、中心市街地活性化協議会の一部会として「アート部会」を設置することについてキックオフ会議が開催された。皆さんから活発な意見が出された後、部会長に指名されていたサッキーから、提出した部会の目的・目標、活動理念・活動方針等をベースにした活動を進めていいかどうか信を問うたところ、満場一致で承認されることとなった。来週開催される中心市街地活性化協議会総会に下記内容の書面を提出し、「アート部会」発足について報告する予定である。
さて、玉野市が果してアートな町になるのかどうか?芸術フェスタ活動の目標であった、宇野港のアートハーバー化がこの部会の活動によって実現の方向に行くのか?フェスタ活動開始8年目になって、やっとその基盤作りができたということができるのかもしれない。

採択されたアート部会発足の内容は、下記の通りである。

1.「アート部会」の目的及び活動目標
アート部会は、アートを活かした美しいまちづくりのあり方とその実現の方策について議論し、それらを具体的な活動に結びつけることによって、玉野市中心市街地における活性化と賑わい創出に資する活動を行うことを目的とする。
アート部会では、宇野・築港地区でのアート活動やアート作品の常設展示、情報の共有化、交流の促進などを積極的に行い、以下に示すような中心市街地における活性化と賑わい創出を図ることを活動目標とする。
(1) 直島と宇野とが一体となったアートゾーンを形成し、直島を訪れた観光客の多くが、宇野港界隈も散策するような魅力的なアートタウンを形成すること。
(2) 地域住民、観光客、アーティストが相互に交流し、新たなコミュニティの輪を拡げるとともに、マネーフローも生まれるようなアートを機軸とした賑わいゾーンを構築すること。

2.「アート部会」の活動理念と活動方針
(1) 「アート部会」の活動理念
≪地域住民のパワフルな活動を目指して≫
中心市街地活性化協議会の目的は、当該地域における活き活きしたまちづくり、暮らしやすい魅力的なまちづくり、さらには経済的にも成り立つ賑わいのあるまちづくりである。
歴史・文化と融合したアート活動が、上記目的に合ったまちづくり手法として大きな効果を持つことが各地で実証され、新潟や直島などでの活動が全国的にも注目を集めている。
アート部会においても、地域住民・特にお年寄りも含めた多くの住民がアートによるまちづくりに共鳴し、アートの良さを実感するパワフルな住民に溢れた地域となる活動を目指す。

(2) 「アート部会」の活動方針
① 洗練されたアートな港まちづくり
地域全体にアートやクリエイティブな空間を作り、訪れた人たちが界隈を散策しながら、感じたり発見したりする喜びや感動を呼び起こし、国際的な現代アートを目指して訪れる、直島アートの観光客を宇野港地域でおもてなしすることにより、玉野の良さを全国にアピールし中心市街地の活性化に結びつけることとする。
その実現によって、アートな港としての存在感を主張し、直島と一体となった宇野港への興味を引き出すことが可能となる。アートの展示やイベントなどを通して、視覚や景観からも洗練された雰囲気とセンスが伝わるような中心市街地づくりを達成することを、この部会の第一の活動方針とする。
② 既存施設の活用によるアート活動
中心市街地には、駅東創庫Gallery Minato、MIU ART BOX、ギャラリーサンコア、アート工房るんるん島、文化会館BAUHAUS、メルカ、総合文化センター等、アート活動を現に行っている或いは行うことの出来る場所や施設が在り、夫々に活発に活動されている。
これらの施設で行われているアート情報を共有化し、中心市街地におけるアート活動の状況をリアルタイムで把握できるようなシステム作り或いは広報活動が必要と考える。
又、直島のアート観光客などが気軽に憩える場所を紹介し、交流の場として使えるようにすることにより、この地区の魅力を高めるなど、既存施設を有効に活用しながら賑わい創出を図ることを、第二の活動方針とする。
③ 玉野市のまちづくりモデルケース
市主催の「中心市街地活性化の取組みに対する診断・助言事業」報告会において、伸ばすべきポイントの第一に「アートのまちづくり」の重要性が報告された。特に玉野においては、美しい景観を活かしながら直島とリンクしたアートのまちづくりが最も有効と考えられる。アート部会が目指す「アートによるまちづくり」が、玉野市全域におけるまちづくりのモデルケースとして位置付けられるような成果を出すことを、第三の活動方針とする。

3.「アート部会」で議論すべきテーマ
アート部会の目的と活動目標、活動理念と活動方針の具体化のための、下記に示すような内容と方策について議論する。
① アートに満ちた宇野港界隈のまちづくりについて
② 地域住民及び玉野市民がアートを楽しむ仕組みづくりについて
③ 近隣住民や店舗などとの協力体制の構築と目標や問題意識の共有について
④ 宇野・築港地区の歴史・文化資源の活用について
⑤ 直島町及びベネッセアートサイト直島との連携について
⑥ 直島とリンクしたアートゾーン及び宇野港周辺でのアート活動の広報について
⑦ 上記方策をより実現性の高いものにするための広域連携について

4.「アート部会」の今後の運営方針
① 活動の進め方:性急に成果を求めるのではなく、地に足の付いたスタイルでゆっくりだがしっかりとした(Slow but steady)活動を進める。
② 部会メンバーの加入促進:活動が効果的なものになるよう、広い範囲に働きかける。
③ 部会開催の方針:原則として月に1回のペースで、第2木曜日17時半から開催。
④ 次回予定:5月13日(木)17:30~、目的・目標を実現させるための方策について各団体でできることを提言していただく。

尚、アート部会発足までの経緯は以下の通りであり、発端から約3ヶ月での発足となった。
1.本年1月25日(月)、「中心市街地活性化の取組みに対する診断・助言事業」報告会において、伸ばすべきポイントの第一に「アートのまちづくり」の重要性が報告されたのを聞いたのが、アート部会を作るべきと言う動きの発端となった。
2.上記報告を受けて、サッキーは2月18日(木)に開催された第18回中心市街地活性化協議会・運営委員会に「アート部会」設置に関する提案書を提出した。議論の結果、本会にアート部会を設置することが決定され、部会長にサッキーが指名された。
3.3月18日(木)、第19回中心市街地活性化協議会・運営委員会で、提出された「アート部会設置趣意書」が承認され、「アート部会キックオフ会議」案内状をアート関係者、まちづくり関係者等に送付して参加を呼びかけることが決定された。
4.4月16日(金)、関係者16名の出席を得てアート部会キックオフ会議が開催され、提出された「アート部会」の目的・目標及び活動理念・活動方針が承認され、アート部会の活動が本格的にスタートすることとなった。
以上

2010年4月16日金曜日

サッキータイム ~河口龍夫氏との面談~

4月15日(木)

河口龍夫氏(1940年神戸市生まれ、現代芸術作家、倉敷芸術科学大学教授)
氏の経歴を見ると、多摩美術大学絵画科を卒業し様々な芸術作家活動後、文化庁から欧米に研修、1983年に筑波大の助教授を経て1991年同大教授、2003年同大(名誉教授)退官と同時に倉敷芸術科学大学の教授として教鞭を執る傍ら、活発な作家活動を展開されている。日本における現代芸術の大家である。2000年と2003年には、北川フラムさんに請われて越後妻有アートトリエンナーレに有料の永久保存作品を残し、今年の瀬戸内国際芸術祭にも小豆島に作品展示をされることになっている。
昨年10/14~12/13の2ヶ月間、東京国立近代美術館で「言葉・時間・生命」というテーマの河口龍夫展を開いておられる。そこに展示された作品の一つに「時の航海」という、古い漁船を蜜蝋・黄色顔料で塗った作品を展示されたとのこと。写真は、その時のフライヤーと作品である。実は、河口龍夫氏の追っかけファンでI氏という方が名古屋の安城市に住んでおられ、その奥さんというのが駅東創庫代表の高嶋幸市氏の妹とか。I氏に感化を受けた(?)奥さんも河口ファンで、船をモチーフにした作品なら玉野にも相応しいし、作品に出来る廃船もあるのではないだろうかということで、市の観光協会などに作品展示を働きかけたそうだ。
しかし、予算の関係とかでどうも埒が明かないということから、巡り巡って(奥さんの同級生であるAさんを通じて)芸術フェスタを担当しているサッキーの方におはちが回って来た。そこで、ナビゲータの清水氏と一緒に話を聞いたら、これ又びっくり仰天。この河口先生、清水氏の恩師だったとのこと。
恥ずかしながらサッキーも知らなかったが、河口先生はこの業界では、名実とも当代超一流の大作家とのこと。
今年何としてでも宇野港付近に作品を作ってもらいたいと希うI氏の奥さんは、河口先生が倉芸大に授業に来られる15日に照準を合わせ、玉野に来ていただく手筈を整えられた。そこで、実現したのが昨夜の面談である。
先生は、とても気さくな方で、色々お話をしてくれた。時間も限られ日暮れてからのお越しだったので、宇野港付近の様子をじっくりとは見ていただけなかったが、今回の面談結果としては、今後何回かお話合いを持ちながらどのようにことを進めてゆくのか相談しましょう、ということになった。
これまでの芸術フェスタ活動の経緯等についてもお話しできたし、直島と宇野港との関係、玉野市のアートタウンとしての今後の方向などもお話し、ある程度のご理解は得ることが出来たと思う。
今年展示が可能となるのか、2、3年後となるのか分からないが、サッキーとしては、アートシティ玉野のあるべき姿を画いてゆくときに、アドバイスを頂ければありがたいと思う。でも少なくとも今年は、先生のお話を聞く場を設けることだけは、最低限実現したい。あせらずじっくりお付き合いできたらこんな素晴らしいことはない。
写真は、後ろ向きの右からAさん、河口先生、I氏の奥さん、頭の影が清水氏、下の2ショットは河口先生とI氏の奥さん。