2008年5月26日月曜日

フィールドワーク(第1回)

5月25日(日)

今年6回目を迎える芸術フェスタが、昨年に続き玉野市東部の山田地区で開催される。今年の目玉の一つとして、山田地区のスポットを結ぶ散策ルート作りがある。今日は、そのスポットを歩いて探すフィールドワーク(第1回)を、まちづくり講座とフェスタ企画部会合同で行った。初回のルートは、塩のまち山田を象徴する「塩の道散策ルート」である。カフェ山田(旧味野専売支局山田出張所会議室)を起点に、サンマリン保育園、塩釜神社、跳ね橋、三五ノ燈台跡、ナイカイ塩業積出港(山田港)対岸、野崎浜海岸の岸壁通り、二〇番橋、六間川雁木、十番橋跡と約5キロの道のりを2時間半ほど掛けてゆっくり歩いた。
海岸通では、浜昼顔や名も知らぬ可憐な花がけなげに咲いていた。ルートの途中に若干手を入れないと通りにくい部分があったが、眺めは中々のものだった。ただ、散策ルートとして多くの人に紹介するには、何らかの仕掛けを作るか、距離を短くするなどの工夫が必要であると感じた。
当日は、去年石川遼君が史上最年少でツアー初優勝して一躍有名になった東児が丘マリンヒルズGCでマンシングウェアオープンKSBカップの最終戦が開かれていて、広大な野崎浜塩田跡地には数百台の車とひっきりなしに来るシャトルバスで大賑わいだった。
写真は、上から塩釜神社の凝った屋根瓦、三五ノ燈台付近で参加者をパチッ、長い長い野崎浜海岸の岸壁通り、六間川を渡るための二〇番橋際にある雁木

2008年5月21日水曜日

登檣礼

5月19日(月)

17&18の2日間、港フェスティバルでお披露目に来ていた貴婦人「海王丸」が、港を離れるに当たり、最高の敬礼である登檣礼を行った。実習生たちは一斉にマストに登り、舳先に立つリーダーの号令に合わせ、「ごきげんよう」と別れを告げた。素晴らしい眺めに思わず大きな拍手が沸いていた。

2008年5月18日日曜日

たまの・港フェスティバル

5月18日(日)

5月17&18日と2日間、玉野市宇野港一帯で「たまの・港フェスティバル」が開催された。
宇高連絡線が廃止になった1988年(昭和63年)からずっと、火が消えたようになった宇野港の再開発に向けた新たな槌音が響き出したのは1995年(平成7年)のこと。第1期工事が完成して間もなく、玉野商工会議所青年部のおまつり好きな若手経営者達による「港おこし」の機運と共に1997年(平成9年)に始まったのが、今年12回目を迎える「たまの・港フェスティバル」である。「海・港・船」をテーマにした「海洋観光都市」玉野ならではの、玉野で最も大きなお祭りだ。毎年5月第3土・日の2日間、大型客船や護衛艦などが来港、市内外の10万人近くもの来客で大賑わいになる。
今年は、貴婦人とも言われる帆船「海王丸」がその優美な姿を宇野港第1突堤に現し、多くの観客を楽しませてくれた。第3突堤では海上自衛隊の護衛艦「やまゆき」も一般公開をして、長い行列が連なっていた。岸壁には、陸上自衛隊の地対空砲車等の装甲車もずらりと並んで威容を誇っていた。
緑地では、我が清水直人氏と佐藤史仁氏による「方舟プロジェクト」が異彩を放っていた。造船のまち玉野市に相応しいモニュメントで、方舟にはロープが張り巡らせてあり、そこに人々の願いをくくりつけていくことが出来る。単に作品を観るだけでなく、見る人が作品や人生、地域などに思いを寄せる、そんな趣向が清水氏ならではの発想である。アートと人との融合とでも言おうか。
さて、我がSNTJKは、拠点るんるん島での「トンボ玉体験」、宇野港銀座通りでの「お絵かき広場」に今年も参加。多くのちびっ子たちが思い思いの絵を描いたり、好きな模様のトンボ玉を作ったり、しっかり楽しんでくれていた。まちおこしの一環として参加できることのありがたさでもある。

2008年5月13日火曜日

ART TOWN YAMADA REPORT

5月13日(火)

昨年11月23~25日の3日間、岡山県玉野市山田で開催した「玉野みなと芸術フェスタ2007」アートタウン山田~塩・まち・唄~の活動記録を、今年初めからナビゲータの清水直人氏にお願いして編集してもらっていたが、この度やっと纏まって印刷まで漕ぎ着けた。
本イベントの助成を頂いた福武教育文化振興財団への活動成果報告書にも、この記録(冊子)を同封して送ることが出来た。ご協賛・ご後援頂いた多くの方々にも、配布することとしている。
芸術文化活動は、イベントをやって終わりではなく、それを記録として留め後々の活動に生かして行くことが、文化の伝承には必要なことと思うしリードしてきたアーティストの成果物ともなるものと思う。
デザインセンスのいい記録に纏まっていると思うし、これからの活動にも弾みがつくものである。

写真は、今回フェスタのメーンイベントだった「浜子唄ライブ」の様子である。

2008年5月11日日曜日

深山公園のフリーマーケット

5月11日(日)

深山公園は、岡山県で最も観光客の多い公園だ。年間180万人ほどが訪れる。ただ殆ど全てが日帰り客で、落ちるお金の額も極めて小額である。来客の多い理由は、先ず自然が豊かであること。次に入場料も駐車料も只であること。子供連れの遊び場も十分にあること。などであろう。道の駅「緑の館みやま」では、地の野菜やアナゴ焼きなどが人気で、遠方から買いに来る人も多いようだ。
いつから始まったのか知らないが、毎月第2&第4日曜日にフリーマーケットが開催されている。今日初めて見ることができた。我がとんぼ玉クラブも、体験教室を出店していた。午前中は曇り空でやや肌寒い気候だったためか、体験者は今一のようだったが、午後からは天気も回復しかなり人出があったようだ。
写真は、とんぼ玉クラブのメンバーと、フリーマーケット出店の風景。

2008年5月8日木曜日

後期高齢者医療制度

5月8日(木)

この4月1日から施行された「後期高齢者医療制度」の経緯について、最近の新聞記事などから得た情報。この制度、初めから「年金から天引きするとはどゆうことや!」とか、「年寄りゃはよ死ねということか!」、等と、凄い罵声と悪評だ。又、「後期高齢者」という言葉自体にも抵抗があるようで、福田総理は急遽「長寿」とか言い始めたが、何となくどこかの生保のキャッチだよね。
そこで私からの提案、65歳以上「高齢者」、75歳以上「高齢者」くらいでは如何。低学年/高学年、低年齢/高年齢、低所得/高所得など普通に使われている。何れにしても、75歳以上のお年寄りがかなりな高高齢者であることには変わりない。福田総理は、6月支給の年金天引き時期までに若干の緩和策を考えると発表したが、果して誰が納得するんだろうか?

この制度は、元々医療制度改革の一環として「健康保険法等の一部を改正する法律」(平成18年6月公布)により従来の「老人保健法」を
高齢者の医療の確保に関する法律」とし、その内容を全面改正する中で後期高齢者医療制度を規定したもの。
高齢者医療については、長い間「老人保健法」による老人医療制度として実施されてきた。老人医療制度は、国・
都道府県・市町村の負担金及び健康保険等の拠出金によって運営されていた。しかし、急速な高齢化の進展により、その財政負担が重くなってきた。これまで、被保険者の年齢や窓口負担の引上げ等を行うなど制度改正でしのいできていたが、どんどん増え続ける高齢者医療費の負担に耐えられなくなった。そこで設けられたのが、「後期高齢者医療制度」なのである。
両者の制度で最も異なる点は、「
老人保健法」による老人医療制度が他の健康保険等の被保険者資格を有したまま老人医療の適用を受けていたのに対し、「後期高齢者医療制度」は独立した医療保険制度になった点である。2枚あった被保険者証が1枚になった。被保険者資格や窓口負担は、従来の老人医療制度と同様である。
この制度の運営は、財源として患者負担分を除き、公費5割、現役世代からの支援4割、高齢者自己負担1割となっている。この1割分について各人の所得に応じた額を、年金から天引きする形になった。政府のPRが不十分で、ここを責められているのだ。後期高齢者に対する医療給付と療養給付は、従来の保険で支給されるものと同じ。保険料の算定は、均等頭割50%&所得比例50%で、全国平均約6,200円/月である。
現在1300万人いる後期高齢者はこれから益々増え、逆に若年者は急速に減少する。従って、現役世代が負担している4割の支援金は、個人の保険料が少々増えたとしても、そのまま4割の支援は出来なくなるのは自明であろう。つまり将来的には、高齢者自身の保険料負担を増やさざるを得なくなってくるのだ。今でも厳しい高齢者の負担が今後益々増えてしまうことになる。勿論若い世代の負担も増えて、ますます厳しくなってくる。
高騰する保険料負担を減らすためには、皆が健康で病気に罹らないことだ。その対策として打ち出されたのが、40歳以上の人に課せられることとなった特定検診(所謂メタボ健診)である。これが又、どうなんだという論調もあるようだ。却って保険給付が増えるとの意見もあるようだが、何故そうなんだについて詳しくは分からない。
言えることは、健康で病気に罹らなければ医療費は抑制されるだろうな、ということだ。
後期~~何れ誰もが辿る道、いついつまでも自立できる健康な高齢者を目指さないとね。

2008年5月6日火曜日

渋川公園&渋川海岸

5月6日(火)

連休最終日、渋川公園の藤と渋川海岸の砂浜に、孫の佑磨を連れて遊んできた。
渋川公園の藤棚は、900mという日本一の長さを誇っており、毎年この時期に藤まつりが行われる。マリンフェスティバルinたまのの幕開けのまつりでもある。公園から海岸に歩いて行くと、岡山県下では一番の海岸線を持つ渋川海岸が広がる。遠くに四国坂出が見え、児島から架かる瀬戸大橋が一望できる。
http://odekake.jalan.net/spt_33204ac2100120379.html
今日は天気もよく、大勢の家族連れで賑わい、子供たちは水遊びに夢中だった。孫も初めて?の海岸での砂遊びに、かなり興奮していた。
愛知県の通っている病院近くに津島市という所があり、そこにも藤で有名な公園がある。天王川公園というが、毎年「尾張津島藤まつり」が行われるそうだ。ここの藤は東洋一と言われているようだが、藤棚の長さではなく種類の豊富さと花の見事さなのであろう。残念ながら中々時間が取れず、まだ見れていない。
http://odekake.jalan.net/spt_23208ah3330044215.html
写真は、今日時点まだ元気な藤の花と、砂遊びに興じる孫。

さくらのきせる

5月5日(月)

こどもの日の午後、Gallery MINATOでアオイアツシ君の絵本原画展と絵本の読み聞かせライブがあった。
“きせる きせる さくらのきせる すぅと さくらのさくきせる ふしぎな ふしぎな さくらのきせる”
単純な言葉の繰り返しだが、非常に不思議な魅力を持った言葉と絵である。子供達も不思議そうに絵本の中に釘付けとなっていた。やんちゃな佑磨もおとなしく聴き入っていた。色合いもピンクを基調に明るい楽しい絵だった。
終わったあと、吉備津彦神社の境内に泳ぐこいのぼりを観に行ったが、素晴らしい景観だった。

2008年5月3日土曜日

海の見える午後コンサート

4月29日(火)

昭和の日の午後、雑草の向うに海が見える。ここは、宇野港近くの古い倉庫を改装して出来た、新たなアート体験のスポット駅東創庫&Gallery MINATO。30人程度しか入れそうもない、さして広くもないギャラリーでのライブコンサート。田乃村眞市さん(55)のギターと藤原恵子さん(69)のボーカルは、参集した約40人の聴衆に、音楽の持つ魅力を十二分に堪能させてくれた。
最後の曲「30年を2時間半で」は、ちょっと前にBSライブで森山良子が歌っていたのを聞いていたので、一応知ってはいたが、歌なのかお芝居なのか見分けがつかないような、楽しくも切ないラブストーリーの曲である。恵子さんは、難しいこの曲を見事に歌いというか演じきった。69歳にして少女のような声で聴衆の心を捉えた。鍛錬の賜物とは思うが、紙芝居といい歌声といい、玉野の宝である。久しぶりに聞き応えのあるコンサートだった。