2012年1月1日日曜日

野﨑武左衛門の遺訓七か条

2012年1月1日

新しい年を迎え、心も新たに今年1年どう過ごしてゆくか考えてみる。
今年もやることの多い年になりそうだが、一つ一つ片付けるだけである。
ただ、夫々のタイミング(納期)というものがあるので、時期を失しないよう心がけてやるのが大事なこと。

今年初めは、塩づくりの里・山田の冊子とマップ作りの手伝いである。
そこで、年初めの今日は、東野﨑浜塩田を開墾した野﨑武左衛門の遺訓七か条を紹介する。これは、昨年、太田健一先生の記念講演で頂いた資料である。
内容は、野﨑武左衛門が目指した経営の根幹を示すものである。

質素倹約を旨とする中にも、公のためには出来るだけのことをやるべしという教えである。中でも凄いと思ったのは、新たなプロジェクトを企画するときは、社員(メンバー)の意見をよく聴き、良く議論するようにと諭していることである。ゆめゆめ最初から社長(トップ)の意見を言うべきではないと言っているのだ。
最初にトップの計画を出してしまうと、部下は何も言えなくなり、もし間違いがあったときには取り返しのつかないことになるということなのだろう。正に的を射た見解である。
オリンパスの損失隠し問題や大王製紙御曹司の不祥事など、この教えを守っていれば絶対に起こることのない事件である。


松寿院野﨑翁遺訓

一.身代は一種の産のみ託せおくべからず。
吾家の如きは塩田・田地・永納の三種に分かつべし。かく分ち置くときは天災・凶作・変乱等にあふとも、三種の中執れか安穏に保つことを得べき理なり。平常の生計は身代の三分の一と心得たらんには危なきことなかるべし

一.新なる事業を企て財利を得んとする計画はなすべからず。ただ固有の身代を減らすさじと心懸くれば自然増殖するものぞ

一.無益と思ふわざには、つとめて金銭を費やさざるやう心懸くべし、公共の利益あることにはいささかも吝(オシ)むべからず

一.家屋を建築せんとする時は、先ず他日に取毀ち易く、売却するにも便利ならんことをかねて考へおくべし。又後々修繕するに費え少なきやうに心を用ふべし

一.身代少しにても不如意とならば、世間に隠しだてをせずして速に仕法を立つべし。その仕法はまづ家屋を縮むべし。縮めかたは、第一に表座敷、次に中座敷といふ如く大にして必用ならざる建物より漸々に毀ちて売却すべし。それにても仕法立ち難くば、家業の妨けなき限りの諸道具を売却すべし。人の目にも立ち、己の心も改まらん程にせば、などか身代の立直らぬことのあるべき。かくなしてもなほ見込みたたざらんには永納に及ぼし、最後に下田より中田と次第に売却すべし。良田は己が身命と思ひて手をつくべからず

一.一家の主人たるものは好き嫌ひのなきやうに慎むべし。好き嫌いひは偏頗を生する本ぞかし。多くの人を召使ふ身は別けて心得べきことなり

一.新規なる事がらにあひたる時、又はこみ入りしことにて思案にあまれる時は、一家親類をはじめ、召使ひの重立ちたる者にまで能く相談して、広く衆論を聞き、さてこれを決断すべし。己の所存を先きには陳ぶべからず。

右の条々は子々孫々に伝へて常に大切に之を守り、家名を堕とさざるやう心懸くべきもの也。

    遺しおく教まもらば生(ウミ)の子の
          ちよに八千代に家は栄えん

           元治元年甲子八月
                 野﨑武左衛門

                       (『備前児島野﨑家の研究』より)


この遺訓もこれから作る冊子の中に収めてもいいかもしれない。

ところで、創業183年を迎えるナイカイ塩業㈱は、この教えを固く守ってきているのだろうか。
調べてみると、時代の流れとともに、今は塩田(製塩業)のみを継続している。
永納(大名への金銭貸し)は明治維新でなくし、田地は先の大戦終戦後の農地改革でなくしてしまった。武左衛門が残した遺産三つのうち一つしか残らなかったのである。
しかし、同社の経営理念を見ると
一.人材の育成に努め不滅の企業体質をつくる
一.優れた技術と品質で日本のナイカイになる
一.常に原価意識を持ちその低減に努める
一.一体感を持ち活力ある明るい職場をつくる
一.企業活動を通して社会に貢献する
となっており、初代社長である野﨑武左衛門の遺訓が脈々と生きていると見た。

この写真は、創業者野﨑武左衛門の肖像画である。
後閑から山田に抜ける峠・鳥打峠近くの山から望む広大な東野﨑浜塩田跡地と、その向うにナイカイ塩業㈱の工場群が見える。

0 件のコメント: