2009年11月13日金曜日

サッキータイム ~「たまの東街道2009」の準備~

10月29日(木) 山田の各地点の準備状況

(山田小学校で)
11/1が雨の予報だったため、野外特設舞台での狂言の公演ができなく恐れがあって、田賀屋狂言会事務局の広坂氏と二人山田小学校を訪れ、狂言舞台となる体育館を視察した。子供たちが、音楽発表会の練習をしていて、11/8の発表会の日まで楽器類はそのままにしているとのこと。もしここで狂言をやるのであれば、これを片付け終了後は更に復旧しなければならない。大変だが仕方ない。
広坂さんは、胡坐の状態で舞台(高さ1m)の上の役者が見えるかどうか心配していたが、何とか大丈夫との判断をした。

(大元屋・三宅邸で)
山田小学校を辞した後、散策拠点の最重要ポイントである大元屋・三宅邸の準備状況を確認した。ここには瀟洒な庭園と座敷があって、散策で訪れた観光客に抹茶と京菓子が振舞われる。
麦藁帽を被った松下氏は、竹を切り取り狂言舞台の欄干や会場を照らす竹灯篭の竹筒を作ってくれている。彼は、山田の地の唄・浜子唄を三味線の伴奏で残し続けてもいる、この地になくてはならない人だ。

(カフェやまだで)
その後、東街道の中心的拠点である旧味野専売支局山田出張所(現しおさい)の一角に作った「カフェやまだ」に行ったところ、ちょうど九州工大(建設社会工学専攻景観研究室)の二人の学生が訪れていた。聞くと、彼等は専売支局の建築物・文書庫に興味を持ち、それを卒論のテーマにしているらしく、ネットで山田の文書庫を知り訪問したとのこと。これから赤穂の海洋科学館を訪れ、その後うたず海ホタルで塩田の体験をするという。
九州出身で福岡博多にも大学時代を過ごしたことのあるサッキーは、彼らに親しみを感じたが、ナイカイ塩業の工場見学を断られた彼等は、次の訪問地に向けて立ち去って行った。
彼等が興味を持った元々の建物が、津屋崎という所に残っていた塩務局の建物である。山田の文書庫と違って荒れ放題だったらしい。(下の写真)

(しおさい中庭で)
この日、狂言の舞台が出来上がっていた。設計通りの寸法と配置に上手く作ってあった。さすがプロの作品だ。ありがたい。雨が降らねばいいが・・・

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