2011年4月22日金曜日

自啓ノート(14) ~YS活動~

4月22日

♪春は名のみの 風の寒さや    
 谷の鶯 歌は思えど    
 時にあらずと 声も立てず      
 時にあらずと 声も立てず♪       

♪氷融け去り 葦は角ぐむ
 さては時ぞと 思うあやにく
 今日も昨日も 雪の空
 今日も昨日も 雪の空♪

(吉丸一昌作詞 中田 章作曲)

「早春賦」という、春を待つ歌である。
「童謡の風景」という新聞記事にこの歌の解説があった。苦学して国文学者になった作詞家の吉丸一昌は、この歌に旅立つ若者達への「人生の春を待つ応援歌」の思いを込めたのだ。と書いてあった。
サッキーがこの歌を初めて聴いたのは、2度目の高校受験を前に、当時慶応大学を出たばかりで「トロイカ」や「雪山賛歌」等で売り出し中だったコーラスグループ「ダークダックス」のレコード(ソノシート)からだった。
サッキーは、家が貧乏だったせいもあって、中学卒業後折角高校(済々黌)にも合格したのだが直ぐには高校に行かず、神奈川県横須賀市久里浜にある陸上自衛隊通信学校生徒隊、所謂「少年自衛隊通信生徒」に15歳で入隊した。訓練と勉強に明け暮れる生活の中、「自分はこのままでいいんだろうか」との人生に対する疑問を感じ、上の学校を目指したいとの気持がふつふつと沸いて来た。17歳になった頃のことだ。巷には橋幸夫の「潮来笠」が大ヒットしていた。
入隊2年後の昭和36年正月、思い切って少年自衛隊を辞め、夢に見た大学進学に挑戦すべく、サッキーは2度目の高校受験(今度は熊本高校)を目指した。50年前の早春の頃だった。3年間の楽しい高校生活の後、運良く目指す大学に入ることができた。「早春賦」春待つこの歌は、サッキーにとって人生の春を彩るエポックの歌だったのかも知れない。

さて今日の自啓ノートは、病院勤務をしていた3年前、その年の経営方針を各職場の末端まで浸透してもらいたいとの思いから、夫々の職場で自らの問題を取り上げて解決しようと、1月から試験的に始めた「YS活動」のことについて紹介する。
パイロットチームとして、●●課と△△グループにお願いしたが、そもそも「YS活動」って何か。病院を「みんなの力で良く(Y)する(S)ための、自立した小集団による自主的な課題解決のための活動」と言うのがYS活動の本質である。夫々のグループの力でもって、この病院がもっと良くなればとの思いである。

生産台数世界一を達成したトヨタ自動車では、1968年にQCサークル活動を始めた。トヨタの初期の名車「クラウン」が大ブレークした頃だった。当時、日本の製品は世界市場から「安かろう、悪かろう」と不評を買っていた時代だった。大量生産で安定した品質を保つため、アメリカのデミング博士という先生がSQC(統計的品質管理)と言う手法を持って来て、多くの企業に広めた。品質向上に格好の手法だったが、当初はQC専門のスタッフだけの管理だった。しかし、スタッフがどんなにいい管理をしても現場で作業する人が中々本気にならず、不良品の発生を防ぐことは出来なかった。ついには、スタッフと現場の間に溝が出来るようになった。
そんな中、東京大学の石川馨教授は「何とか現場で働く人たちが興味を持って品質管理を勉強する方法はないものか」と思案して、思いついたのが季刊誌『現場とQC』の発行であり、職長をリーダーとして作業員を含めた自主的な小グループによる「QCサークル活動」である。全国の企業がこの活動に取り組み始め、日本の産業界は、他の多くの要因もあったと思うが、世界に冠たる企業集団に成長してきた。
現在、QCサークルも行き着く所まで来た感があり、方向転換している企業も数多くある。会社によっては、BPS(Best Practice Sharing=最善方法の共有化)と言う考え方の活動をやっている所もある。
病院には、まだまだ色んな問題が横たわっている。接遇・コミュニケーション・業務手順・環境美化等々、決して一人で解決できるものではない。みんなの力を結集して、ベクトルを合わせ、病院を良くしようという意欲が求められている。YS活動は、きっとその解決の力になるものと信じている。
YSでこの病院を良くしよう!そして最後に、You,Smile!

その後、数回の発表会を開いたが、各チームとも自分たちの手で出る成果に手応えを感じ、明るい笑顔で頑張っていた。

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