2010年7月13日火曜日

サッキータイム ~玉野みなと芸術フェスタ2010基本計画(その1)~

7月13日

毎年、岡山県玉野市の秋のアートイベントとして定着してきている「玉野みなと芸術フェスタ2010」の基本計画がほぼ固まってきたので、実行委員会に掛ける前の案ではあるが、サッキータイムで数回に分けて紹介することとする。

「玉野みなと芸術フェスタ」活動の方向性と基本方針


(1) これまでの経緯概要
 2003年に始まった芸術フェスタは、港の振興を目的に4年間、宇野港で活動してきた。その後2年間、塩田労働者達が歌っていた「浜子唄」にスポットを当て、塩作りに始まった玉野の近代歴史と製塩文化の凝縮されたポイント山田・東児地区に舞台を移して開催した。
 2009年、宇野港竣工100年という節目の年を受けて、再び宇野港に戻った昨年の芸術フェスタでは、地域の歴史・文化とアートの融合を図ったアート展開を目指し、「宇野・築港まちづくり講座」を開設するとともに、寂れて久しい商店街でのアート展「ウノイッチョウダイ展」を開催した。
 又、3年目を迎えた山田・東児地区では、地区の製塩文化を「狂言」という古典芸能を使って遺そうとの試みも加わり、多くの市民、地区民たちが感動を共有した。

(2) 今後の活動の方向性
 これまでの活動経緯から、芸術フェスタは「文化的側面から地域にパワーを生み出すこと」を基本理念に「地域の歴史や文化とアートを融合し、地域の個性と魅力を引き出すこと」により、
地域住民や観光客との「『交流と共感Communication』、『文化の共有Common』、『寛ぎと楽しみComfortable』を得ること」(3つのCom.)の実現を目的として活動してきた。

 玉野みなと芸術フェスタは、2009年から福武教育文化振興財団の3ヶ年継続助成事業に推薦され、「アートシティ玉野への道」というテーマによる、山田・東児地区(東部)~宇野・築港地区(中央)~日比・渋川地区(西部)の広域での3ヶ年活動計画を立てた。2009~10年は中央と東部、2011年は西部で活動し、玉野における芸術文化活動の面的拡がりを目指すこととした。夫々の地域におけるフェスタの活動を円滑に進めるためにも、上記基本理念と目的を実現し、多くの参加者が楽しみながら参加できるようにすることが重要と考えている。
 岡山県玉野市は、江戸時代末期から「製塩のまち」として栄えてきた。明治末期には、宇野港が誕生し本四を結ぶ大動脈ができたが、大正期に生まれた造船が圧倒的な影響力を持ち、玉野市は、これまで「造船のまち」或いは「造船と港のまち」と言われてきた。
 戦後65年を経て、価値観の多様化や経済環境の劇的変化を遂げた現在、これからの玉野市は、「文化力」の高い人間性豊かなまちとして「船と港とアートのまち」と呼ばれるようになるべきと考える。「玉野みなと芸術フェスタ」の今後の活動は、この方向性を牽引する立場の一つとして、市民の熱意と英知を結集しながら進めてゆきたいと考えている。

(3) 2010年の活動基本方針
 今年は、香川で「瀬戸内国際芸術祭2010」、岡山で「国民文化祭・おかやま2010」が開催される。玉野市では、宇野線・宇高航路開通100年、宇野港開港80年、玉野市制70年という周年記念が重なる。特に直島を中心とした瀬戸内の島々で開催される芸術祭には、期間中30万人の集客が見込まれている。玉野市はもちろん市内各団体もこの機を捉えた動きを加速しており、県内のアーティストたちもこの動きに敏感に反応している。
 社会的には、超少子高齢化、人口減少、地球温暖化といった環境の激変により、これまでの経済一辺倒に対して、価値観の多様化、豊かさの質の変容といった現象が起こっている。社会の様々な場面で、「文化力」或いは「アート」という言葉がキーワードとなっている。
 これまで芸術フェスタでは、地区の歴史・文化とアートの融合を図ることによって、
 ① 埋もれた文化遺産のリノベーションと新たな観光資源の発掘
 ② 地域住民の活動への参加、コミュニティ力の活用、人との会話、明るい街並み創出
ということを目標に活動してきた。これは正しく「文化力」向上の活動であり、「アート」の敷衍活動である。芸術フェスタは、今年もその線上での活動を基本方針として進めて行くこととする。

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