2010年7月4日日曜日

サッキータイム ~たまの歴史ロマン夜塾~

7月4日(日)

今年5月から、文化センターの主催で「たまの歴史ロマン夜塾」という、玉野市の歴史講座が開かれている。今年玉野市が市制70年という節目の年に当たることから、記念講座として開かれることとなったものである。

講師は、言わずと知れた榧嘉明先生(前玉野市教育委員長)。毎月1回、夜7時から約1時間半開かれるのだが、今日は宇野港を歩くフィールドワークということで昼間の講座となった。
宇野港は、当時県下第1の港として明治42年7月(101年前)に竣工、同43年6月(丁度100年前)から宇高連絡船航路の本州側起点の港として供用されることとなった、いわば人流用の港である。時の岡山県知事/檜垣直右は、「宇野港築港は国下100年の大計である」との信念から、県議会の猛反対を押し切り、『原案執行』という形で築造が強行されたのである。明治の頃は、議会が反対多数でも、知事がやると言ったらやれた時代だったのである。今では到底考えられないことだ。

檜垣直右翁は、玉野市にとっては、小さな漁港と塩田でしかなかった宇野地区に大きな港を造った大恩人であり、港の一角(メモリアルパークと呼ぶ)には、写真のような銅像が建てられている。説明をしているのが榧先生である。下の写真は、築港地区にある小さな公園だが、その名も檜垣公園という。
余談だが、檜垣直右翁は長州萩の武家の出で元の姓を宇野と言っていたが、養子に行って檜垣姓になったとのこと。宇野さんが宇野港を造ったということで、何だか因縁めいたものがあるような、ないような・・・。

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